先週、村上春樹の「騎士団長殺し」を読了しました!
 私は特にハルキストというほどではないのですが、村上春樹の長編ファンタジーは大好きです。この新刊もとても楽しみにしていて、珍しくamazonで予約購買しました。発行が2月25日、翌26日の夜9時ごろに届きました。(お急ぎ便にしたわけでもないのに、宅配業者さん、お疲れさまです)
 ところが、それから1ヶ月ほど忙しくて1ページも開くことができず、ずっと机上に積読になっているのを尻目に、一切の書評などにも目を通さず、耐えていたのでした。
 そして、やっと先月下旬に読み始め、1週間で1000ページ、一気に読破です。何と幸せな1週間だったことか!

 まず、いつもながら文章が本当に素晴らしい。彼の体の中を確かに通り抜けたからこそ生まれたと思われる、平易でありながら淀みのない文体。また、思わず手を打ちたくなるような見事な比喩の数々。異質なものを絶妙に取り合わせて、心情やら動作やらをこんなにリアルに浮かび上がらせることができるのは、多分彼だけだと思います。
 そして、言うまでもなく、息をのむようなストーリー展開には、本当に吸い込まれてしまうのです。

 私は前々から、村上春樹のファンタジーは、心理療法の過程そのものだと思って読んでいました。特に非常にユング的。故河合隼雄氏も彼にそう話したところ、自分は特に心理学の知識はないのでそんなつもりはないなどと言っていましたが…。(多分、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」)

 人が変わるとき、泥沼の死と再生の過程を経るハメになることはしばしばです。井戸または穴(集合的無意識)に入り、起こって来る様々な出来事を排除せずに取り込み(コンステレーション)、地下通路を血みどろになりながらも潜り抜け(イニシエーション)、そして、再び現実世界に戻って来る。その時、自分は確実に前の自分とは違っている。
 「騎士団長殺し」に描かれている不思議な物語は、単なるメタファーとは思えません。

 「時間をかける必要がある、と私は思った。ここはひとつ我慢強くならなくてはならない。時間を私の側につけなくてはならない(原文傍点)。そうすればきっとまた、正しい流れをつかむことができるはずだ」という件があります。自伝的エッセイ「職業としての小説家」にも、「時間を味方につける」とあって、折に触れて私が思い出す言葉です。
 「今」という時間を大切に過ごすことを心掛けねば。また、「時間」とは無であり、永遠の広がりであり、その内に無限の多次元性を含んでもいるのでしょう。その「時間」を、いかにして味方につけるか。

 またいつか、「騎士団長殺し」を読み返したいと思います。「1Q84」や「ねじまき鳥クロニクル」も。
 村上春樹のファンタジーの世界に入り込むと、魂が洗われて、体の組成さえ新しくなるような気がするのです。


                             心理面接室TAO 藤坂圭子
                             HP: http://tao-okayama.com