こんなに長く続くとは思わなかったコロナ禍、もう丸2年です。
 今私たちは、オミクロン株によって間もなくもたらされるであろう第6波を前にして、感染予防の要領を得、ワクチンの追加接種や飲み薬に期待しつつ、ある程度は落ち着いていられます。様々な問題が浮き彫りになりましたが、それでも人間は、学習し自制し危機に対応できる生き物なのだとも思えます。
 収束までまだ時間がかかるということですが、全く出口が見えないわけではありません。また以前のように、自由に旅し、イベントで盛り上がり、好きな人たちと心ゆくまで語り合える日が来るでしょう。

 けれど、コロナ禍で失ったものも大きさについても考えさせられます。
 一番心配なのは、子どもたちです。言葉と情緒の発達が、きっとかなり遅れるはずです。マスクで口元が見えないと、言葉の習得に支障があります。言葉に表情が結びつかないので、心の機微に鈍感な子どもが増えるのではないかと危惧します。
 加えて、学校行事が簡素化または中止されたことで、みなで何かを作り上げる達成感、活動の成果を親や地域の方々との一体感の中で味わう機会も減りました。親元を離れてのお泊り体験は親からの自立の第一歩ですが、それも少し先延ばしになってしまうかもしれません。

 思春期の人たちの中には、コロナが明けてもマスクを手放せない人もいるでしょう。顔をさらすのに勇気が必要になります。それに、マスクは顔だけでなく内面も隠してくれます。心のソーシャルディスタンスに慣れてしまった今、急に自分をさらけ出すことを怖がり、委縮してしまう人が増えるのではと心配します。
 テレワークやオンライン会議などが普及し、作業が効率化されたのはいいのですが、職場で大切な「同僚性」(同僚がお互いに支え合って成長できる風土)を高めるのが難しくなりました。「同僚性」が感じられない職場で、特に社会に出たての若い人たちのモティベーションが落ちてしまうと、今後の社会の維持や産業の発展にも影響するでしょう。

 文化人類学や民俗学では、「晴れと褻(け)」の世界観について触れています。
 私たちの日常生活は「褻」です。淡々と目の前のことをこなしているうちに過ぎます。でもそれでは息が詰まるので、先人たちは、けじめとなる非日常の「晴れ」の日を設けてきました。地域のお祭りやお正月の行事、冠婚葬祭、結婚式や入学式・入社式などの儀式など。学校行事や職場の飲み会、旅行やイベントなどもそれに含まれるでしょう。私たちは、「晴れ」の日に気分を開放し、仲間と親睦を深め、明日への活力を得てきたのです。
 が、コロナは私たちの生活から「晴れ」を奪っています。それがこの閉塞感につながっています。心のバランスを保って物事に取り組むことが難しくなっています。

 去年の私は、巣ごもり生活の意味を考えていました。もちろん今でも、内面を深めるいいチャンスと思っています。でもこんな不自然な生活が長く続くと、コロナ後も後遺症が残るのではないか、人間関係や社会の形成に大きな影を落とすのではないかと懸念されます。 
 今後は若い人たちには十分に配慮して、コロナ禍で摘まれた伸びやかさを育てていく必要があると思います。また、一人一人がこれまで以上に意識的に、開放感や充実感のある生活を心掛けていかなければと思います。

 私個人は巣ごもりが苦にならないせいか、この2年で出不精になってしまいました。クライエントさんと話しているときは非日常の豊かな世界にいられるものの、何か現実生活に明け暮れた感じで、感性が鈍っているかもしれません。
 やはり「晴れ」の日を用意しないと、心の新陳代謝が落ちます。気運が巡りません。
 まだ羽を伸ばすわけにはいきませんが、来年は何か新しいことも取り入れて、暮らしの風通しをよくしたいと思っています。

 年の終わりに重い話になってしまって恐縮ですが、私たちがどういう時代に生きているのか、常に考えていたいのです。心の問題はじわじわと現れますが、その背景を踏まえつつ、ひるむことなく対処できるよう、少しでもお役に立てたらと思っています。心のアップデートができるように。
 2022年がみなさまにとって良い年となりますように。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

                         心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com