2017年07月

 「この年になって…」という言葉をよく聞きます。
 クライエントさんの中にも、「この年になってまだ親を許せないなんて情けない」「この年になっても自分の中の子どもが癒されていない」「この年になってこんなに自分が思い通りにならないなんて、今まで何をやってたんだろう」などと言われる方がたくさんいらっしゃいます。
 私は、「『この年になって』はないですよ。何事も気付いた時が『時機』ですよ」と、「年齢」に関係なく、クライエントさんの「今」の中にある疼き(うずき)を、一緒に丁寧に見ていくようにしています。
 
 実際、人間の心って、年を重ねたからといって教科書通りには出来上がりませんよね。行ったり来たりしながら、デコボコも残したまま、いびつだけども私たちはそれを抱え、その時その時をがむしゃらに生きています。やり残したこともあるし、古傷が痛むこともあります。このままではいけないなあ、と思いながらも忙しさにかまけて、なかなかゆっくり考えてみようとは思えないものです。

 でも、不思議なもので、ふとそれに取り組んでみようという「時機」が来るようです。そんな時、また不思議なことに、「出会い」があるようです。
 もう限界だーと行き詰ったとき、今まで気づかなかったTAOの看板が目に飛び込んできたとか、大切な人の3回忌には心の整理をしようと思っていたら、ちょうどプラザにTAOの記事が出ていたとか、「いろんな偶然が重なってここに来ました」ということがよくあり、「ご縁ですねえ」などと言いながら、しみじみとカウンセリングが始まります。

 時計のように直線的に進んでいく量的な時間を「クロノス」、時計では測れない内的で質的な時間を「カイロス」と言いますが、現代人はものすごく「クロノス」に縛られています。いついつまでにこれを仕上げなければならない、何歳になったらこれができて当たり前、何事も効率よく時間を無駄にしてはいけない。
 もちろん、現代社会をうまく生きるためには「クロノス」に沿うことも必要ですが、度が過ぎると大切な「カイロス」が置き去りにされて、中身のないカスカスの時間ばかりが過ぎ去ってしまいます。
 「カイロス」は時計的時間の長短とは関係なく、真に「生きている」時間。バタバタしているときほど、「今」自分の中で起こっていることに目を向け、海に錨を下すようにしてそこにとどまり、じっくりと味わう姿勢が大切です。そうするとなぜか「機が熟して」思わぬ変化が起こるものです。これこそ、「タオ」に従うということなのでしょうね。

 私は、このブログを、一応「クロノス」的に1~2週間に一度は更新しようと思っていて、そうすると少しずつ書きたいことがまとまってくるのですが、それは時計が進むからまとまるというだけでなく、何となく自分の中で何かが流れて形になるといった感じなのです。(というか、そうなるまで書けない…)
 今回は3週間も空いていしまいました。暑いし、やることが多くて、何だか「カイロス」とうまくつながらず、やっと今日になりました。ご勘弁あれ。
 でも、いつも読んでくださってありがとうございます。これからも、「カイロス」の中で生まれた嘘のない言葉でお届けしたいと思います。また読んでくださいね。


                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com 

 夏本番です。毎日暑くて大変ですが、来てくださる方と心涼やかになれるよう、過ごしたいと思っています。
 お盆前後の開室についてお知らせします。

   11日(金・祝日) 9時~16時まで開室します
   12日(土)    通常通り開室(9時~13時)
   13日(日)~15日(火) 閉室
   *26日(土)   都合により閉室します

 もしご都合がつけば、どうぞお越しください。
 みなさまくれぐれもご自愛ください。

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                         HP:  http://tao-okayama.com

 「心で悩む」ことができない人が増えているように思います。
 「ん? 『悩む』って『心で悩む』んじゃないの? 」という声が聞こえてきそうです。確かに「悩」はりっしんべんで「心」の作用を意味します。でも、「体で悩む」「行為で悩む」「夢で悩む」ということも、しばしば見受けられます。

 高等学校教諭時代、いつごろからか「心で悩めない子が増えてきたなあ」と感じました。自傷行為や過呼吸などの症状が目立ち、しかもそれらは「感染」して増えていくような印象さえありました。私は担任や相談係として、その背景の「悩み」に付き合おうとするのですが、その子たちはなかなか「悩めない」のです。よく使う言葉は「分からない」とか「ビミョー」でした。
 心理教育の講座を立ち上げ、心理学の知識を伝えながら自分を振り返る演習もたくさんしましたが、取り組むのが難しい子もいました。その子たちのほとんどは、基本的な生活習慣や学習習慣が身に付いていなくて、悲しいほど無気力でした。

 この背景はいろいろ考えられますが、ネットやSNSの普及は大きいと思います。
 一昔前は、人間関係で困ったら、いろんな人に相談したり、実際に相手と話し合いをしたりして、何とか解決の糸口を探ったものです。でも、今はSNSに悪口を投稿して同調してもらえたらそれで終わり。気に入らない人を攻撃、排除して盛り上がるバーチャルな場が、その人の唯一の居場所です。
 自分自身の性格や生き方についても、ネットで情報検索。自分と同じような人がいると安心し、自分の症状はこれに違いないと納得はしても、ベクトルは自分の内面に向いていないので、やはり空しさはぬぐえません。
 人間の「心」は、生まれた直後から、親・家族・学校・社会との関係の中で発達します。現実の関係の中で守られ、認められ、交渉し、お互いに葛藤を乗り越えていくということを通して、「心で悩む」力ー内省力も育まれていきます。
 「関係」が希薄になって顧みられなくなる時代は、怖いです。

 「心で悩む」ことができないのは、若い世代に限ったことではありません。
 自分に向き合えず、「行為で悩む」大人の方もたくさんいらっしゃいます。主には依存症です。アルコール依存、ギャンブル依存、薬物依存、ネット依存、ゲーム依存、仕事依存、買い物依存、恋愛依存…。または強迫行為。
 明るくて前向きな人として尊敬され、それを自負している人の中にも、実は心の空しさを何かを「すること」によって紛らわしている人は多いです。そういうのを「躁的防衛」と言います。
 実は、ある程度「うつ」を抱えられる方が人間は健康なのです。それができずに「躁転」-テンパっているしかなくて、内面に矛盾を感じたまま過ごしていると、いつかは無理が来ます。そうすると、人間関係で破綻を来したり、「体で悩む」-身体症状に現れたり、「夢で悩む」-悪夢を見たりすることにもなります。

 これではダメだと思い立ち、何とか対症療法的に治そうとしても、なかなかうまくいきません。やはりきちんと「心で悩む」ことが必要なのです。空しさ、淋しさ、悲しさ、怒り、恐怖、後悔、自己嫌悪感…に向き合うことです。
 でも、そもそもそれが苦しいから逃げざるを得なかったわけで、一人では無理なのです。人間は弱いので、どうしようもない感情を一緒に抱える人、場、関係が必要です
 こんなとき、カウンセリングに来ていただけたらと思っています。自分を見つめて立て直していくというのはしんどい作業です。脱皮するまで数年以上はかかることも多いです。
 それでも、それをするのとしないのとでは、その先の人生の色が変わると思います。


                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com      

 
 

 
 
 

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