2018年01月

 子どもが不登校ということで相談にいらっしゃる方に、私はよく、しっかり話をしましょうと言います。子どもとだけではなく、夫婦の間でも。
 でも、多くの方は苦~い顔をされます。簡単なことではありませんよね。
 子どもは、「学校」の「が」の字が出ただけで、ふさぎ込む、逃げる、または荒れる。そして、「主人とは合わないんです」「子どもが主人を恐れてしまっていて…」。 表面的には穏やかさを保っても、家じゅうが硬直状態に陥ってにっちもさっちもいかない状況で、内面的にはそれぞれが孤立して苦しんでいらっしゃいます。

 そもそも、日本人は「対話」が苦手です。「以心伝心」を美徳とし、それが可能だと信奉しているフシがあります。伝統的に、「個」よりも「家」を守り、「空気」を重んじてきたので、メンと向かってヒザを突き合わせて話をするなんて照れくさくて、文化の中に定着していません。
 結婚するときは誰しも、温かい家庭を築こうと夢見、こんな生活をしたい、子どもは何人ほしい、いつどんな家を建てようかとかのライフプランは持ちます。でも、それを実現するためには深い「対話」が必要だ、という覚悟がありません。 
 
 河合隼雄氏がよく書かれていますが、欧米人の結婚と日本人の結婚は大きく違うところがあります。
 欧米では、まず男女とも何らかの試練を経て「個」を確立した後に結婚する。モーツァルト「魔笛」のタミーノとパミーナのように。
 一方、日本では「個」の感覚がなく、互いに未成熟なまま結婚します。昔話では、「鶴女房」のように素性を隠しての異類婚ー結局は破綻しますーも、たくさん伝えられています。
 「個」が確立しない日本人には、「自分と人は違う」という感覚が弱いように思います。結婚して一緒に暮らしていれば、愛があれば、何とかなる。お互いに、話はしなくても自分のことは分かってくれるはずと思い込み、期待します。それは幻想だったと気づいた後も、修正する「対話」のスベを持ちません。

 子どもは、「対話」によって自分という存在を確認していきます。言葉が鏡になるからです。でも、家庭内がコミュニケーション不全だと、子どもは自分のことがよく分からないまま、コミュニケーション能力も身につかず、学校で苦労することとなります。
 しかも、父親と母親の態度が違い過ぎると、子どもは甘い方、多くは母親に付きます。そこで、母親は父親から子どもを守る形で過保護となり、子どもの自立をますます妨げてしまいます。また、子どもの親イメージは、外の世界に投影されるので、人は自分の思い通りになると勘違いしたり、訳もなく人を怖がったりしがちです。

 家族療法では、不登校の子どものことを、クライエントとは言わず、「IP(Identified Patient)ー患者とされた人」と言い、家族の問題が子どもに具現されていると見ます。つまり、子どもは「こんな家族は嫌だー!」と叫んでいるのです。
 本音を語り、よく聴き合って違いを理解し、それでもお互いを尊重しながら、落としどころを見つけていいく。本当に難しいことです。でも、そんな家族の「対話」を一から積み上げていく努力を始めると、絶対に将来が変わってくると思います。そして、それぞれが伸び伸びと「私」の人生を生きることができますように。

                            心理面接室TAO  藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com

 2月・3月の開室・閉室について、お知らせします。
 ほぼ通常通りですが、以下のところはご注意ください。

   2/12(月・祝日)  ✕
   2/17(土) 11:00~ ✕   
   3/20(火)・3/21(水・祝日) ✕
 
 午後はスクールカウンセリング等で外に出ているため、受けにくくなっています。
 お問い合わせください。
 土曜日はご希望が多いので、お早めにお申し込みください。 

 寒い日が続きますが、「冬来たりなば、春遠からじ」です。
 心が冬真っ只中の方、次の芽生えのための大事な時期です。
 鬱っぽい気分や困難も自分の一部です。
 目をそらさずに向き合いましょう。
 その中に、必ず次へのステップのヒントがあります。
 でも、一人で抱えるのは大変です。 
 歩みを確実にするため、一緒にじっくり取り組みましょう。


                             心理面接室TAO 藤坂圭子
                             HP:http://tao-okayama.com

 人間社会では古来、誕生・成人・結婚・死亡など、人生の節目節目に際して、数々の儀式ーイニシエーション(通過儀礼)が行われてきました。各自が自分の成長を心に刻み、次の段階への移行の覚悟を決めます。同時に、その新しい段階の人として、地域社会に認められ、役割を与えられます。
 体は自然に成長していきますが、社会で生きていく上で、どんな心持ちで、どう役割を担っていけばいいのかについては、時の流れに任せていても簡単には自覚できません。だから、人工的に、イニシエーションというものが企画・実行されてきたのです。先人の知恵です。

 日本では、地域や時代によって呼称や違いますが、12~18歳くらいでいわゆる「元服」を迎えたようです。今で言う「成人式」ですが、今と違ってそれは本当に「大人の仲間入り」でした。髪型・服装が改まり、職を持ち、結婚もします。
 文化人類学の研究では、未開部族の様々なイニシエーションが報告されています。多くは、抜歯・刺青・穿孔・断指・割礼など身体的苦痛を伴う残酷なもので、「野蛮」としか見えないかもしれません。しかし、そうして否応なく大人社会に放り込まれた者は、古い自分を捨てて自我を鍛え、社会は維持されます。「野蛮」にも意味があるのです。
 ただ、女子のイニシエーションは、伝統・文化の名のもとに、男性社会に都合よく歪められていることがあります。全くの人権蹂躙です。

 最近では、成人式にしろ結婚式にしろ葬式にしろ、儀式というものが軽んじられるようになりました。「形」だけのためにお金や労力を費やすより、自分が納得できればそれでいいというのももっともです。
 けれど、社会が担っていたこの大きな役割を、個人で引き受けるというのは、実は大変なことです。

 儀式が消滅したり形骸化したりする中で、個人個人が、自分の節目をしっかり自覚しながら、心持ちを改め、ステージを上がっていかなければなりません。漫然と流れていく時間の中で、自ら立ち止まり意味づけをしていかなければなりません。
 それは、儀式の形をとらない、ごく個人的な出来事かもしれません。
 一人旅をする、ボランティアに参加する、自分自身を表明してみる。また、親への反抗、何かをぶち壊すこと、危険な恋に賭けてみることも、大きなイニシエーションとなるでしょう。夢の中で象徴的に成し遂げることもあります。
 大切なのは、その意味をきちんと自分の中に落とし込むことです。

 先日8日は成人の日でした。各地で華々しく成人式が行われましたが、今年もお酒をひっかけ、我が物顔で振る舞う新成人の姿が報道されました。彼らにとっては、今こそが大人に対する復讐のときなのでしょう。それから、振袖で着飾ることにどれほどの意味があるのか、と思わされもしました。 

 従来のイニシエーションが機能しない今、もう一度社会全体でイニシエーションの意味を問い直し、再構成しないと、個人の成長も社会の安定も、ますます危うくなってしまいそうです。
 こんな難しい時代だから、意図的に個人のイニシエーションを進めることも必要です。意を決して自分の殻を破ってみる。そうはできなくても、困難の渦中にあるときは分からなかった意味を、じっくり振り返って自分のものにする。
 イニシエーションの軌跡を確実に留めながら、丁寧に人生を紡いでいきたいものです。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com
     

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