2023年03月

 野球のWBCが終わりました。大盛り上がりでしたが、正直なところ、私には鬱陶しかったです。
 私にはどうも「スポーツアレルギー」があって、ニュースも新聞もスポーツとなると、すっ飛ばかしてしまいます。ですので、この期間中はずっと耳を塞ぎたくなるほどでした。

 どうして「スポーツアレルギー」になってしまったかと言うと、教員になって部活動におおいに疑問を感じるようになったからです。
 生徒にとって部活動は学校生活の張り合いだし、貴重な人間関係訓練の場です。笑いや涙や感動に溢れています。でも、正規の教育課程に位置づけられているわけではないのに、どうして学校がそんなに抱え込まなければいけないのか。教員も生徒も、始業前の時間も縛られ、休日も返上して学校にべったりというのはどうなのか。本来は家庭や地域や学校外のコミュニティが負うべき役割ではないのか。(ついでに言うと、アルバイトやバイクの免許取得の許可制も。学校が校外のことまで管理する必要があるのか?)
 さらに、部活動の成績が点数化されて、入試に有利になるというのも解せない話です。プライベートで素敵な活動をしていたり、表面に現れなくても内面が豊かな生徒はたくさんいるのに。

 そして何より、部活動で人間性が高まるかと言うと、必ずしもそうでもないのが問題です。強くて厳しい部ほど、生徒の主体性や考える力を奪っていることもあります。顧問や先輩の言うとおりに動けば結果が出せ、協調性や忍耐力も身に付いたと評価されるのですが、悲しいことに、一歩部を出ると通用せず、もぬけの殻のようになってしまうことも。元オリンピック選手でさえ、そんな虚しさに陥ることもあるようです。 

 部活動で鍛えられた学生は、組織にうまく組み込まれて生産性を上げるので、かつての日本企業では重宝され、戦後の高度経済成長を支えたとも言えるかもしれません。が、それが上意下達・同調圧力の企業体質を強化してしまった面もあるのではと思います。
 いわゆる「体育会系」というのは、日本独特の集団主義の上に成り立ち、軍国主義の延長でもあるし、河合隼雄氏の説かれた「母性社会日本の病理」の現れとも言えるでしょう。

 辛口ですみません。不快に感じた方もいらっしゃるでしょう。
 もちろん、全ての部活動やスポーツに当てはまることではありません。素晴らしくクリエイティブな部活動もたくさんあります。

 さて、というわけで、私は教員時代のある時点から、スポーツ全般に嫌気がさすようになりました(フィギュアスケートやテニスなどは好きなのですが)。
 が、ここ10年くらいでしょうか、部活動の在り方が見直されるようになり、スポーツ界の闇が炙り出されることも増えました。青山学院大学の原監督の、部員に考えさせて力を引き出す指導が話題になり、スケートボードやブレイクダンスなどの部活動を活動基盤としない選手たちのおおらかな活躍ぶりも、清々しいです。サッカーの森安ジャパンも、昔の体育会系とは全然違うのですね。スポーツ界も変わってきたようで、やれやれ。
 日本の社会全体が、こんなふうに風通しがよくなっていくといいと思います。

 それでも、特に野球は一人の采配に全員が従うというイメージが強く、報道の過熱ぶりにも辟易で、私はWBCどこ吹く風モードを意固地に貫いていたのでした。しかし、優勝後の裏話やインタビューなどについ引き込まれ、一人一人が主体性と意志を持って取り組み、お互いを尊重して励まし合って、あの結果を出したのだと、遅ればせながら知った次第です。本当に大変失礼しました。

 「スポーツアレルギー」は私のコンプレックスでした。固い自分が気持ちよくありません。でも、マイナス面ばかりを見て意地を張るのはやめようと、やっと思えるようになりました。昔の思い込みにとらわれていてもいけない。好きか嫌いかは、現状を知ってみないと分からない。何事にも心を開いて知っていく方が、人間の幅も広がるというものでしょう。
 「侍ジャパン」、ありがとう。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com  

