2018年03月

 ちょうど1週間前の春分の日。例によって、インスティチュート・オブ・プロフェッショナル・サイコセラピーの研修を終え、頭がパンパンのまま羽田へと急いでいた日比谷駅で、階段から落ちたのです!
 あの日の東京は本当に寒かった。私はウールの柔らかい生地のワイドパンツにスウェードの靴という出で立ちで、左手にキャリーケース、右肩にバッグを抱え、エッチラオッチラ階段を下りていたのですが、あと10段ほどのところで、んっ!? 多分、パンツの裾に靴が引っ掛かったのです。
 しかし、もともと運動神経はまあまあだった私は、何とか着地できる!と信じてバランスを取ろうとしたのですが、気がついたら荷物を遠くに放り出し、何と顔面から激突です。

 ああいうときは何が起こったのか分からないまま、強がって立とうとするんですね。で、すぐ立てた! それに歩ける! けど、きっと顔は大変なことになっているに違いない。顔をさすって手のひらを眺めてみたのですが、どうやら出血はしていないらしい。やれやれ。そして、脚の痛みに耐えながら、次のホームへと急いだのでした。
 私がこんなだから、みなさんさっさと通り過ぎていかれるのですが、一人女性の方が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくださいました。嬉しかったです。
 それにしても、公衆の面前であんなにド派手に転んだのは初めて。でも東京でよかった。「旅の恥はかき捨て」? 無事に地下鉄に乗れた後、一体どんな図だったんだろうと想像すると、我ながらおかしくて笑えてくるのでした。その後乗り換えて、予定していた羽田行の急行にギリギリ間に合いました。

 女性のみなさま、ワイドパンツはやっぱり要注意です! それ以上に要注意なのは、トシをわきまえずに自分の力を過信することです。

 でも考えてみたら、冷静になって手で階段にしがみつこうとしていたら、私はフルートが吹けなくなってたかもしれません。25日の日曜日は、去年大失敗をしたフルートフェスティバルでした(去年のブログ「ああ、大失敗…!」)。あちこち打っていたのでずいぶん不自由しましたが、フルートには支障がありませんでした。今年は大きなミスなく、楽しく終えることができました。
 顔に傷もなく、荷物も服も無事で、何だか奇跡のように思えます。まだ痛さは残っていますが、毎朝のウオーキングも再開できています。桜が日に日に見事です。ありがたい気持ちでいっぱいです。

 1ヶ月ほど前、2度目のひどい五十肩で、お茶碗も持てないほどの痛みを味わいました。でも、フルート仲間の整形外科医の勧めで、注射1本でウソのように楽になりました。かと思いきや、その後は風邪が長引き、そして珍しく胃腸炎にもなったり。そして、この事故!
 生きているといろんなことがあるもんです。それに、季節の変わり目や寄るトシナミには勝てません。
 分をわきまえつつ、丁寧な心持ちで新年度を迎えたいと思う今日この頃です。

                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com
 

 昔から「好きな季節は?」と聞かれると、「春」と答えていました。それも、ほんの春先の2月ごろ、まだ梅も咲かない「光の春」のころ。極寒ですが、「冬来たりなば春遠からじ」で、季節は確実に巡るものなんだとしみじみ感じます。
 でも、好きなくせに妙に心が疼いて、若いころは仕事帰りの車の中で、一人さめざめとよく泣いたものです。どうしてだかよく分かりませんでしたが、そのうち、この明るさに自分の心がついていかないんだ、と気づきました。

 その車の中では、たいていシューマンの交響曲第2番を聴きました(第1番「春」ではなく)。オーケストレーションが下手なシューマンの4つの交響曲の中でも、一番不出来な曲とされます。暗闇から光が差すように始まるのですが、ハ長調なのにくすんでいて明るくない。最後は華やかに締めくくるものの、ずーっとあいまいさが漂っていて、どこか救われない感じ。あまりに切なくて、愛しさまでこみあげてくるのです。今でも大好きな曲です。
 シューマンはとても繊細な人で、のちに精神を病んでライン川に身を投じて自殺を図ります。幸い助けられたものの、最期まで闘病が続いたと言われています。 

 大伴家持の、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」(万葉集)も好きです。青空に吸い込まれるように雲雀が消えていく春光ののどかさの中で、一体何を悲しむのか。でも、悲しいんです。
 「かなし」の語源は「かぬ」という動詞で、例えば「我慢しかねる」のように、自分ではどうにもコントロールできなくて湧き上がってきてしまう感情を言います。(だから、子どもが可愛くて仕方ないという気持ちも、「かなし」と言いました)

