
あの目くるめく日々は遠くなりました。大運動会もプロレスも激減で、静かです。買い物袋を漁ったり、オーディオラックの下に潜り込んで出られなくなったり、押入れをこじ開けようとシャカシャカすることもなくなりました。大人になったなあ。
毎日が同じようで違っていて、とっても楽しいです。
(よかったら、去年8月のブログ「ねこが来た」、「ゲシュタルトの祈り」も見てください)
オスのチーズは、元の飼い主さんや獣医さんの予言通り、6.55㎏の巨体ネコに成長しました。デカいです。骨がごっついし、足も長い。本当にネコかしら、トラの子ではないかしら…と思うことも。デカいと撫でがいがあります。モフモフ・フワフワ・ポヨポヨ~!
相変わらず甘えん坊で、私がトイレに行ったりして姿が見えなくなると、「アオ~ン! ハア~ン!」と鳴(泣)いたり、夜中に私のお腹の上をドシドシ踏み越えて(重いので痛い!)、脇に入ってスリスリを繰り返したり。いかにも茶トラのオスですが、分離不安症なのではと心配になることも。でも、トイレの粗相もないし、2日ほどのお留守番も問題なく過ごしているので、きっとこういう天真爛漫な性格なのでしょう。
メスのルルは4㎏。こちらもメスにしては少し大柄かしら。キジトラだと思っていたのですが、キジトラに赤い色素が入った「ムギワラ」という種類だそうです。額の真ん中のオレンジの模様がシャレています。ムギワラは、警戒心が強く人には懐きにくいとのこと。確かに、我が家に来た日はガチガチでした。来客時は奥に隠れて出てきませんでした。客の気配を感じた瞬間、キャットポールの上のハンモックに逃げ込もうとして間に合わず、サルのようにポールにしがみついたまま固まっていたことも。それが、今ではお客さんにも寄って行きます。すごい!
臆病なようで強いです。甘える時は、ミャーミャー迫力があります。食い意地も張っていて、何だか私に似ています。
二人とも、不思議な優しさを持っています。朝はじっと座って私が起きるのを待っています。私がパソコンや何かでゴソゴソしているときは邪魔しません。ごはんや飼い主の抱っこを奪い合うとかいうこともありません。
どんな姿も可愛くて仕方ないです。ゴロゴロ甘えてくるときはもちろん、びや~と寝そべっていても、おもちゃ追っかけて跳ね返っていても、ただボーっとしていても。見るだけで、心の泉が湧いてくるような気がします。
でも、何かもやっとしたものがあるのです。
猫はライオンやトラと同じ狩猟動物。子ねこ時代にその野生の本能を垣間見ただけに、人間が都合よく飼いならしていいのかしら、とか。避妊去勢手術をし、人間でいうところの「思春期の葛藤」もなく、一生子どものままで過ごすのはどういうことなのだろう、とか。猫は縄張りの動物なので、狭くても自分のテリトリーに満足して過ごすとは聞くものの、この家(と病院)しか知らない人生ってどうなんだろう、とか。
人間なら、どう育てたらこの世に適応できて心穏やかな人生になるかについて、経験と知見からある程度の見当は付きます。でも、猫はどうなんだろう? こんなに可愛がっていいのかしら、とすら思ったり…。
人間の人生を猫に当てはめる必要はないのですが、どうするのがこの子たちにとって一番幸せなのか、よく分からないままなのです。
私は、TAOに来てくださる方と「心の旅」をともにすることがライフワークだと思っていますが、もう一つ加わりました。それは、この子たちをちゃんと看取ること。
人間の子どもと違って、猫は飼い主より先に死ぬ。それを思うと今から心が痛いです。順調にいけば私が後期高齢者に近づくころかな。そのときには、猫と人間の関係について、私なりの答えが出ていますように。
それにしても、チーズ、ルル、ありがとう。大好き!
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com
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