 昨年8月8日、偉大な精神科医、中井久夫氏が亡くなりました。特にトラウマや統合失調症の治療に多大な功績を残された方です。氏の「心のうぶ毛」論は、非常に感慨深いです。
 
 統合失調症を通過した人の繊細さ、やさしさ、人への敏感さのようなものと言いましょうか。周囲にやわらかさを伝え、周囲の人をも感化して、共感されるもの、彼らにとっては人生を味わい深く感じさせてくれるものです。この「心のうぶ毛感受性」を残していれば、こののち彼らが社会の荒波を乗り越えていくときに人を引き付つける力となって、生きることを助けるはずです。能率や生産力より人好きのするその純粋さを高く評価する人が社会の側には必ずいると私は思います。 (「統合失調症は癒える」ラグーナ出版)

 精神病患者のみならず、人間存在そのものに対する温かいまなざしを感じます。「札つきのいじめられっ子」であったご自身、そのトラウマに悩まされなくなるまで初老期までかかったと言います(*J.L.ハーマン「心的外傷と回復」訳者あとがき)。その過程の中で、「心」というものの機微や回復可能性について、身をもって体験されたのではとも思います。
 さらに、精神科医としての「心」の追究を超え、広く歴史や社会の問題にも踏み込み、幅広いジャンルの著作を残されています。 

 昨年12月、NHKの「100分で名著」は中井久夫スペシャルでした。その最終回で「戦争と平和 ある観察」が取り上げられました。ロシアによるウクライナ侵攻から1年、暗澹たる気分を拭えない昨今なので、特に心に響きました。なぜ人はこうも戦争を繰り返すのか、納得の説明がありました。

 戦争と平和というが、両社は決して対称的概念ではない。前者は進行してゆく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。

 戦争が「過程」であるのに対して、平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常に分かりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。

 戦争は「過程」で、ドラマティックで語りやすく、カッコいい。一体感で熱狂的にもなる。それに対して、平和は「状態」であって、変化が乏しく退屈でダサい。だから、「平和」をわざわざ維持しようという動きは起こりにくい。むしろ、「安全の脅威」をでっち上げてでも、「安全保障」という名目のもとに戦争に向かいたくなる。
 まさに「先見の明」ですね。氏は、人間というものの傾向を、本当によく見抜いています。
 番組ではさらに深い読み解きがありましたが、その詳細はテキストに譲るとして、私が思い出したのはやはり「心のうぶ毛」でした。

 平和で退屈な日常の中にも、やさしい「心のうぶ毛」の揺らぎがあります。ふと水面をさらう春風のような。子どものちょっとしたしぐさに思わず微笑まれるような。人の悲しみを我がことのように引き受けて泣けてきたり、些細なことで傷つきもする。こんな繊細な美しさを見失った時、私たちは刺激を求めて暴走してしまうのでしょう。 
 「心のうぶ毛」は、誰しもが持っている人間の原点のように思います。そこに、人の魅力も人生の味わいもあるのではないでしょうか。
 お互いの「心のうぶ毛」を尊重しつつ、強く「平和」を希求する意志を持ち続けたいものです。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com 

 3月・4月の開室についてお知らせします。
 祝日も開室いたしますが、平日で閉室させていただく日もありますので、ご了承ください。GWについてはまた改めてご連絡いたします。
 通常、月・木の午後はスクールカウンセリングの仕事で外に出ていますが、基本的に18時はお取りできます。春休みに入ると午後の時間帯もお取りしやすくなります。
 土曜日・祝日はご希望が多いので、お早めにお申し込みください。
 以下の日はご注意ください。

  3/14(火) PM ✕
  3/21(火・祝日) 9:00~13:00 〇 (最終は12:00~)
  4/4(火) 18:00~ ✕
  4/6(木)・4/7(金) ✕
  4/14(金) 14:00~17:00 ✕
  4/29(土・祝日) 9:00~13:00 〇 (最終は12:00~)   
   *土曜日は午前中の開室(最終12:00~)、日曜日は閉室です。
 
 コロナもだんだん収まり、今春はさくらカーニバルなど、賑わいが戻って来そうです。
 みなさまの心にも、いい春が来ますように。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com

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