ずっと以前の秋の終わりごろ、あるカウンセリングの研修会に参加しました。最初に小さな演習がありました。窓の外の木の枝を見て、感じたことを短い言葉で言ってみるというものです。
 「ああ、秋も終わりだなあ」、「木の葉が黄金色に輝いていてきれい」、「はかない感じがして淋しい」など、いろいろあったような気がしますが、私にはある女性の「葉っぱが頑張って木の枝にしがみついている」がとても印象に残りました。その女性自身が、いかにも「頑張ってしがみついている」といった雰囲気を醸し出していたからです。細身のしんどそうな方でした。
 講師の先生は、「同じものを見てもみんな感じ方が違いますね」というふうにまとめられましたが、後に心理学を勉強していく中で、あれはあの方の「投影」だったのだと気づきました。
 
 「投影」は自分の感情や欲望を、他者が持っているように感じることです。特にネガティブで認めたくない感情を抱えるのは苦しいので、人間は自分を守るために、それは自分の中にあるのではなくて人が持っているのだと感じるのです。フロイトが言った「防衛機制」の一つです。
 対象をありのままに見るというのは実はとても難しいことで、私たちは知らず知らずのうちに「私色のメガネ」を通して、「私色」に染めて見ているのです。
 
 自分が淋しいと、人も淋しそうに見える。自分の卑怯さを感じないようにしている人は、人の卑怯さに敏感です。甘えたい気持ちを抑圧している人は、甘ったれな人を見るとイライラします。
 自分と同類の人には「鼻が利」きます。それがその人をひどく嫌う原因になったり、反対に「類は友を呼」んで「傷のなめ合い」をしていることもしばしば。
 また、覚えもなく人から嫌われたり妬まれたりするときは、その人からの「投影」を受けていることが多いです。その「投影」が的外れなこともあります。だから、自分に何か悪いところがあるのではと反省して卑屈になるよりは、その人の問題として突き放して構える方が、よほど自分の身のためです。

 いつも怒りっぽくって人に当たり散らしていたり、何事も思い通りにならないと鬱屈した気分をため込んでいる人は、生きているのも本当に辛いと思います。でも、もともと捻くれて生まれついているわけではありません。きっと認めたくない自分の部分がたくさんあって、それをバラバラに「投影」して世の中を見てしまっているのだと思います。

 結局、ありのままの自分を認めるしかないのです。自分の心の見取り図のようなものが把握でき、「これが自分だ」と諦めがつくと、「投影」の必要はなくなります。「私色のメガネ」を外して、そのものの色を見ることができるのです。自他の区別ができるようになると、実に心が軽くなるものです。
 (ちなみに「諦める」の語源は「明らむ(明らかにする)」です)

 冒頭の研修会の場面、私がどういう感想を口にしたかは記憶にないのですが、明るい見方ができてたので、その女性をちょっと気の毒に思ったのを覚えています。けれど、何十年経っても記憶に残るほどの印象ですから、本当は私自身を彼女に「投影」していたのでしょうね。何かにしがみついていたい自分を押し殺して、一生懸命強がっていたのです、きっと。

                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP: http://tao-okayama/com