2017年04月

 新年度が始まって半月ほど経ちました。
 いつも年明けから3月までは、矢のように早く時間が過ぎていくのに、なぜかこの時期は急にゆっくりになります。
 新しいことに馴染むのに時間がかかり、神経をすり減らしてクタクタになりがちです。
 そろそろ、GWが待ち遠しくなってくるころではないでしょうか。

 今月末から来月にかけて、申し訳ありませんが、他の業務などのため開室が変則的となります。特に土曜日の開室時間が少なくなり、ご迷惑をお掛けします。が、GW中の開室もあります。
  4月28日(金)29日(土) ×
  5月3日(水)~6日(土) 午前中○
  5月13日(土) 12時~ ×
  5月20日(土) 11時~ ×
  5月27日(土)  ×

 このあたりでホッと一息つきたい、今の生活を見直したいと思われる方、ご都合がつけばお気軽にいらしてください。
 カウンセリングのお申し込みは、HPのご予約フォームまたはお電話からどうぞ。

                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com
   

 今年の桜はよく雨に見舞われましたが、雨にけぶる桜もまた一興でした。
 桜って、咲き始めたときは白っぽいですが、だんだんと芯の方が紅色になってくるんですね。だから、桜並木も一段と華やかさを増します。でも、それがもうそろそろ終わりだというサインで、やはり昨日の雨で花びらを散らし、地面の隅の方に吹き溜まっています。今朝、手のひらに掬ってみました。柔らかくて優しくて、桜マンマができそうでした。

 そして、落花とともに山が笑い始めました!
 「山笑ふ」は春の季語です。北宋の画家郭熙の「春山澹冶(たんや)にして笑ふが如し」から季語になったということですが、本当によく言ったものです。淡い緑の新芽が一斉に噴き出して、その中にぽわっとピンクの桜が混じったりして、まるで子猫の毛並みのように気持ちよさそうです。見ているこちらも微笑んでしまいます。
 いい季節です。
 ちなみに、夏は「山滴る」、秋は「山装ふ」、冬は「山眠る」と言います。

 でも、「春愁」という言葉もあります。春なのに、いや春だからこそ気分がすぐれない。きっと「心」が季節についていかないのでしょう。クライエントさんの中には、「桜なんか咲かなければいいのに」と言う方もいらっしゃいます。
 そんな時には、いっそ「春愁」に浸ることです。目を覚ましたくない「心」をいたわり、冬の山のようにしっかり「眠る」。自分の「自然」に抗わない。無駄なあがきや動きを止め、じっくりと自分に向き合って傷つきを癒していく。
 冬にも冬の日が差しています。山はきっと眠りながらエネルギーを溜めているのでしょう。そして芽吹きの準備をしています。人もきっとそうなのでしょう。 

 今だから言えますが、実は去年の私も「春愁」どころではない愁いに浸っていました。TAOを開室して間もなく、先の見通しも立たず不安でいっぱいで、桜も山も味わう余裕なんてありませんでした。 
 心掛けたのは、ただタオに従い、自分を調えることでした。まだ十分にできているとは言えませんが、今年は笑えるようになりました。
 「笑う山」を見るにつけ、クライエントさんの「眠り」に深く付き合える自分でありたいなと思います。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com

 
 

 先週、村上春樹の「騎士団長殺し」を読了しました!
 私は特にハルキストというほどではないのですが、村上春樹の長編ファンタジーは大好きです。この新刊もとても楽しみにしていて、珍しくamazonで予約購買しました。発行が2月25日、翌26日の夜9時ごろに届きました。(お急ぎ便にしたわけでもないのに、宅配業者さん、お疲れさまです)
 ところが、それから1ヶ月ほど忙しくて1ページも開くことができず、ずっと机上に積読になっているのを尻目に、一切の書評などにも目を通さず、耐えていたのでした。
 そして、やっと先月下旬に読み始め、1週間で1000ページ、一気に読破です。何と幸せな1週間だったことか!

 まず、いつもながら文章が本当に素晴らしい。彼の体の中を確かに通り抜けたからこそ生まれたと思われる、平易でありながら淀みのない文体。また、思わず手を打ちたくなるような見事な比喩の数々。異質なものを絶妙に取り合わせて、心情やら動作やらをこんなにリアルに浮かび上がらせることができるのは、多分彼だけだと思います。
 そして、言うまでもなく、息をのむようなストーリー展開には、本当に吸い込まれてしまうのです。

 私は前々から、村上春樹のファンタジーは、心理療法の過程そのものだと思って読んでいました。特に非常にユング的。故河合隼雄氏も彼にそう話したところ、自分は特に心理学の知識はないのでそんなつもりはないなどと言っていましたが…。(多分、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」)

 人が変わるとき、泥沼の死と再生の過程を経るハメになることはしばしばです。井戸または穴(集合的無意識)に入り、起こって来る様々な出来事を排除せずに取り込み(コンステレーション)、地下通路を血みどろになりながらも潜り抜け(イニシエーション)、そして、再び現実世界に戻って来る。その時、自分は確実に前の自分とは違っている。
 「騎士団長殺し」に描かれている不思議な物語は、単なるメタファーとは思えません。

 「時間をかける必要がある、と私は思った。ここはひとつ我慢強くならなくてはならない。時間を私の側につけなくてはならない(原文傍点)。そうすればきっとまた、正しい流れをつかむことができるはずだ」という件があります。自伝的エッセイ「職業としての小説家」にも、「時間を味方につける」とあって、折に触れて私が思い出す言葉です。
 「今」という時間を大切に過ごすことを心掛けねば。また、「時間」とは無であり、永遠の広がりであり、その内に無限の多次元性を含んでもいるのでしょう。その「時間」を、いかにして味方につけるか。

 またいつか、「騎士団長殺し」を読み返したいと思います。「1Q84」や「ねじまき鳥クロニクル」も。
 村上春樹のファンタジーの世界に入り込むと、魂が洗われて、体の組成さえ新しくなるような気がするのです。


                             心理面接室TAO 藤坂圭子
                             HP: http://tao-okayama.com

 

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