現在、TAOでは「対象関係論と精神病理」というセミナーを継続中で、16日に第4回目を終えたところです。ご参加のみなさまと、改めて「抑うつに入る」・「抑うつを抱える」ことの大切さを実感したのでした。
「抑うつ」って、まったく響きのいい言葉ではありませんよね。そんなものはない方がいいに決まっている、「うつ」なんて「病んでる」、自分には関係ない、と思いたいです。
しかし、M.クラインの「対象関係論」では、「抑うつ」は心が進んだ状態で、ここを丁寧にワークスルーしてこそ、大人らしい健全な人格が形成されるとしています。
ちなみに、「抑うつ」の前は「妄想ー分裂」と言って、心がバラバラの状態です。「妄想-分裂」からどう「抑うつ」に進んでいって、どのように心がまとまっていくかについては、ここでは割愛します。
「抑うつ」は、単純に言えば、「あ~あ」って感じでしょうか。「あ~あ、やっちまった」、「あ~あ、あの人はもう許してくれない」、「あ~あ、これで終わりだ」…。(「うつ病」の「うつ」と同義ではありません)
生きていると、人は必ず失敗します。穴があったら入りたくなります。けれども、入る穴がないこともしばしば。自分の能力の限界に打ちのめされたり、人を傷つけて取り返しがつかないことになったり。
そんなとき、どうしますか?
世の中では、「ストレス解消法」とか「ポジティブ思考」がもてはやされています。うつうつと悩むのはみっともない。過ぎたことはさっさと忘れて前向きに生きるのが強い人だ、と刷り込まれています。
だから、「抑うつ」から目を背けて、何かをすることでごまかしたり、空回りでも前に進まねばとあがいてしまいます。そしてまたドツボに嵌る。
ボーっとできない人、人の世話を焼いていないと不安になる人も、ちょっと自分を振り返ってみましょう。傷ついている自分を置き去りにしていませんか?「躁的防衛」(自分を躁状態(ハイ)にして抑うつの苦しみから逃れる)に陥っていませんか?
「抑うつ」の「あ~あ」から逃げないようにしましょう。歯を食いしばって「抑うつ」にとどまりましょう。
しっかり泣いて、苦しいけれど痛みをよく味わって、この「あ~あ」をどう生かすかを考えるのです。どうしたらこのにっちもさっちもいかない事態から抜けられるのか。あるいは、傷つけてしまった人にどう償って、どう関係を取り戻すのか。
スポーツ選手が、敗れた試合を徹底的に検証して、一回りも二回りも大きくなって、また試合に戻ってくるように。
こうやって踏ん張って試行錯誤を続けるうちに、考え方や行動の幅が広がります。少々のことではくじけない根性も身につきます。他者への偏見や憎しみが軽減し、感謝の気持ちや思いやりも芽生えます。人の中で生きるのがうんと楽になります。
けれど、「抑うつ」を一人で抱えるのは耐えがたいものです。M.クラインはじめ多くの研究者が、人の心がちゃんと育っていくには、他者の愛情や世話が不可欠だと説いています。人間は、心の機能を自力で獲得できるようには生まれついていないようです。だから、一人で頑張っても自己嫌悪が増すばかりで、いいことはないですよ。
「白か黒か」、「快か不快か」の二分法ではなく、陰と陽、光と影、喜怒哀楽、物事のいろいろな側面をそのまま受け入れる柔軟さが、心の強さだと思います。満月は清々しくて美しいですが、半月のときも、よく見ればもう半分の影もちゃんと存在しています。その丸ごとが月です。自分です。
*2年ほど前のブログ「心で悩む」にも、同じ趣旨のことを書いています。よかったらまた読んでください。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com
「抑うつ」って、まったく響きのいい言葉ではありませんよね。そんなものはない方がいいに決まっている、「うつ」なんて「病んでる」、自分には関係ない、と思いたいです。
しかし、M.クラインの「対象関係論」では、「抑うつ」は心が進んだ状態で、ここを丁寧にワークスルーしてこそ、大人らしい健全な人格が形成されるとしています。
ちなみに、「抑うつ」の前は「妄想ー分裂」と言って、心がバラバラの状態です。「妄想-分裂」からどう「抑うつ」に進んでいって、どのように心がまとまっていくかについては、ここでは割愛します。
「抑うつ」は、単純に言えば、「あ~あ」って感じでしょうか。「あ~あ、やっちまった」、「あ~あ、あの人はもう許してくれない」、「あ~あ、これで終わりだ」…。(「うつ病」の「うつ」と同義ではありません)
生きていると、人は必ず失敗します。穴があったら入りたくなります。けれども、入る穴がないこともしばしば。自分の能力の限界に打ちのめされたり、人を傷つけて取り返しがつかないことになったり。
そんなとき、どうしますか?
世の中では、「ストレス解消法」とか「ポジティブ思考」がもてはやされています。うつうつと悩むのはみっともない。過ぎたことはさっさと忘れて前向きに生きるのが強い人だ、と刷り込まれています。
だから、「抑うつ」から目を背けて、何かをすることでごまかしたり、空回りでも前に進まねばとあがいてしまいます。そしてまたドツボに嵌る。
ボーっとできない人、人の世話を焼いていないと不安になる人も、ちょっと自分を振り返ってみましょう。傷ついている自分を置き去りにしていませんか?「躁的防衛」(自分を躁状態(ハイ)にして抑うつの苦しみから逃れる)に陥っていませんか?
「抑うつ」の「あ~あ」から逃げないようにしましょう。歯を食いしばって「抑うつ」にとどまりましょう。
しっかり泣いて、苦しいけれど痛みをよく味わって、この「あ~あ」をどう生かすかを考えるのです。どうしたらこのにっちもさっちもいかない事態から抜けられるのか。あるいは、傷つけてしまった人にどう償って、どう関係を取り戻すのか。
スポーツ選手が、敗れた試合を徹底的に検証して、一回りも二回りも大きくなって、また試合に戻ってくるように。
こうやって踏ん張って試行錯誤を続けるうちに、考え方や行動の幅が広がります。少々のことではくじけない根性も身につきます。他者への偏見や憎しみが軽減し、感謝の気持ちや思いやりも芽生えます。人の中で生きるのがうんと楽になります。
けれど、「抑うつ」を一人で抱えるのは耐えがたいものです。M.クラインはじめ多くの研究者が、人の心がちゃんと育っていくには、他者の愛情や世話が不可欠だと説いています。人間は、心の機能を自力で獲得できるようには生まれついていないようです。だから、一人で頑張っても自己嫌悪が増すばかりで、いいことはないですよ。
「白か黒か」、「快か不快か」の二分法ではなく、陰と陽、光と影、喜怒哀楽、物事のいろいろな側面をそのまま受け入れる柔軟さが、心の強さだと思います。満月は清々しくて美しいですが、半月のときも、よく見ればもう半分の影もちゃんと存在しています。その丸ごとが月です。自分です。
*2年ほど前のブログ「心で悩む」にも、同じ趣旨のことを書いています。よかったらまた読んでください。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com