 春に悲しいなんていう感性は、人間がもっと野性的でおおらかだった万葉初期の頃にはうかがえません。社会が近代化して複雑になると、心のコントロールが追いつかなくなります。「愁」という字は「秋」に「心」と書くのに、「春愁」という言葉が生まれるのも納得です。
 春愁のまぼろしにたつ仏かな(飯田蛇笏) 人の世に灯のあることも春愁ひ(鷹羽狩行)
 
 今年は冬が厳しすぎたので、春の訪れが格別です。でも、「春愁」真っ只中の方もたくさんおられることでしょう。
 私にも、「桜なんか咲くな!」と叫びたくなる春がたくさんありました。今だから言えますが、TAOを開室したばかりの2年前は不安でいっぱいで、とってもきつかったです。お陰様で、今年は心から桜を楽しみにできます。
 きつい春は、宮沢賢治の「春と修羅」の一節が頭の中で響きました。
 「四月の気層のひかりの底を  / 唾 (つばき)し はぎしりゆききする  /  おれはひとりの修羅なのだ」「ああかがやきの四月の底を  /  はぎしり燃えてゆききする  /  おれはひとりの修羅なのだ」
 なんだか戦士みたいですが、「春愁」を生き抜こうとする意地と誇りを感じます。
 みなさまも、どんな時も誇りを失わずにいてください。よければ、一緒に「春愁」を味わい乗り越えましょう。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com




 先月24日、ユング心理学セミナーⅨ(錬金術)を終えました。ユングの思想はとても深遠で、お伝えするのはなかなか難しく、前日までいろんな文献をひっくり返しながら四苦八苦でした。何とか無事終えることができ、やれやれ。やっと久しぶりのブログとなりました。

 セミナーの準備をしながら、まるで圧力釜の中にいるような気分でした。何事も、締め切りや制限があってこそ達成・熟成されるものですね。オリンピックメダリストの4年間のように。そして、これがまさに錬金術のミソで、心理療法に絶対不可欠な「器」でもあります。 

 ユングは、錬金術のプロセスに心理療法のメタファーを見出しました。錬金術も心理療法も、何が出てくるか分からないおっかないものを扱うので、まずはしっかり密閉できる容器が必要です。
 「心」を扱うカウンセラーは、サービス精神に富んだ優しい人と思われているかもしれませんが、実はそうでもなく、面接の時間・空間・料金の「治療枠」を厳しく制限するシビアな人です。
 その密閉容器ー圧力釜ーレトルトパックーの中にいてこそ、クライエントさんは安心して何でも話すことができます。もし枠がないと、「心」は爆発・拡散して、原発事故のようになってしまうかもしれません。
 だから、TAOでもいつも、50分でさっさと帰っていただき、料金もきちんといただいていますね。

 その安心安全な密閉容器の中で、カウンセラーに守られながら、クライエントさんは「抑うつに入る」ことができます。「抑うつ」って、とっても尊い心の状態なのですよ。苦しいけれど、心の蓋を外して、今までごまかしたり、なかったことにしていた自分の影の部分に向き合うってことですから。去年の夏のブログ「心で悩む」でも書きました。

 そして、その密閉容器の中で、クライエントさんとカウンセラーが協働で丁寧に「抑うつ」を扱っていると、あるときふと、化学変化が起こるのです。突然自分はこのままでいいんだと思えたり、長年のトラウマから解放されたり。今までとは確実に違った自分を体感します。不思議です。
 おでんを煮込んでいると、バラバラだった具材が融合して、鍋全体が何とも言えない味わいを醸し出すように。
 
 先日のセミナーのご感想に、ラップをせずに電子レンジに掛けたら生クリームが爆発してしまった。心理療法でもラップが必要、と書かれた方がいて、まさにその通り!
 そう言えば、私は以前夢の中で、「秘儀を体得した人」から「電子レンジでチンしたら宝石になる石」をもらったのです。あの石はどうなったんだろう? 
 私もまだまだ発展途上です。TAOがしっかりした「心理療法の器」となるよう、もっと研鑽を積んでいかねば。
 みなさま、今後ともよろしくお願いいたします。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com
 
 

 

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