2019年07月

 TAOにはさまざまな悩みを抱えた方々がいらっしゃっています。悩みは家族とは関係のないことも多いですが、必ずと言っていいほど親の話が出ます。自分がどちらの親に似ているかとか、親へのわだかまりが今に影響しているのでは、といった話です。きょうだいとの関係も話題になります。さらに、親のきょうだい、いとこ、遡って祖父母、曾祖父母なども出てきます。
 そして、自分の苦しみは今に始まったことではない、ということに改めて気づかされます。

 喧嘩や暴力、金銭のトラブル、離婚、失職、アルコールなどの依存症、精神疾患、自死、犯罪…。望みもしないのに、何世代にもわたって引き継がれてしまっています。「世代間連鎖」です。
 あんな風にはなりたくないと思って生きてきたのに、いつの間にか自分も同じ轍を踏んでいる。こんな「血」を引いてしまって、どうしたらいいんだと愕然とします。

 でも、引き継いだのは「血」ではありません。「血」がつながっていれば、「性格」も似たところがあるかもしれませんが、変えられないものではありません。 
 連鎖しているのは、代々の「空気感」「価値観」「コミュニケーションパターン」「文化風土」などです。
 子どものうちは、育つ環境が絶対的なものだと思い込むので、知らず知らずのうちに洗脳されるように性格化され、気づくとやはり同じような不自由な人生になっています。でも、「持って生まれたもの」ではありません。変えられます。 

 誰も悪くはないのです。パターンが連鎖しているだけです。悲しみ、怒り、不安、淋しさ、無念さなどとともに。
 何代もの鬱憤が自分に具現化されていると思うと、本当にやりきれません。何でこんなところに生まれたんだと恨みたくなります。親だって苦労したんだから許そうなんて、そんな寛容な気持ちにもなれません。
 
 そんなクライエントさんとは、恨んでもいい、けれど「世代間連鎖」を断ち切りましょう、子どもたちの世代には残さないようにしましょう、と一緒に頑張っています。
 今まであまり得られなかった安心感や愛情を、貪欲に求め続けていいです。「求めよ、さらば得られん」で、きっといつかどこかで掴むことができます。それから、「世の中こんなもん」という考え方を捨て、幸せにつながる新しい価値観を入れること。馴染んだネガティブな行動パターンや居場所を変えること。
 自分が変わることで、何代もの傷つきが癒えるかもしれません。そして、そして明るい清々しい連鎖が始まります。パターンを変えるのは物凄く気力のいることですが、諦めないでほしいです。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com

IMG_1013 うちに2匹の子ねこがやって来て、1年が経ちました。去年の4月30日生まれなので、今1歳と2ヶ月ちょっと。もう成猫です。
 あの目くるめく日々は遠くなりました。大運動会もプロレスも激減で、静かです。買い物袋を漁ったり、オーディオラックの下に潜り込んで出られなくなったり、押入れをこじ開けようとシャカシャカすることもなくなりました。大人になったなあ。
 毎日が同じようで違っていて、とっても楽しいです。
 (よかったら、去年8月のブログ「ねこが来た」、「ゲシュタルトの祈り」も見てください)

 オスのチーズは、元の飼い主さんや獣医さんの予言通り、6.55㎏の巨体ネコに成長しました。デカいです。骨がごっついし、足も長い。本当にネコかしら、トラの子ではないかしら…と思うことも。デカいと撫でがいがあります。モフモフ・フワフワ・ポヨポヨ~!
 相変わらず甘えん坊で、私がトイレに行ったりして姿が見えなくなると、「アオ~ン! ハア~ン!」と鳴(泣)いたり、夜中に私のお腹の上をドシドシ踏み越えて(重いので痛い!)、脇に入ってスリスリを繰り返したり。いかにも茶トラのオスですが、分離不安症なのではと心配になることも。でも、トイレの粗相もないし、2日ほどのお留守番も問題なく過ごしているので、きっとこういう天真爛漫な性格なのでしょう。 

 メスのルルは4㎏。こちらもメスにしては少し大柄かしら。キジトラだと思っていたのですが、キジトラに赤い色素が入った「ムギワラ」という種類だそうです。額の真ん中のオレンジの模様がシャレています。ムギワラは、警戒心が強く人には懐きにくいとのこと。確かに、我が家に来た日はガチガチでした。来客時は奥に隠れて出てきませんでした。客の気配を感じた瞬間、キャットポールの上のハンモックに逃げ込もうとして間に合わず、サルのようにポールにしがみついたまま固まっていたことも。それが、今ではお客さんにも寄って行きます。すごい!
 臆病なようで強いです。甘える時は、ミャーミャー迫力があります。食い意地も張っていて、何だか私に似ています。 

 二人とも、不思議な優しさを持っています。朝はじっと座って私が起きるのを待っています。私がパソコンや何かでゴソゴソしているときは邪魔しません。ごはんや飼い主の抱っこを奪い合うとかいうこともありません。
 どんな姿も可愛くて仕方ないです。ゴロゴロ甘えてくるときはもちろん、びや~と寝そべっていても、おもちゃ追っかけて跳ね返っていても、ただボーっとしていても。見るだけで、心の泉が湧いてくるような気がします。

 でも、何かもやっとしたものがあるのです。
 猫はライオンやトラと同じ狩猟動物。子ねこ時代にその野生の本能を垣間見ただけに、人間が都合よく飼いならしていいのかしら、とか。避妊去勢手術をし、人間でいうところの「思春期の葛藤」もなく、一生子どものままで過ごすのはどういうことなのだろう、とか。猫は縄張りの動物なので、狭くても自分のテリトリーに満足して過ごすとは聞くものの、この家(と病院)しか知らない人生ってどうなんだろう、とか。
 人間なら、どう育てたらこの世に適応できて心穏やかな人生になるかについて、経験と知見からある程度の見当は付きます。でも、猫はどうなんだろう? こんなに可愛がっていいのかしら、とすら思ったり…。
 人間の人生を猫に当てはめる必要はないのですが、どうするのがこの子たちにとって一番幸せなのか、よく分からないままなのです。

 私は、TAOに来てくださる方と「心の旅」をともにすることがライフワークだと思っていますが、もう一つ加わりました。それは、この子たちをちゃんと看取ること。
 人間の子どもと違って、猫は飼い主より先に死ぬ。それを思うと今から心が痛いです。順調にいけば私が後期高齢者に近づくころかな。そのときには、猫と人間の関係について、私なりの答えが出ていますように。
 それにしても、チーズ、ルル、ありがとう。大好き!

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com

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