朝ドラ「半分、青い。」が面白いです。
 登場人物それぞれのキャラが立っていて、ストーリー展開もムダがない。綺麗事にも予定調和にも陥らず、若い人たちの微妙な心持ちもよーく伝わってきます。
 久々に張りのある毎朝です。

 火曜日の放送で、幼なじみに振られて、「立ってる地面」を失った主人公鈴愛(すずめ)に、秋風先生が言いました。
 「書け。泣いて泣いて、いや、泣いてもいいから書け。漫画にしてみろ。物語にしてみろ。楽になる。救われるぞ。創作は、物語を創ることは、自身を救うのだ」。
 カウンセリングと似ているな、と思いました。

 私たちは、辛いことがあったとき、時間が薬、くよくよしてても仕方がないとやり過ごしがちです。忘れるために他の何かに没頭してごまかすこともあります(「躁的防衛」と言います)。辛いことだけでなく、楽しいことも嬉しいことも、時とともに流れ去ります。
 そうやって何十年も積み重ね、何となく輪郭がぼやけたまま、人生を終えてしまうかもしれません。なにせ、私たちは毎日とっても忙しく、がむしゃらに生きざるを得ませんから。
 でも、心の中で置き去りにした部分、未消化な部分は、折に触れてチクチク疼きます。

 例えば、私たちの人生が、1万ピースのジグソーパズルだとします。部分的にはきれいな絵になっているけれど、他の部分はピースがところどころ抜けてボヤーっとしていたり、ある部分はごそっと固めて打っちゃっておかれたりしています。場違いなところに放り投げられているピースもあるかもしれません。 
 人生こんなものと言ってしまえばそれまでですが、パズルはきちんと完成させてあげた方が、心も救われるというものです。

 「物語にする」というのは、心に「言葉」で輪郭を与えることだと思います。
 私たちは時間に沿って生きているので、生きる傍から物語は生まれていそうなものですが、それは漫然としたままで輪郭がありません。輪郭のないものはつかみどころがなく、うまく付き合えません。

 カウンセリングでは、いろんなことが語られます。初めはクライエントさん自身もつかめなかった心模様が、だんだん色彩豊かに浮き彫りになってきます。それぞれのピースに意味づけがなされ、納得できるようになります。私も不思議と、ずーっとその方の人生に同伴していたような気分になります。
 そして、ここまでの人生の流れ(場合によっては何代も前から)が新たな視座から紡ぎ直され、スッキリと「物語」として収まってくると、何だかストーンと腑に落ちてくるのです。あー、これが自分なんだ、って。
 河合隼雄さんたちがよく言われる「個人神話を創る」も、こういうことだと思います。
 人生最後の仕事として、「自分史」を書かれる方もたくさんいらっしゃいます。

 でも、救いのために苦しみを無理矢理ほじくり返すのは、本末転倒ですね。昨日の放送では、鈴愛が秋風先生に「私はマンガ家である前に人間です!」と詰め寄っていて、その場面も面白かったです。
 時間はかかっても、優しく丁寧に自分の心と付き合ってこそ、「物語」は生まれ、癒しと救いがもたらされます。

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                         HP:http://tao-okayama.com