今年4月21日、「魂のピアニスト」フジコ・ヘミングさんが亡くなりました。92歳でした。その壮絶な人生についてはあちこち紹介されていますので、ここでは割愛します。
初めてフジコさんの音楽に触れた、2021年6月7日の岡山シンフォニーホールでのコンサートが思い出されます。緊急事態宣言中でしたが、噂の「奇蹟のカンパネラ」を是非聴きたくて、恐る恐る足を運びました。
フジコさんは、開演のベルが鳴ってライトが落とされても、なかなか現れませんでした。5分くらいは経ったでしょうか、満席の聴衆が固唾を飲んで待つ中、手を引かれながらゆっくり出ていらっしゃいました。
前半のプログラムの小品などは、うーん、まだ本調子でないのかしらといった感じでした。
後半は、N響のメンバーとともにシューベルトの「弦楽五重奏曲『鱒』」と、フジコさんの代名詞曲、リストの「ラ・カンパネラ」。
まあその「鱒」の、スリリングなことと言ったら! はっきり言って、いつ空中分解するのかとハラハラし通しでした。フジコさんのミスタッチが多く、リズムもたどたどしく、譜めくりの方に、今ここですよとそっと指さされる場面もあり、聴く方も気が気ではありません。よくぞ無事に終えられたこと。弦の四人はピアノを囲んでの配置で、アイコンタクトも取りにくかったろうに、さすがN響の方々。
フジコさんは「疲れていて、ミスばっかりですが…」と断った後、指慣らし?のベートーベンのソナタの一部を挟みました(それもちょっと音がバラバラ)。そして、いよいよラストの「ラ・カンパネラ」。果たして大丈夫なのかしら…
衝撃の演奏でした。こんな「ラ・カンパネラ」は想像もできませんでした。この超絶技巧の曲が、ゆったりとした祈りの音楽になりました。何とも言えない清らかさが会場を包みました。私は涙をこらえることができませんでした。この人は、一体どれだけの苦難を乗り越えてきたんだろう…。
コンサート会場限定販売のCDを買って帰りました。フジコさんの描いた可愛らしい絵がジャケットです。
このCDは疎かには聴けない。ちゃんと居住まいを正して、正対して聴かねば。運転中やBGMなどはとんでもない、と思っていると、ただ大事に飾られたままになっていました。こんなCDはこれだけです。
数ヶ月後、何があったのかは忘れましたが、苦しくて眠れなくて悶々としていた夜、そうだ、フジコさんのCDだ、と思い出しました。真っ暗闇の中、ひとり「ラ・カンパネラ」を聴き、おいおい泣きました。
昨年6月、同じく岡山シンフォニーホールで、フジコさんとベルリン交響楽団のコンサートがありました。いくつかのコンチェルトの緩徐楽章(2楽章のゆったりしたメロディ)がメインでした。やっぱり速いパッセージは難しいのかな、妥当なプログラムかもと思いました。都合が付けにくかったのと、2年前のあのハラハラ感を思い出し、遠慮しました。
ところが、その日はフジコさんの願いで、モーツァルトの21番ハ長調コンチェルトの全曲演奏に変更になったとか。パーフェクトに素晴らしかったと聞きました。ああ、聴きに行けばよかった…。
フジコさんの訃報に接し、改めてあのCDにじっくり向き合いたいと思いながら、その時間がなく、先日やっと叶いました。
どこまでも澄み切った音色。愚直なまでの誠実な音の運び。一音一音に込められた慈しみ。それでいて自然な音楽のうねり。絶妙な音のバランス。この人はわずかな片耳だけの聴力だけで、世界を把握していたのだろうか。
フジコさんの音楽には、悲しみを知り尽くした人の勁さ(つよさ)があります。人間、どうあっても生きていけると思わせてくれます。
またどうしようもなくしんどくなったとき、静かにフジコさんを聴いて、助けてもらおうと思います。
初めてフジコさんの音楽に触れた、2021年6月7日の岡山シンフォニーホールでのコンサートが思い出されます。緊急事態宣言中でしたが、噂の「奇蹟のカンパネラ」を是非聴きたくて、恐る恐る足を運びました。
フジコさんは、開演のベルが鳴ってライトが落とされても、なかなか現れませんでした。5分くらいは経ったでしょうか、満席の聴衆が固唾を飲んで待つ中、手を引かれながらゆっくり出ていらっしゃいました。
前半のプログラムの小品などは、うーん、まだ本調子でないのかしらといった感じでした。
後半は、N響のメンバーとともにシューベルトの「弦楽五重奏曲『鱒』」と、フジコさんの代名詞曲、リストの「ラ・カンパネラ」。
まあその「鱒」の、スリリングなことと言ったら! はっきり言って、いつ空中分解するのかとハラハラし通しでした。フジコさんのミスタッチが多く、リズムもたどたどしく、譜めくりの方に、今ここですよとそっと指さされる場面もあり、聴く方も気が気ではありません。よくぞ無事に終えられたこと。弦の四人はピアノを囲んでの配置で、アイコンタクトも取りにくかったろうに、さすがN響の方々。
フジコさんは「疲れていて、ミスばっかりですが…」と断った後、指慣らし?のベートーベンのソナタの一部を挟みました(それもちょっと音がバラバラ)。そして、いよいよラストの「ラ・カンパネラ」。果たして大丈夫なのかしら…
衝撃の演奏でした。こんな「ラ・カンパネラ」は想像もできませんでした。この超絶技巧の曲が、ゆったりとした祈りの音楽になりました。何とも言えない清らかさが会場を包みました。私は涙をこらえることができませんでした。この人は、一体どれだけの苦難を乗り越えてきたんだろう…。
コンサート会場限定販売のCDを買って帰りました。フジコさんの描いた可愛らしい絵がジャケットです。
このCDは疎かには聴けない。ちゃんと居住まいを正して、正対して聴かねば。運転中やBGMなどはとんでもない、と思っていると、ただ大事に飾られたままになっていました。こんなCDはこれだけです。
数ヶ月後、何があったのかは忘れましたが、苦しくて眠れなくて悶々としていた夜、そうだ、フジコさんのCDだ、と思い出しました。真っ暗闇の中、ひとり「ラ・カンパネラ」を聴き、おいおい泣きました。
昨年6月、同じく岡山シンフォニーホールで、フジコさんとベルリン交響楽団のコンサートがありました。いくつかのコンチェルトの緩徐楽章(2楽章のゆったりしたメロディ)がメインでした。やっぱり速いパッセージは難しいのかな、妥当なプログラムかもと思いました。都合が付けにくかったのと、2年前のあのハラハラ感を思い出し、遠慮しました。
ところが、その日はフジコさんの願いで、モーツァルトの21番ハ長調コンチェルトの全曲演奏に変更になったとか。パーフェクトに素晴らしかったと聞きました。ああ、聴きに行けばよかった…。
フジコさんの訃報に接し、改めてあのCDにじっくり向き合いたいと思いながら、その時間がなく、先日やっと叶いました。
どこまでも澄み切った音色。愚直なまでの誠実な音の運び。一音一音に込められた慈しみ。それでいて自然な音楽のうねり。絶妙な音のバランス。この人はわずかな片耳だけの聴力だけで、世界を把握していたのだろうか。
フジコさんの音楽には、悲しみを知り尽くした人の勁さ(つよさ)があります。人間、どうあっても生きていけると思わせてくれます。
またどうしようもなくしんどくなったとき、静かにフジコさんを聴いて、助けてもらおうと思います。
心理面接室TAO 藤坂圭子