相手のことが信頼できない、一緒にいることが幸せにはつながらないと分かっていながら、関係を絶つことができずに苦しんでいませんか?
 たびたびの長電話や長メールに辟易しながら応じたり、お金の無心にまた負けてしまったり、暴力を受けながらも涙声で謝られるとつい信じてしまったり。できるだけ波風が立たないように、不都合には目をつぶってしまいます。
 そのときにいろいろと理屈は立つのです。相手にもいいところがあるとか、自分が見放すと相手がかわいそうとか、嫌われるのが怖いとか。別れると生活が成り立たないという現実の厳しさもあったりします。そうやって、どうにかこうにか自分を納得させています。

 いわゆる「共依存」かもしれません。
 「共依存」は一人で成り立つものではありません。文字通り、共に依存し合う「もたれ合い」の関係で、どちらからも切ることも変えることもできず、ズルズルと同じパターンを繰り返してしまいます。
 どうしてでしょうか?
 少々どぎつい言葉で言ってしまうと、どちらも「空っぽ」だからです。もたれるものがないと立っていられない。だから、その関係にしがみつき続けるしかありません。

 「困っている人を放ってはおけない」とか「この人には私しかいない」と思い込み、自ら苦労をしょい込んで駆けずり回るのも要注意。いわゆる「メサイア・コンプレックス(救世主妄想)」です。
 「空っぽ」の自分に気づかず、「救われたい」自分を他者に投影し、人を救うことで、自分の「空っぽ感」を満たして救われようとします。相手の自立を妨げ、やはり「共依存」に陥る危険性があります。

 こんな風に書いてしまうと、何だか身も蓋もないですね。そもそも依存せずに生きられる人なんて、いるわけありません。人間は、誰しもどこか「空っぽ」です。その人間同士が触れ合うから人生は面白いとも言えます。ドロドロの人間模様も、映画や小説で描かれると、思わずなるほど!と呻ってしまいます。
 
 でも、できれば温かく、風通しのいい人間関係の中で、幸せに暮らしたいものです。
 好き好んで「共依存」に甘んじる人はいません。幼少期からたくさんの傷を負い、自分の芯が作れず、人を信頼することが難しくなっていると、「類は友を呼ぶ」で、つい同じ匂いの人に惹かれます。そして、再び傷つき傷つけ合いながら妥協するという関係に陥ってしまうのです。
 これを変えるには、おおらかな友人や師、自助グループやカウンセリングなど、第三者の助けが必要です。尊重し合える関係を味わいながら、「空っぽ感」をちゃんと受け入れ、丁寧に自分を作り直していくことです。
 そして、日常での関係も改めて紡いでいけたらいいですね。あるいは、勇気を出して古い関係を断ち切り、新しい自分として立つ、という選択もあります。
 
 「共依存」から脱出するのはとても困難です。が、いくつになっても人生は再出発できると信じ、今までとは違った関係性を模索していきましょう。


                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com