6月末、我が家に生後2ヶ月の子ねこが2匹来ました。茶トラのオスと、キジトラのメスのきょうだいです。

 家の中で動物を飼うのは、子どものころの手乗りインコ以来。昔から猫は何となく好きでしたが、飼おうなんていう気はサラサラ起こりませんでした。何せ大変すぎる。毎日がドタバタで家を空けることも多く、それでも人間中心の生活がうまく出来上がっているのに、今更それを変えるなんて面倒くさくて無理無理!と思っていました。
 それが不思議なことに、何だか苦労してみたくなったのです。

 保護猫をもらおうと思っていたのですが、ちょうど知人のところに子ねこが生まれ、どうせなら2匹の方が育てやすいということで、エイッ!とまとめていただくことに決めました。いろんなことを捨てていく覚悟とともに。
 ねこたちを迎える前の片付けと準備に追われた1ヶ月と、迎えた後振り回されるこの1ヶ月あまり、実に目くるめく日々です。でも今、いただいてよかったと心から思います。泉が湧くように生活が潤う感じです。

 それにしても、子猫の野性味と言ったらすごいです。最初のころは面白すぎてクラクラしました。
 アクロバット付きの大運動会と超ド級のプロレスが毎日観戦できます。物陰から不意打ちを喰らわして襲い掛かる姿は、かわいいなんてもんじゃありません。一緒にすやすや眠る姿を夢見て用意したちっちゃなおうちは、陣取りの戦場と化しました。
 テレビなどでそんな映像を見たことはありましたが、毎日目の当たりにしていると、猫の世界に入り込んだような気分になり、例えば右折待ちの車さえ、背中を丸めてスキを窺う猫に見えたりしたものです。
 プロレスに夢中になって、いろんなところにはまり込んで出られなくなることもしばしば。あちこちに段ボールのバリケードが出現し、またそれを破られるといういたちごっこで、私も相当頭を使いました。認知症予防になったかな?
 でも、これってケンカではなくじゃれあいなんです。バトルの最中にふと文字通りの「水入り」が入り、そしてまたもみ合って、ある瞬間思い出したように力を抜き、お互いに毛づくろいをし、重なり合って眠る。可笑しい…。

 2匹で飼い始めたのは正解でした。よく運動できるし、飼い主不在でもきっと寂しくないでしょう。私も猫の生態がよく分かるし、性格の違いも面白いです。オスは猪突猛進で甘えん坊、メスは警戒心が強いけれど要領がとてもいいです。猫好きの方と話していると、「うちもそう。やっぱりオトコは単純よね」という話に落ち着きます(男性の方、失礼…)。
 猫は犬のようにはしつけられないと言われますが、今は私の食事の準備を邪魔することもなく、キッチンカウンターの上で二人そろってミャーミャー鳴きながらじっと耐えていてかわいいです。ご褒美にちょっとお裾分けをあげます。
 どちらかが私に叱られてケージに閉じ込められたり、キャットポールが登れなくてしょげたりしていると、もう一方が慰めます。私の髪の毛だって毛づくろいしてくれます。二人ともとても優しいです。

 猫を飼おうと思い始めたころ、「かなしみ」ということを考えていました。雲を見ても、電信柱を見ても、何を見ても、「かなしい」という思いが湧き、何だろうと思っていました。辛いとか苦しいとかではなく、切ないとでもいった感じです。以前のブログでも「かなし」の語源について書いたことがありましたが、もともとは内側から湧いてくる思いを、ポジティブ・ネガティブに関係なく「かなし」と言いました。「愛し」という字を当てることもあります。
 「かなしみ」の受け皿が欲しいという思いもあって猫を飼うことにしました。けど、ますます「かなしい」思いが募ります。(「かなしみ」については、またいつか書きます)
 室内ネコは長いと20年も生きると言います。可愛がっても自立させなくていい存在というのも、妙な気がします。でも、精いっぱい「猫かわいがり」して、お互いの幸せの時間を積み上げようと思います。私も元気で長生きしなきゃ。
 
                              
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 左がメスのルル、右がオスのチーズです。
 二人とも大柄で、特にチーズは巨体ネコになるそうです。
 いつまでも子猫のままでいてほしいのに…


    心理面接室TAO  藤坂圭子
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