2016年05月

 毎日、朝日新聞で約百年ぶりに連載の「吾輩ハ猫デアル」を楽しみに読んでいるのですが、今日は笑いました!

 「苦沙弥先生」は「抜き取った鼻毛を奇観の如く眺め」ながら、細君の家計の苦情を聞いています。やがて、「主人は平気な顔で鼻毛を一本々々丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉がついているのでぴんと針を立てた如くに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入った体で、ふっと吹いてみる。粘着力が強いので決して飛ばない。『いやに頑固だな』と主人は一生懸命に吹く。」
 さらに、種々の色が混じる鼻毛の中に、「鼻毛の白髪」を見つけ出し感動して、細君に突き出すのです。細君もさすがに笑いながら、家計の話題を切り上げるのでした。

 猫の目を通して書かれているものの、もちろん、これは漱石自身の人間観察、自己観察の鋭さのなせる業。そこに、滑稽でいい加減な人間の風刺だけでなく、そんな人間への諦めと愛情さえ感じます。
 一人で大笑いした後、人間ってこんなもん、私ももっと肩の力を抜いて楽に生きていればいいんだ、と何となく思えたのでした。

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                                    HP: http://tao-okayama.com

 先日、ある先生から保護者からの「クレーム対応」について、相談を受けました。
 「クレーム対応」にはちょっとしたコツがあります。意外にも、カウンセリングに通じるところがあります。
 
 クレームというのは、とても聴きづらいし、先生方のプライドも傷つけます。そこで、ほとんどの場合、つい説明をして分かってもらおうとします(*教員は何かにつけ「説明」をしがちです)。
 ところが、いくら誠実に丁寧に説明をしても、保護者の方の怒りは収まらず、平行線のまま数時間…、またはひたすら謝る…、ということがよくあるのでは。そうでなくてもきりきり舞いの忙しさの中、先生方にとってクレーム対応は本当にキツイものだと思います。

 コツは、まず「よく聴くこと」です。そして、保護者の方の思いを理解してそれをお伝えするのです。「期待されていたことと全く違ったことになって心外なのですね」、「お子さんの悲しみを分かってもらえないことにお怒りなのですね」、「お子さんにはこのような対応をお望みなんですね」…etc
 いくら誤解で理不尽だと分かっても、「事実関係」を問題にするのではなく、保護者の方の「思い」をまず大切にするのです。そうすると、保護者の方の溜飲もだんだん下がってきて、冷静になられ、解決に向けた話が可能になることが多いです。
  
 相手が感情的になっているときには、理屈は通用しません。カウンセリングの、いわゆる「受容」や「共感」が、相手の気持ちを解きほぐし、いい関係づくりの糸口を作るのに役立ちます。人は「分かってもらえた」と思えると、心が柔らかくなるものです。
 保護者の方に対しては、「このクレームは、あくまでも子どものことを思うからこそ」ということを忘れないでいると、聴きやすいです。やはり、親が子どもを思う気持ちは、形はどうあれ格別なものだと思います。

 それにしても、日本人が以前より「自己主張」(?)ができるようになった、と言えるのかもしれませんが、お互いへの「思いやり」の気持ちが希薄になって、誰しも自分のことで精一杯な世の中になりつつあるような気もして、悲しいです。

                            
                             心理面接室TAO 藤坂圭子
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 毎晩、寝る前に「般若心経」を唱えています。
 特に仏教や特定の教えを信奉しているわけではないのですが、これが日課となったのは、認知症の父にハッとさせられたからです。
 父は、日常生活のさまざまな行為についても手順を忘れ、何をするにも人の手が必要になってきました。
 昨夏のお盆前のお墓掃除の時も、何をどうしていいやらという感じでしたが、掃除が終わると、よどみなく朗々とお経を唱えるのです。びっくりでした。

 それから私は、「般若心経」を覚え直すことにしました。学生時代以来です。いわゆる「無の思想」のようなものに、当時から関心があったのです。
 でも、かの有名な「色即是空 空即是色」よりほかはほとんど忘れていて、やはりこの年になると空で言えるようになるまで、結構大変でした。

 あんなに活動的だった父ですが、今はぼーっと暮らしています。時々癇癪的になって母を困らせますが、何にも追い立てられず、ただその時々を穏やかに過ごしているのを見ると、なんだか悟った人のようにも見えます。
 離れて暮らしていて、たまに会っても父の方から何も話すこともないようで、なかなか会話にもなりません。
 だから、「般若心経」だけ一緒に唱えてもらっています。味のあるいい声です。

 その声を思い出しながら、私も毎晩寝る前に唱えることにしました。その日に何かあって心が迷っていても、不思議と気持ちが落ち着くものです。

 私が昔から一番好きなのは、
    「心無礙  無礙故 無有恐怖 遠離一切転倒夢想 究境涅槃 」  
 今のこの瞬間瞬間をありのままに受け止めるだけ。そうすれば、何も怖くない。
 でも、なかなか難しいことですね…        

                                   心理面接室TAO 藤坂圭子
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 たとえば、三人きょうだいの中で、一人だけ不登校になってしまったら、その子は「弱い子」なんだと考えがちです。でも、本当はそうではなくて、むしろ一番「強い子」かもしれません。
 不登校や、さまざまな症状は、その子が身を挺して何かをつかもうとしている、または何かを訴えようとしていることの現われです。
 もっと自分にかまってほしい、自分のことを分かってほしいという愛情欲求だけでなく、親御さんの悩みや家族の課題などを、無意識のうちに引き取ってしまっていることもあります。子どもの不調は、家族の何かを変えていきたいという強烈なメッセージであることも多いのです。
 もちろん、本人には、何が何やら分からず、どうしようもなく苦しく、自暴自棄になったりもします。
 でも、実は心の深いところで「苦しむ力」「悩む力」「変える力」を持った、「強い子」だと言えるとも思います。
 子どもの現象を問題視して対処法を考えるだけではなく、「敬意」を持って、子どもの心の中で起こっていることに思いを馳せてみましょう。きっと、子どもが何かを教えてくれます。周囲の一人一人が、新しい価値観や生き方を発見したり、お互いの関係を築き直したりするチャンスです。
 本人も、秘めた可能性を発揮して、思いもかけない個性的なたくましい姿を見せてくれるようになることも多々あります。

  
                             心理面接室TAO 藤坂圭子 
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