先日の西日本豪雨では、岡山県も大変な被害に見舞われました。お亡くなりになった方々には、心よりお悔やみを申し上げます。住宅を失われた方々のご心痛はいかばかりかと、お察し申し上げます。
 TAOの周辺でも住宅や道路の冠水がありました。7日土曜日のクライエントさんはどなたもいらっしゃることができず、電話カウンセリングに切り替えたり、危険が迫っている方はキャンセルになったりしました。8日に予定していたセミナーは延期となっています。
 あれから1週間以上が経ちますが、カウンセリングの中でも豪雨のことがよく話題に上ります。いのちについて、家族について、人生について、非常時の自分自身について…。

 前日6日には、オウム真理教7人の死刑執行があり、これにもあれこれ考えさせられました。
 なぜ宗教の名目のもとに殺人が許されたのか? なぜ優秀で善良な若者がカルト宗教にはまってしまったのか? そもそも宗教とは何なのか? 様々な論評がなされています。

 どんな理由をつけても許される事件ではなかったと思いますが、一概に非難する気にもなれません。
 誰だって何かにすがりたい、救われたい。
 新興宗教やスピリチュアル系のワークショップでは、呼吸や瞑想や集団催眠によって、肉体を脱した神秘体験が得られやすいので、これだ!と飛びつきやすいのでしょう。その体験がウソだとは思いませんが、これだけが真理だ!と勘違いしてしまうと、足許をすくわれます。地に足つけて、地道に日々の生活を営むことの大切さが見失われます。

 みんな大なり小なり、何かに執着しています。特定の人物だったり、お金や名誉だったり、恋愛や仕事、タバコやお酒やギャンブルだったりします。それらを生きる糧として信奉しているなら、そういう依存症だって一種の宗教と言えるかもしれません。

 満たされない空虚感を抱えたまま生きるのは苦しい。けれども、その空虚感を埋めるすべが分かりません。
 人間は体も心も未成熟なまま生まれてくるので、健全に成長するためには、大人の適切なケアと見守りが必要です。しかし、それが得られず、心のバランスをうまく保てないまま生きづらさを抱えている人が、何と多いこと。そしてそれは世代間で連鎖します。時代や社会の影響もあるでしょう。生きづらい世の中です。
 
 私自身、そんな空虚感や生きづらさを埋めるのに、ずいぶん時間もかかったし苦労もしました。埋めてくれたのは、やはり「人」や「情」や「つながり」でした。芸術や自然にも助けられました。 
 クライエントさんが少しでも空虚感を埋めることができるよう、日々、痛みを分かち合いながらお話をしています。

 被災地に赴いて何かお手伝いをしたいと思いつつ、何もできずいたたまれない思いです。
 せめて、「つながり」が被災された方々を元気づけ、新しい日常をもたらすことを、心よりお祈り申し上げます。

                          心理面接室TAO 藤坂圭子
                          HP:http://tao-okayama.com