是枝裕和監督の、「真実」を観ました。
 カトリーヌ・ドヌーヴ演じる国民的大女優ファビエンヌが出版した「真実」というタイトルの自伝を巡って、娘のリュミール(ジュリエット・ビノシュ)との確執が露わになっていく中、「真実」とは何なのかを考えさせる作品です。
 その自伝には嘘と隠ぺいがいっぱい。「事実では面白くない」から。では、自伝は「真実」ではないのか? 女優であり続けるため、娘や大切な人をないがしろにした人生はどうなのか? 「脚本」という作り事も「真実」ではないのか? 「魔法」は? では「真実」はどこにあるのか? まるで謎掛けみたいです。
 最後は、リュミールの小さい娘の、「これは真実?」という問い掛けで、ふっと幕を閉じます。でも、あったかい余韻が残る、とってもいい映画でした。

 映画を見ながら、「客観的真実」と「主観的真実」について、ぼんやり考えました。やっぱり「客観的真実」だけが「真実」であるわけではないんだなあ。

 一般的には、客観的に説明可能なことこそが「真実」だと思われ、それとは違うことは、思い込みだとか妄想だとかで斥けられます。ても、どうしてもぬぐえない「主観的真実」だってあります。
 例えば、人が自分のことを笑っているわけではないのに、笑われているとしか思えないとか、ちょっとのミスでクビになるはずはないのに、ミスしてしまうと一巻の終わりだとパニックになったりとか。人から褒められても全然信じられなくて、自分には何もないという絶望感から抜けられない。いつも人に陥れられそうな気がする。いくら手を洗っても、自分の中から穢れが出てくる。今いるはずのない人の声が聞こえる。火星人に襲われる…。
 全く「客観的真実」でなくても、本人の中では実にリアルな立派な「主観的真実」です。

 その「主観的真実」を置き去りにするところから、生きづらさや心の病は発生します。もちろん、「客観的真実」ではないという認識は必要ですが、「主観的真実」も大切に受け止めないと、心が死んでしまいます。
 映画では、一人ひとりがファビエンヌの「心の真実」ー孤独や不安一に粋に寄り添っていく中で、封印されていた大切な「真実」も、浮かび上がってきます。母娘が互いを許し、抱擁し合う場面は感動的でした。
 
 何だか要領を得ない感想ですみません。映画の本筋からも、きっとズレています。でも、これが私の「主観的真実」なので、ご勘弁を。
 ともあれ、みなさんもぜひご覧になって、自分の「真実」を見つけてください。フランスの二大女優の競演も見ものですよ。

 是枝監督の映画は、「万引き家族」や「父になる」や「三度目の殺人」も観ました。どれも、深い人間愛と悲しみを感じます。人って愛おしい。でも、人の心は一筋縄ではいかない。本当に私はクライエントさんの「心の真実」に寄り添えているのか?と、身が引き締まる思いがします。

                        心理面接室TAO 藤坂圭子
                        HP:http://tao-okayama.com