2017年06月

 「大変なお仕事ですね」「人の暗い話ばっかり聞いて、疲れるでしょう」とよく言われます。「こんなことを一生懸命やっていたら病気になるので、ほどほどにした方がいい」とまで言われたこともあります。
 やっぱり、カウンセラーって疲れる仕事だと思われますか?

 そう思われるのは、多分カウンセリングに対する誤解があるからでしょう。人の暗くて重い話をただ聴いてあげるのがカウンセリングだという誤解です。どんな話も「受容」しなければならず、我慢するのがカウンセラーの仕事だと思われているのでは。
 そもそも、淋しかったり辛かったり、思い通りにならない自分に苛立ったり、誰かに対する恨みを拭い去れなかったりといった感情は、ネガティブで問題だととらえられがちですが、カウンセラーはそうは思っていないのです。

 自分を変えようと思ったら、苦しみから目を逸らさず真正面から向き合わなければなりません。それはとてもしんどい心の作業です。お金と時間を費やしてカウンセリングに来てくださり、真剣に取り組まれる姿には本当に頭が下がります。だから、一緒にしっかり苦しんで悩むようにしています。
 その時、カウンセラーは、自分の心の中で何が起こっているかを常に意識しています。それができないと知らず知らずのうちにクライエントさんの感情に巻き込まれたり、逆にカウンセラーがクライエントさんを取り込んでしまったりする恐れがあるからです。だから、瞬間瞬間の自分の感情に気づく訓練を受けています。
 
 でも、カウンセリングは「感情」だけのものではなく、「科学」でもあります。心理学や心理療法の理論は、数多くの症例から発見され体系化されたもので、机上の空論ではありません。
 私たちは、異様に体の調子が悪いとガンかもしれないとビクビクしますが、医者は身体について隅々まで把握されているから、そんなに慌てません。同じように、カウンセラーは「心」についての知識があるので、クライエントさん本人より、何が起こっているのか、発達のどのあたりで躓いているのか、どういうことが課題なのかなどについて、ある程度は見通しが立ちます。だから、一緒に暗いトンネルの中でうずくまることができるのです。どんな心理的アプローチが役に立つかについても、常に考えながら進めます。

 それから、カウンセラーは決して我慢ばかりもしていません。クライエントさんのためと思えば、少々痛いことも言います。クライエントさんも「いい人」から脱却して「灰汁(あく)」が出せるようになると、すごく力強くなられます。カウンセリングは、クライエントさんとカウンセラーのアクティブな協働作業です。
 そんな試行錯誤の連続ですが、クライエントさんの変化は、思わぬところからやってくることが多いです。何だかわからないけどフッと楽になったとか、気づいたら今までできなかったことをしていたとか、タイムリーに意味ある出来事が起こるとか。不思議です。 

 カウンセラーは疲れないと言ったらウソになります。
 でも、クライエントさんとともにしみじみといい時間を過ごさせてもらって、むしろ感動をいただくことがしばしばです。深い心の世界をともに旅するというのは日常では味わえない、本当に特別な体験です。とても喜びに満ちた仕事です。 
 クライエントさんに十分に寄り添えるよう、もっと力を付けたいです。そのための一番の研究対象は、やっぱり自分自身かなと思います。


                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com

 

 先日6/11、ユング心理学セミナーⅤ(元型論4)を終えました。

 今回の資料として用意したユングの原著の中に、「道徳的価値判断は不確かであって、善と悪は見分けのつかないほどに協働しており、罪と苦しみと救いとは糾(あざな)える縄のごとくである」という件がありました(「元型論」林道義訳)。
 おそらく白か黒かをはっきりさせなければ気が済まなくて苦悩していた神学生が、白が黒であり、黒が白であるといったモチーフの夢を見るのです。彼の固い意識の補償としてのこの夢が取り上げられているところで、上の言葉が出てきます。何が善で何が悪なのか本当のところは分からない。何が幸いするか災いするかも分からないし、「罪と苦しみと救い」さえ混然一体のもの。
 この夢は、この不確かで危険な道を「幾多の変転と苦労」の後に乗り越えると、その先に「楽園の鍵」が見つかったというオチになります。

