3年ほど前のことです。咳をして記憶が飛んだのです!
正確には、咳をして記憶ができなくなったというべきですが。「一過性健忘」でした。
高校教諭としての最後の年度。ちょうど考査中で殺人的に忙しく、かつ私としては珍しいことに大風邪を引いていました。熱がある上に咳が激しく、その前日も大事な会議を中座するほどでした。
さて、考査監督中、また内臓が飛び出すかと思うほどのものすごい咳に見舞われ、苦しいのなんの!でも、監督中なので教室を出るわけにもいかず…。と、この辺までは覚えているのですが……
気づいたら自宅にいて、養護教諭とともに入院の準備をしていました。どうやら入院するらしい…とうすらぼんやり思った覚えはありますが、その後またしばらく記憶がなくて、病室で入院の準備が整ったとこらへんから、事態がだんだん飲み込めるようになりました。
主治医の先生から一過性健忘と言われ、「一過性健忘」という言葉を知らなかった私は、「解離性健忘!精神に異常が来てしまった!」とうろたえましたが、主治医は内科の先生で、静養すれば大丈夫ということで、ひとまずホッとしました。
養護教諭は私と同級生の、普段から仲良くしてもらっている先生でした。
その由美ちゃんの話によると、私は試験後、無事に回収したらしい答案を持ったまま、「何か変なの」と保健室に駆け込んだらしい。同じ話を何度も繰り返す私に、由美ちゃんはすぐ、「一過性健忘だ!(頭にボールが当たった子どもが一時的に記憶をなくすのと同じ)」と気づいてくれ、私を車で脳神経外科に連れて行き、入院までずっと付き沿ってくれたのです。午後の会議を他の人に任せる段取りや、管理職への連絡や、入院後の私のプライベートな予定のキャンセルまで全部。本当にありがとう!!
私はというと、本当に何も覚えてないのです。
咳をして骨折したというのは聞いたことがありますが、咳をして「一過性健忘」になるとは!きっと、咳の衝撃で脳の海馬への血流が止まったのです。だから、全く記憶が蓄積されず、フロイトの抑圧理論も催眠療法も通用しない、空白の5時間ほどを人生に持つことになってしまいました。
その間、何か変なことを言わなかったろうかとすごく不安でしたが、そうでもないらしい。「ここはどこ?」とか「どうしてここにいるの?」とかは数え切れないほど言ったらしいですが。病院に行く途中、迷ってラブホテルに入りそうになって「私たちは違うよね」と言う由美ちゃんに、私は「でも、同性愛の人を差別しちゃいけないよね」と、真面目なことまで言ったらしい。(当時、LGBTの人たちの人権を真剣に考え中でした)
ともかく、理性は失ってなかったらしいのでホッとしましたが、怖かったのは回復が始まったときです。何事も覚えられない。覚えたそばから記憶が飛んでいくのが分かるのです。自分の脳が信じられないというのは恐怖です。
その日の夜には、記憶機能は回復しましたが、「記憶が飛んでいくという記憶」に当分の間、悩まされました。抗不安剤のお世話にもなりました。
後日、私のカウンセラーの富士見ユキオ先生にこの体験を報告したら、すぐさま「貴重な、死の世界の体験だ」と言われました。これも「死と再生」の儀式でした。
実は、この1ヶ月ほど前、早期退職を決意して校長先生にご報告したところだったのです。それまで10年以上も怒涛の心のプロセスを歩んできましたが、その仕上げがこれだったのか…!
そんなこんなもあって、お陰さまで「心理面接室TAO」2年目です。人生いつ何が起こるか分かりませんが。タオに委ねて乗り切りたいです。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com
正確には、咳をして記憶ができなくなったというべきですが。「一過性健忘」でした。
高校教諭としての最後の年度。ちょうど考査中で殺人的に忙しく、かつ私としては珍しいことに大風邪を引いていました。熱がある上に咳が激しく、その前日も大事な会議を中座するほどでした。
さて、考査監督中、また内臓が飛び出すかと思うほどのものすごい咳に見舞われ、苦しいのなんの!でも、監督中なので教室を出るわけにもいかず…。と、この辺までは覚えているのですが……
気づいたら自宅にいて、養護教諭とともに入院の準備をしていました。どうやら入院するらしい…とうすらぼんやり思った覚えはありますが、その後またしばらく記憶がなくて、病室で入院の準備が整ったとこらへんから、事態がだんだん飲み込めるようになりました。
主治医の先生から一過性健忘と言われ、「一過性健忘」という言葉を知らなかった私は、「解離性健忘!精神に異常が来てしまった!」とうろたえましたが、主治医は内科の先生で、静養すれば大丈夫ということで、ひとまずホッとしました。
養護教諭は私と同級生の、普段から仲良くしてもらっている先生でした。
その由美ちゃんの話によると、私は試験後、無事に回収したらしい答案を持ったまま、「何か変なの」と保健室に駆け込んだらしい。同じ話を何度も繰り返す私に、由美ちゃんはすぐ、「一過性健忘だ!(頭にボールが当たった子どもが一時的に記憶をなくすのと同じ)」と気づいてくれ、私を車で脳神経外科に連れて行き、入院までずっと付き沿ってくれたのです。午後の会議を他の人に任せる段取りや、管理職への連絡や、入院後の私のプライベートな予定のキャンセルまで全部。本当にありがとう!!
私はというと、本当に何も覚えてないのです。
咳をして骨折したというのは聞いたことがありますが、咳をして「一過性健忘」になるとは!きっと、咳の衝撃で脳の海馬への血流が止まったのです。だから、全く記憶が蓄積されず、フロイトの抑圧理論も催眠療法も通用しない、空白の5時間ほどを人生に持つことになってしまいました。
その間、何か変なことを言わなかったろうかとすごく不安でしたが、そうでもないらしい。「ここはどこ?」とか「どうしてここにいるの?」とかは数え切れないほど言ったらしいですが。病院に行く途中、迷ってラブホテルに入りそうになって「私たちは違うよね」と言う由美ちゃんに、私は「でも、同性愛の人を差別しちゃいけないよね」と、真面目なことまで言ったらしい。(当時、LGBTの人たちの人権を真剣に考え中でした)
ともかく、理性は失ってなかったらしいのでホッとしましたが、怖かったのは回復が始まったときです。何事も覚えられない。覚えたそばから記憶が飛んでいくのが分かるのです。自分の脳が信じられないというのは恐怖です。
その日の夜には、記憶機能は回復しましたが、「記憶が飛んでいくという記憶」に当分の間、悩まされました。抗不安剤のお世話にもなりました。
後日、私のカウンセラーの富士見ユキオ先生にこの体験を報告したら、すぐさま「貴重な、死の世界の体験だ」と言われました。これも「死と再生」の儀式でした。
実は、この1ヶ月ほど前、早期退職を決意して校長先生にご報告したところだったのです。それまで10年以上も怒涛の心のプロセスを歩んできましたが、その仕上げがこれだったのか…!
そんなこんなもあって、お陰さまで「心理面接室TAO」2年目です。人生いつ何が起こるか分かりませんが。タオに委ねて乗り切りたいです。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com