2016年12月

 昨日、初めての「ドリームワーク -「夢」を語るー」セミナーを行いました。ご参加は3人と少なかったですが、おかげで一人ひとりの夢について、深くワークすることができました。
 「夢」は無意識からのプレゼントです。「夢」を頭で理解するのではなく、「夢」の中に入りながら、「夢の続きを夢見る」ことで、不可思議だった夢からの貴重なメッセージをともに味わう時間となりました。
 ご参加の方々のご感想を紹介させていただきます。

●自分が転機を迎えつつあるという自覚のある今、印象に残っている自分の夢を皆で扱ってもらえて、この体験を忘れないでいようと思います。皆さんの夢もシェアできて、夢の持つ力の何という豊かなことか、と感動しています。
●ここ1~2年で自分と他者とのかかわり方とかを考えるようになったので、夢にもその部分が強く反映されているんだということが、今日わかりました。今後自分をどういう方向にもっていけばいいのかをさらに考えてしまいました。とても深い有意義な時間でした。
●初めてのドリームワーク、とても緊張しました。体験してみて、こんなに深く自分の中に入っていけるのかと思い、不思議な感情でした。これまで、夢の表面的な解釈だけをしていましたが、自分の生活や感じていることを見据えての夢が、どうしてこんな表現として出てきたのか、思いを深めることができました。とても素晴らしいワークでした。

 今回のセミナーでは、HPにも書いている私自身の「トイレの夢」についても、お話しさせていただきました。
 トイレの化け物を退治しようとして便座の蓋を閉じて閉じ込めたら、その化け物は真っ白な神様に変身して、真っ白なバスタブからニヤッと笑いながら出てきたのです。そして、「助けてくれてありがとよ」。対面の瞬間のあの清々しさは忘れようもありません。さまざまな囚われからの解放でした。それまでたくさんの思いや夢をワークしてきて、やっとたどり着いた境地でした。
 たくさんの人が見るという「トイレの夢」の象徴的な意味を再確認し、自分のプロセスを振り返るいい機会になりました。あの夢がなかったら、私はいつまでも退職・開業することができなかったのは確かです。

 「夢」が変わるにはどうしたらいい? やっぱり、自分が変わらなきゃ。でも、変わろうとする気持ちや、「夢」に向き合おうとする姿勢があるだけでも、「夢」は変わる。
 そうでなくても、どうしようもなくしんどくて行き詰ったときに、温かい救いが「夢」に現れてくれることもある。それは結局は、自分の中にある「自己治癒力」であったり、「仏性」であったりするんだろう。
 昨日はそんなことも語り合い、楽しかったです。

 このセミナーはまた形を変えて実施しようと思います。ご関心のある方はどうぞご参加ください。


                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com                  


 
 

 12月9日は、文豪夏目漱石の命日でした。今年は没後100年のメモリアルイヤーです。先日は「漱石アンドロイド」が登場し、159㎝と小柄ながら堂々たる風格の漱石を偲ぶこともでき、「夢十夜」の「第一夜」ではありませんが、「百年はもう来ていたんだな」です。

 私は、学生時代に漱石の作品はほぼ読破しました。レポート締め切りに襲われる年度末、無性に漱石を読みたくなるのです(明らかに「逃避」行動)。焦りに駆られながらも、どうしてもレポートより漱石にハマってしまい、レポートを提出せず「捨てた」講座もありました…。今振り返ると、漱石作品に充満している「生きづらさ」に引き込まれたのだと思います。

 しかし、なぜか「吾輩は猫である」だけは未読だったのです。今年になって初めて、朝日新聞の連載で読んでいます。(5月のブログでも書きました。「鼻毛を一本一本立てて吹く!?」)
 「吾輩」の鋭い観察眼に感服しながら楽しんでいますが、いつぞやの「吾輩」の「蟷螂(かまきり)狩り」のシーンにはゾッとしました。あまりにも残虐です。こんなことが書ける漱石は「行為障害」ではなかったか、と思うほどです。
 その後も、漱石一流の人間社会への風刺が続いています。それは自らに対する自虐的な風刺でもあるように思います。
 が、後期の作品に見られる、人間の内面のドロドロに迫る凄みはまだうかがえません。センセーショナルな文壇デビューを果たした漱石ですが、初作はこんなものだったのか、という思いもぬぐえません。