 ちょっと前の「TAOエンカウンター」でも、いろんなことが重なって、まさに「禍福は糾える縄の如し」の日々だったというお話が語られ、とても印象に残りました。このことわざは、よく単純に「幸と不幸は表裏一体でかわるがわるやってくる」と説明されていますが、その方のお話を聴いていると、起こること全てに白黒をつけず意味あるものとして受け止めていくと、「禍」と「福」が撚り合わさって一本の縄が着実に出来上がっていく  ー人生が迷いのない確かなものになっていくー のが目に見えるように感じたのです。
 小さいころ、田舎に遊びに行くと、腰が曲がって小さくなった祖母が縄を編んでいました。スルスルと魔法のように縄を編み出していく祖母を、何とも言えず眩しく感じたのを思い出しながら、その方のお話を聴いていました。

 今回のセミナーのメインは、元型の一つである「老賢人」でした。知恵の具現者としてのイメージの強い「老賢人」も、全ての元型と同じく両面性があるというお話もしました。次回セミナーで詳しく説明する「個性化(自己実現)の過程」への入口を感じていただけたかと思います。ユングの「個性化の過程」はつまるところ、「相対立するものの統合」です。
 ユングは東洋思想にも通じていて、「易」や「陰陽論」にもよく触れています。
 「陰」と「陽」も「糾える縄」のように、不可分で一体のものなのでしょう。「陰陽太極図」にはその奥義を感じることができます。                                                                                                                       

 私はもうかれこれ10年以上、太極拳を習っています。お稽古ではよく「陰」と「陽」のことを言われます。左手が「陽」のときは右手は「陰」。脚もしかり。足の裏にも「陰」・「陽」がある。次々に入れ替わる「陰陽」を常に意識しながら、宇宙からいただいた「気」を体中に流していく。
 難しいんです、これが…。まだまだです。でも、この自在感がつかめると、体も心も人生ももっと楽になって、カウンセラーとしてもお役に立てるのではと思います。
 昨年、準師範になりました。また心してお稽古に励みます。
                                      
 
                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com


 「プラザ岡山」6月号に、「アイデンティティ」について載せていただきました。
 「これが自分!」という実感を持って、社会の中で伸び伸びと生きられたらいいなあという願いを込めました。でも、口で言うほど簡単なことではないですよね。

 「アイデンティティの獲得」は、一応青年期の発達課題ということになっていますが、現代では年齢を問わず突き付けられる課題だと思います。多忙で複雑多様な世の中では、どう自分を作っていいか分からず、右往左往のまま年齢を重ねてしまいがちです。
 それに、日本ではむしろ「自分がない」方が美徳とされてきた感があって、「空気が読めない」とか「自己チュー」とか言われないように、ひどく神経を使ってしまいます。表面的には問題なく暮らしていても、内面は何が何だか分からなくなって苦しんでいる方も多いと思います。
 一昔前なら、それでも家庭やコミュニティの包容力がもっとあって、お互いを認め合う温かい空気があったのに。経済もこんな逼迫感はなかったので、ぼんやりしたままでも十分に穏やかに暮らしていけたのに。
 厳しい時代になったなあと思います。でも、ここを乗り越えるためには、やはり少しずつ「自分」を作っていくしかないのでしょう。

 TAOにも、こんな生きづらさから脱出したい!ということでいらっしゃる方が多いです。
 考え方や振る舞い方を変えるのは、とても勇気がいるし怖いことです。まず、これまでの頑張りをねぎらい、自分の気持ちを優しく受け止めることが大切です。特に何か立派なことをする必要はないのです。次への新しい一歩が踏み出せ、自分にしっくりくる在り方がつかめるよう、お手伝いできたらと思っています。
 
 私自身、退職・開業して、ようやく自分の生き方に違和感を感じなくてすむようになりました。それまで、それはそれは大変でした。まだ楽ではないし、不十分なところもたくさんありますが、死ぬときにこれでよかったと思いたいので、TAOにいらしてくださる方とともに、自分の可能性を問い続けていきたいと思います。
                         
           アイデンティティ

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                         HP:http://tao-okayama.com

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