2019年01月

 生きづらさに苦しんでいる方が楽になっていく過程で、しばしば「怒りの表出」が見られます。
 自分には気遣いが足りない、何の取柄もない、これしきの事ですぐに落ち込んでしまう…、などというところでグルグル回っていたその奥に、実は「怒り」があったのです。
 それは、たいてい小さいころに遡り、自分のことを大事にしてもらえなかった、分かってもらえなかった、不当に差別された、納得できないことを無理やりさせられたなど、今となってはどうしようのないことでも、フツフツと湧いてくるのです。

 その当時、ずいぶん心が傷ついていたであろうに、その「傷つき」さえ自覚できず、自己嫌悪に苛まれて長年過ごしてしまいました。存在を認めてもらうためには、我慢して周囲に従うしかなかったからです。または、「私は傷ついた!」と泣いても、誰も取り合ってくれないだろうと思っていたとか。ましてや、「それは許せない。もっと私を大事にして!」と怒りをぶつけるなどは、思いもつかなかったのでしょう。
 あるいは、泣くのも怒るのも大人げない、人間我慢が大事、と思い込んで自制していたのかもしれません。他の人にも事情があったのだから仕方がないと言い聞かせて、自分の「傷つき」や「怒り」を努めて見ないようにしていたということもよくあります。
 自覚できない「怒り」は、その人を反社会的な行動に駆り立てたり、反対に自分の方に向いて、うつや自傷行為や自殺の要因にもなったりします。

 「傷つき」と「怒り」は表裏一体です。自分の尊厳を踏みにじられたら、傷ついて当たり前だし、当然「怒り」の感情が湧いてきます。理不尽な扱いは大きなことであれ小さなことであれ、許しがたいものです。
 思春期の子どもの反抗は大いなる権利主張です。いじめやハラスメントに遭った方、犯罪被害者の方、差別や迫害を受けた方、元従軍慰安婦や徴用工の方などが、声を大にして抗議をされるのももっともです。心からの謝罪が得られたら、どんなに心が軽くなられるでしょう。

 けれども、残念ながら「怒り」の受け皿が十分でない場合が多いのです。「やり場のない怒り」ほど苦しいものはありません。
 それでも、逃げずに自分の「怒り」を受け入れ、うまい具合に表出できると、その後の人生はずいぶん変わってきます。カウンセリングでは、現実的な対応を考えたり、イメージワークや芸術療法によって昇華させたりします。

 不当に怒っているように見える方々もいます。ちょっとのことで自分をないがしろにされたと思い込んで、キレている人たちです。逆恨みを独特の論理で正当化している場合もあります。その方たちの人生は悲しいことに、「お前もか!」「またか!」の連続でしょう。その心の奥にも、誰にも手当されなかった「傷つき」があります。「自己愛憤怒」です。

 お互いがもっと誠実に向き合って、一人ひとりが「傷つき」を癒し、「怒り」を収めることができたら、世の中もどんなにか穏やかになるだろうと思います。どこかで悪循環を断ち切りたいものです。

                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com

 2月の開室についてお知らせします。ほぼ通常通りです。
 11日(月・祝日)も13時まで開室します。
 ただ、午後はスクールカウンセリング等で外に出ることが多いです。お問い合わせください。
 土曜日はご希望が多いので早めにお申し込みください。

 まだ寒い日が続きますが、少しずつ日が長く明るくなって、春の兆しを感じるようになりました。ほっとするような、反面、心が疼くような季節でもあります。
 もし心がもやもやしているなら、ゆったりと向き合って整理してみましょう。晴れやかに春を迎えたいものですね。
 
                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com

 昔から京都より奈良が好きです。学生時代から、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」や和辻哲郎の「古寺巡礼」を片手に、よく奈良のお寺を巡ったものです。もう何回行ったか覚えていません。郡部の方も含め、奈良の古刹はほぼ訪ねていると思います。
 このお正月明け、よく一緒にお寺巡りをした友人と、何年振りか分からないくらい久しぶりに奈良に行ってきました。お互いに年を取って、若い頃のように時間を惜しんで動き回る気力はなく、着いてから「どこ行く~?」といった気楽さで、結局、奈良中心部の興福寺・元興寺・東大寺を、ゆったり巡りました。

 昨年約200年ぶりに再建された、興福寺の中金堂。新年の抜けるような青空を背景に、凛と鮮やかで、まさに「こいつは春から縁起がええ~!」という感じでした。堂内もとても清々しい空気感で、中でも、高々と塔を掲げた多聞天には伸び伸びした気分にさせてもらえました。
 そして、興福寺と言えばやはり阿修羅像。あの悲しみの表情は何とも言えません。

 東大寺の大仏殿には、古代国家の威信を感じます。が、それより私は法華堂が好きで、いつも不空羂索観音様の前では、何時間でも座っていられそうです。また、戒壇院の荘厳さには身が引き締まります。

 自称奈良通の私としては不覚なことに、元興寺は今回初めてでした。飛鳥時代から残っている赤茶けた屋根瓦が流線形になびき、月並みな言い方ですが、悠久の時を感じます。そして、会えてうれしかったのが如意輪観音様。美しい‼  私の中では、京都東寺の帝釈天様、奈良聖林寺の十一面観音様に並びます。

 今回もたくさんの仏像を拝んで、心がリセットされたようなありがたい気分です。が、仏像に癒しを求めていた若いころとは違った感慨がありました。
 夏目漱石「夢十夜」の第六夜に、運慶の仕事ぶりを「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と評するくだりがあります。
 仏性はもともと木に備わっている。仏師がそれを掘り出すのも仏性のなせる技でしょう。「一切衆生悉有仏性」-生きとし生きるものは全て仏になる可能性を有している。
 
 奈良から帰った翌6日が、今年の仕事始めでした。午前午後を通して、セミナー「対象関係論と精神病理」をしました。「鹿の糞」をつまみながら(もちろんお菓子です!)。
 しんどい成育歴の中で、「仏性」を見失ってしまった方々の心の健康をどう取り戻すかを、ご参加のみなさんとともに考えました。少々アタマが疲れましたが、いいスタートとなりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com

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