 秋ごろ放映された、NHKのドラマ「夏目漱石の妻」では、「漱石」(屁理屈を並べ立てて言い逃れる)の名にふさわしく、ひねくれた性格がリアルに描かれていました。生まれてすぐに店先に捨てられ、大人たちの都合で養家へ実家へと翻弄され、そこに金銭トラブルも絡むという生い立ちで、孤独感や人間不信を抱えることになったのは無理からぬことです。ロンドン留学では強烈なカルチャーショックに見舞われ、「神経衰弱」に陥った漱石の身勝手な狂暴ぶりも、あながち誇張ではなかったろうと思います。
 圧巻はドラマ最終回の「修善寺の大患」でした。胃潰瘍で療養中だった伊豆修善寺で大吐血し、数日にわたって生死の境をさまよったのです。夫の吐血を胸に受け止め、真っ赤に染まりながら奔走する鏡子夫人の献身ぶりは、胸を打ちます。
 
 こんな修羅場を生き延びて、人間変わらないはずがない、と思いました。
 回復後、漱石が手掛けた作品の数々は壮絶です。徹底的な人間のエゴイズムの追究。特に、やはり「こころ」は傑作です。「猫」では他人事のようにもてあそんだ蟷螂への残酷さを、命を賭して我が事として暴いていく迫力には身震いがします。
 「修善寺の大患」は、まさに漱石の「死と再生」の瞬間でした。
 
 漱石の胃潰瘍は癒えることなく、わずか49歳で世を去ることとなります。連載中だった「明暗」は未完に終わり、漱石の意図した「則天去私(天に則り私を去る)」は、果たして実現したのかどうか。そこは不明のままですが、「明暗」には不思議な透明感が漂っています。
 江戸末年に生まれ、開国の明治と共に生きた漱石ですが、作中の人物のみならず文明批評も、100年経っても非常に新鮮です。平成の私たちにとっても、日本人としてのアイデンティティを確立し、他者と共存して生きていくための示唆に富んでいます。また漱石の人生そのものも、一個の人間が命を全うするのはどういうことかを教えてくれるような気がします。

                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP: http://tao-okayama.com
  

 12月ー「師走」になりました。「師走」は陰暦での呼称なので、正式には今はまだ「霜月」なのですが。

 高等学校勤務時代、古文の授業で陰暦の月の異名を教えるとき、「普段はヒマな先生も走るから、というのは絶対に違うからね!」と、声を大にして言ったものです。「先生って年がら年中、超忙しいんだから!!」って。
(「師」とは先生ではなくてお坊さんのことらしい、ということも言い添えておきましたが)

 でも、「師走(しはす)」の本当の語源は全く違うところにあるようです。
 「し」が「果つ(終わる)」-つまり、「と(年)」が終わる、または「き(四季)」が終わる。とにかく「何かが終わる」のが「師走」ということです。「師走」は当て字です。
 
 なるほど!実感です。
 年が明けて、一日一日をバタバタと過ごして、あれやこれやの出来事もあり、季節も移り変わり、そして、長いような短いような一年が、とりあえずここで「終わる」。
 やれやれです。区切りがあるということは、人が生きていくうえで、とてもありがたいことのような気もします。

 でも、「終わり」は「始まり」を孕んでもいます。「徒然草」155段に、「木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下よりきざしつはるに堪へずして、落つるなり」とあります。
 
木の葉が落ちてから芽が出るのではなくて、下からの芽生えの突っ張りに堪え切れないから葉っぱが落ちるのだ
 確かに、天候のせいか、あまりきれいに色づかなかった今年の桜紅葉もほとんど散ってしまいましたが、既に固い莟が
プチプチせり出しています。冬の青空をバックに、とても力強いシルエットです。

 とは言え、気ぜわしい時期です。
 年賀状に大掃除、忘年会、手帳やカレンダーの新調、大切な人へのご挨拶、お正月の準備、スケジュールの調整…。思い巡らすこともいろいろ。
 心も体も走り回り、「師走」の語感もやっぱり捨てがたいですね。
 ともかく、いい芽吹きを信じて、残り少ない2016年を大切に過ごしたいと思います。

                     
                           心理面接室TAO 藤坂圭子 
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