2016年06月

 先週金曜日の、イギリスEU離脱のニュースはショックでした。イギリスに限らず、世界中が排他主義の分断の危機にあり、とても憂慮しています。

 イギリスはユーロを採用していなかったので、話は少しズレますが、私はユーロが導入された2002年1月1日の夜に、フランス人の知人を訪ねてパリに入りました。翌2日から、初めてのパリをあちこち回りました。日本で両替したピンピンのユーロを持って。
 大変な混雑でした。町のスーパーもパン屋も駅のキオスクも、ルーブル美術館もベルサイユ宮殿も長蛇の列です。現地の方がフランで支払い、そのお釣りを電卓で計算してユーロで返金するので手間がかかっていたのです。でも、誰一人不満を漏らす気配はなく、むしろとてもうれしそうな雰囲気でした。私の知人も、「ヨーロッパが一つになる!」と大喜びでした。日本人観光客の私にとっての「ユーロ」は、単なる外貨の一つにすぎませんでしたが、現地の方々には特別なものとして歓迎されていました。
 その前年はウイーンにいたのですが、広場にはヨーロッパ各国の国旗が立ち、ホテルにはユーロコインを象ったチョコレートが置かれ、既に「ユーロ導入まであと1年!」という高揚感に沸き立っていました。
 その後数年のうちに、中央ヨーロッパなどの、心は豊かだけれど、大国に比べて明らかに経済格差のある国々を訪れたとき、「この国もあと〇年後、ユーロになる」とうれしそうに語るのを聞いても、大丈夫なのかなあという懸念を抱いたのも事実ですが、まさか、ユーロが、EUがこんな風になるとは、本当に残念です。

 ところで、当面接室の「TAO(タオ)」は中国古代思想家の老子の理念から命名しています。「タオイズム」の原点は、対立しあうものの合一です。世界も個人の内面も、さまざまに対立する陰陽両面からなっています。光と影、火と水、善と悪、清と濁、愛と憎しみ、喜びと怒り、変化と安定、強さと弱さ、安心と不安、女性性と男性性…etc.
 そのどちらか一方を排斥するのでなく、両面を受け入れ統合してホリスティック(包括的)に全体性を生きることが、ゆったりとした心の平安をもたらし、その人本来の充実した人生を可能にするという考え方です。
 一方だけに固執した一面的な生き方(行き過ぎた正義感、道徳主義、ポジティブ志向、民族主義、極端な男らしさ、女らしさ…)は、一見格好良くても、どこかでバでランスを崩し、いずれ病気や事故、その他さまざまな困難を招きかねません。
 今世界中で起こっている分断は、個人内の分断まで助長しかねないような気がして怖いです。または、逆の現象が起こっているのかもしれません。

 ちなみに、whole(全体の)、holistic(全体的)、health(健康)、holy(神聖な)は、みな語源は同じだそうです。

                             心理面接室TAO 藤坂圭子
                             HP:http://tao-okayama.com

 


 

 先日6/19、岡山県臨床心理士会地域公開講座として、松本俊彦先生(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 薬物依存研究部部長)の「自傷・自殺する子どもたち」が開催されました。午後も引き続き、臨床心理士対象の研修として、松本先生にご講義をいただきました。
 自傷・自殺をしてしまう子どもたちは後を絶ちません。そんな子どもたちの心情や対応の仕方など、とても分かりやすくご説明くださり、有意義な時間でした。

 その中で、最も印象に残っている言葉は、「子どもたちは生きるためにリストカットをしているのだ」です。リストカットは、周囲から「気持ち悪い」と疎まれたり、「人の気を引くためにやっているんだ」と誤解されたりします。でも、決してそうではなく、人に頼れない子どもたちにとっては、ワッと湧いてくるどうしようもない不快感情から逃れるには、これしか方法がないのです。
 「切るとスッーとする」というのはよく聞くことですが、それは「切る」ことによって脳内にβ-エンドルフィンなどの麻薬物質のようなものが分泌され、鎮痛効果をもたらすからだそうです。つまり、一時しのぎでもその場を「生き延びるため」にやっている行為なのです。
 だから、「傷つけちゃダメ」というのは決して言ってはいけない言葉。その子から生きる手段を奪うことになるし、ますます人への信頼を失わせます。大切なのはそうせざるを得ないその子の心の傷に寄り添うこと、そして、信頼関係を築き、人に頼れる人に育てることだということでした。

 私も今までたくさんのリストカットをする子どもたちと接してきましたが、彼・彼女たちに共通して感じるのは、深い傷つき、見捨てられ体験、虚無感など、どても切ないものです。でも、地に足つかずフワフワな状態のまま何とか凌いでいる姿には、迫力さえ感じることもあります。それはきっと「生きる意志」なのでしょう。
 リストカットなど、自傷行為を繰り返す子どものそばにいる人たちには、少しでも彼・彼女たちの心情を察し、寄り添っていただきたと思います。
 人間はみな弱いもの。大人になっても、ほとんどの人が何かにすがって生きています。お酒・たばこ・ゲーム・ネット・買い物・ギャンブル・薬物・理不尽な人間関係…。
 リストカットなどの自傷行為を繰り返す人たちの弱さは、実は自分の中にもあるんだと気づくことができれば、共感しやすくなるかもしれません。人とのつながりが確かなものになったとき、人間は本来の強さを取り戻せると思います。


                             心理面接室TAO 藤坂圭子
                               HP:http://tao-okayama.com


 

 ユングが、全人類に共通して、無意識の深い層の中に存在するとした「元型」の一つに「グレートマザー(太母)」があります。その「グレートマザー」にはポジティブな面とネガティブな面の両面があります。

