2019年10月

 是枝裕和監督の、「真実」を観ました。
 カトリーヌ・ドヌーヴ演じる国民的大女優ファビエンヌが出版した「真実」というタイトルの自伝を巡って、娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)との確執が露わになっていく中、「真実」とは何なのかを考えさせる作品です。
 その自伝には嘘と隠ぺいがいっぱい。「事実では面白くない」から。では、自伝は「真実」ではないのか? 女優であり続けるため、娘や大切な人をないがしろにした人生はどうなのか? 「脚本」という作り事も「真実」ではないのか? 「魔法」は? では「真実」はどこにあるのか? まるで謎掛けみたいです。
 最後は、リュミールの小さい娘の、「これは真実?」という問い掛けで、ふっと幕を閉じます。でも、あったかい余韻が残る、とってもいい映画でした。

 映画を見ながら、「客観的真実」と「主観的真実」について、ぼんやり考えました。やっぱり「客観的真実」だけが「真実」であるわけではないんだなあ。

 一般的には、客観的に説明可能なことこそが「真実」だと思われ、それとは違うことは、思い込みだとか妄想だとかで斥けられます。ても、どうしてもぬぐえない「主観的真実」だってあります。
 例えば、人が自分のことを笑っているわけではないのに、笑われているとしか思えないとか、ちょっとのミスでクビになるはずはないのに、ミスしてしまうと一巻の終わりだとパニックになったりとか。人から褒められても全然信じられなくて、自分には何もないという絶望感から抜けられない。いつも人に陥れられそうな気がする。いくら手を洗っても、自分の中から穢れが出てくる。今いるはずのない人の声が聞こえる。火星人に襲われる…。
 全く「客観的真実」でなくても、本人の中では実にリアルな立派な「主観的真実」です。

 その「主観的真実」を置き去りにするところから、生きづらさや心の病は発生します。もちろん、「客観的真実」ではないという認識は必要ですが、「主観的真実」も大切に受け止めないと、心が死んでしまいます。
 映画では、一人ひとりがファビエンヌの「心の真実」ー孤独や不安一に粋に寄り添っていく中で、封印されていた大切な「真実」も、浮かび上がってきます。母娘が互いを許し、抱擁し合う場面は感動的でした。
 
 何だか要領を得ない感想ですみません。映画の本筋からも、きっとズレています。でも、これが私の「主観的真実」なので、ご勘弁を。
 ともあれ、みなさんもぜひご覧になって、自分の「真実」を見つけてください。フランスの二大女優の競演も見ものですよ。

 是枝監督の映画は、「万引き家族」や「父になる」や「三度目の殺人」も観ました。どれも、深い人間愛と悲しみを感じます。人って愛おしい。でも、人の心は一筋縄ではいかない。本当に私はクライエントさんの「心の真実」に寄り添えているのか?と、身が引き締まる思いがします。

                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com




 「自立するというのは、甘えることができるってことよ」。福岡のカウンセラー、村山尚子先生の言葉です。
 「心のミルクタンク」という、日本カウンセリング協会元会長の藤木偉和雄先生の言葉も、印象に残っています。大人もしっかり人に甘えて、「心のミルクタンク」をいっぱいにしておかないと、人にミルクも分けてあげられないよ、という訳です。「まあ、大人の場合はアルコールタンクかもしれないけどね、ハハハ」って、お道化てましたが…。

 自立するというのは、人に頼らないで生きていけるようになること、と思い込んでいる人は多いです。もういい年だし、自分のことだから自分で何とかしなくては、と。でも、そんなの無理じゃないですか?

 「甘える」というのは、好き勝手やって人を振り回して、何の責任も取らない自己チューとは違います。それは「悪い甘え」。「良い甘え」は、自分を開いて人に頼り、人の優しさを受け入れることができるということです。
 「甘える力」は「生きる力」です。頑なに身を縮めていないで、柔軟に人に委ねることができる方が、生きるのは楽に決まっています。仕事もできて、人に頼りにされます。

 でも、「『甘える』なんて私の辞書にはない」というふうに、孤軍奮闘している人は多いです。毎日気ばかり張って、クタクタになっていませんか?

 なぜ甘えられないかというと、多くの場合、小さいころから安心して甘えられる環境ではなかったからです。
 欲しい物、したいこと、辛い気持ち、大人と違う意見…、言うとことごとく怒られる。子どものくせに生意気な、このくらいで音を上げるんじゃない! そして、「きれいごと」を押し付けられて丸め込まれる。
 喧嘩や暴力が絶えない家の中で、自分の欲求なんて考えもしなかったという人も。自分が悪い子だからお父さんもお母さんも機嫌が悪いんだ。自分がいい子でいさえすれば、きっと喧嘩はなくなる、ぶたれることもなくなるに違いない。でも、いくら頑張ってもそうはならずに、心の生傷が増えていく。
 学校に上がっても、何か自分が人と違う気がして、自分を出せば浮いてしまう、笑われる。変なことは言ってはいけない、気配を殺して生きていこう。とにかく目立たないように、目立たないように。
 もうこれ以上傷つきたくはないので、自分の中だけで解決しようとするのが自分のスタイルになってしまいます。苦しいです。

 決してあなたが悪かったのではないし、あなたがつまらない人間という訳でもありません。残念ながら、「甘え」を体験する機会を奪われたのです。人への恐怖心を深く植え付けられ、「甘える」のはとても怖いです。でも、今からでもいいので、「甘える力」を養っていきましょう。  
 
 まずは、考え方を変えましょう。「甘える力」は「生きる力」。もっと力を抜いて生きていいんです。
 それから、少しずつでも自分を出していきましょう。自分の気持ち、やりたいことやりたくないこと、お願いしたいこと、不愉に思うことも。そして、無邪気に、笑ったり、泣いたり、怒ったり。
 それから、「甘える」にはもちろん他者が必要ですが、誰でも彼でも信頼しないように。相手や場所は選ぶべきです。間違えると、また新たな傷を負ってしまいます。
 自分のことで精一杯で、「悪い甘え」にどっぷりな人たちには、人の「甘え」を受け入れる余裕はありません。その人たちも、きっと本当は甘えたいのでしょう。今は、そういう人たちのことは遠ざけておいた方が身のためです。
 
 でも、世の中には、あなたが出会ったことがないような、寛容な人もたくさんいます。その人たちは、たいてい「甘え上手」です。人にふーっと気を許す心地よさもあるのです。素直な「甘え」は、甘えられた方にとっても気持ちのいいものです。受け入れられる喜びとともに、心の傷も癒えてきます。 
 いい出会いを信じてほしいです。自立のためには、人の力を借りてください。
 

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com


 

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