昔から京都より奈良が好きです。学生時代から、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」や和辻哲郎の「古寺巡礼」を片手に、よく奈良のお寺を巡ったものです。もう何回行ったか覚えていません。郡部の方も含め、奈良の古刹はほぼ訪ねていると思います。
 このお正月明け、よく一緒にお寺巡りをした友人と、何年振りか分からないくらい久しぶりに奈良に行ってきました。お互いに年を取って、若い頃のように時間を惜しんで動き回る気力はなく、着いてから「どこ行く~?」といった気楽さで、結局、奈良中心部の興福寺・元興寺・東大寺を、ゆったり巡りました。

 昨年約200年ぶりに再建された、興福寺の中金堂。新年の抜けるような青空を背景に、凛と鮮やかで、まさに「こいつは春から縁起がええ~!」という感じでした。堂内もとても清々しい空気感で、中でも、高々と塔を掲げた多聞天には伸び伸びした気分にさせてもらえました。
 そして、興福寺と言えばやはり阿修羅像。あの悲しみの表情は何とも言えません。

 東大寺の大仏殿には、古代国家の威信を感じます。が、それより私は法華堂が好きで、いつも不空羂索観音様の前では、何時間でも座っていられそうです。また、戒壇院の荘厳さには身が引き締まります。

 自称奈良通の私としては不覚なことに、元興寺は今回初めてでした。飛鳥時代から残っている赤茶けた屋根瓦が流線形になびき、月並みな言い方ですが、悠久の時を感じます。そして、会えてうれしかったのが如意輪観音様。美しい‼  私の中では、京都東寺の普賢菩薩様、奈良聖林寺の十一面観音様に並びます。

 今回もたくさんの仏像を拝んで、心がリセットされたようなありがたい気分です。が、仏像に癒しを求めていた若いころとは違った感慨がありました。
 夏目漱石「夢十夜」の第六夜に、運慶の仕事ぶりを「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」と評するくだりがあります。
 仏性はもともと木に備わっている。仏師がそれを掘り出すのも仏性のなせる技でしょう。「一切衆生悉有仏性」-生きとし生きるものは全て仏になる可能性を有している。
 
 奈良から帰った翌6日が、今年の仕事始めでした。午前午後を通して、セミナー「対象関係論と精神病理」をしました。「鹿の糞」をつまみながら(もちろんお菓子です!)。
 しんどい成育歴の中で、「仏性」を見失ってしまった方々の心の健康をどう取り戻すかを、ご参加のみなさんとともに考えました。少々アタマが疲れましたが、いいスタートとなりました。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
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