 「母」は偉大です。その愛情の深さは計り知れません。我が身を犠牲にした懸命な子育てによって、子どもは一人前に成長していきます。そういうポジティブな母性の一方で、子どもを「我がもの」のように思い込み、自分の思い通りに支配しようとするネガティブな傾向もあります。日本人は欧米人に比べ、そのネガティブな方の「グレートマザー」が強く、それに飲み込まれ、押しつぶされ、精神的に自立するのが難しい人が多いようです。
 このことは、河合隼雄の「母性社会日本の病理」につぶさに書かれています。(*岡山は日本の中でも特にグレートマザーが強い地域に思えます)
 
 子どもは無力なので、母親にとって「いい子」でいることで、安心安全や存在感を得ようとします。グレートマザーの支配力が強いと、当然、自分でものを考え、自分で行動する力が身に付きにくく、自分の「主体」(「自我」)が作られません。そして、叱られることを恐れ、人の目や評価を気にし、学校に上がると先生にとって「いい生徒」となり、社会に出ると「常識」や「空気」に従い、歯車の一部になってアップアップしながらも耐え続けなければなりません。
 いまだに日本人が集団主義だとか、自己主張ができないとか、主体性がないとか言われるのは、この「グレートマザー」の文化が根強いためです。簡単に欧米人の真似はできないのです。
 (ちなみに、逆に欧米では厳しすぎる「個人主義」への反省から、禅や仏教など、日本や東洋の思想への関心と理解が非常に高まっています。最近の日本ブームもその一端かも)

 「グレートマザー」は、「元型」なので、性別や子どもの有無にかかわらず、人間誰しもの心の奥底にあるものです。「母親」だけが悪いわけではありません。ネガティブな「グレートマザー」は人間関係の中で、「支配ー依存」の形をとって現われがちです。対等な人間関係を築けず、他者に振り回されて、なかなか確かな「自分」を実感できず苦しんでいらっしゃる方が、日本には本当に多いと思います。
 そこからの脱却はとても苦しい道のりとなるかもしれませんが、まず、そう自分を認識することによって、何か転機や出会いが訪れるかもしれません。 


                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com
 

 高等学校現職時代から、たくさんの子どもたちの、「集団が苦手」、「行事が嫌い」、「発表が怖い」などという辛さを聴いています。それで、教室に入れなくなり不登校に陥るパターンは多いです。
 生まれた環境にかかわらず、人にはその人固有のパーソナリティがあって、目立ちたくない、人とどう話したらいいか分からないという奥ゆかしい人ももちろんいます。独特の趣味や嗜好性をもっていて、周囲から「変な人」と思われがちな人もいます。そんな人たちにとって、学校というのは本当に酷なところです。
 大人になってからもコンプレックスを引きずって、自己否定感から鬱っぽくなってしまったり、仕事が続けられなかったりもします。

 「個性を大切に」という言葉が叫ばれ、障がいのある方々への理解や支援も深まっています。けれども、以前にも増して、ミュニケーション能力、協調性などが人間として当然の前提のように求められ、学校でも職場でもその教育に重点が置かれています。そこに何だか矛盾を感じます。
 当然居場所をなくし、精神的なダメージを抱えて引きこもってしまう方も増え、そこに格差が生まれ、経済までも逼迫させます。

 人間は差別することによって自己を肯定しようとする傾向があるようです。だから、他者の個性を理解したり受け入れたりすることは、口で言うほど簡単なことではないのかもしれません。
 でも、目に見えて何かをアピールしたり、成果を残したりしなくても、何が得意ということがなく、ただ静かに存在しているだけでも、必死で生きているのはみんな同じです。誰しも同じだけの存在価値があるはずです。
 
 まずは、親御さんに、そんなお子さんのありのままを受け入れていただきたいです。
 また、今、周囲に適応できずに苦しんでいる人も、自分の個性に自信を持ってほしいです。誰にとっても苦手なものは苦手なのです。でも、できることはたくさんあると思います。
 
                                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                                            HP:http://tao-okayama.com

 先日5/29に行った、「純粋性」のカウンセリング講座で、C.ロジャーズの「自己概念の再体制化」についてお話をさせてもらいました。
 
 カウンセリングの創始者、C.ロジャーズによると、ストレスや生きづらさは、「自己概念」と「経験」との不一致から起こると言います。
 簡単に言うと、「自己概念」とは、自分が自分に対して抱いているイメージ、「経験」とは(普通に使う意味と全然違って)、無意識や体全体で感じているホンネのことです。
 私たちは、「自分のことは自分でよくわかっている」と思いがちですが、本当はその「自己概念」は「経験」(ホンネ)と大きくズレていることがよくあります。

 「私は淋しくない」、「私は大丈夫」、「私はいい母親だ」、「私は今の人生で満足だ」…とは思っていても、本当はそう思い込みたいだけで、ホンネの部分を努めて意識しないようにしてしまうのです。意識すると実生活の上で都合が悪いので。
 そうして、まあ私はこんなものと、どこかで妥協しながら生きていくのですが、人生のある時点で、「やっぱり変だ」と限界が来て、大変な不調に陥ったり、病気になったりします。
 その時は、おめでとう!です。やっと自分のホンネと出会う時が来たのです。とは言え、「自己概念」(自己イメージ)を変えて、「経験」(ホンネ)と一致させ、人生の方向転換をするのは、本当に大変なことです。
 
 それに付き合うのがカウンセラーです。だから、カウンセラーこそ、自分自身によく目を向け、ありのままの自分に気づき、クライエントさんの前で自分を欺かないように心掛けねばということを、参加者の方々と再確認しました。

 いろんなしがらみの中で生きているのが人間ですが、一人一人がもっと、自分のホンネを伸び伸びと生きられる世の中になったらいいなあ、とつくづく思います。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com

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