去年今年貫く棒の如きもの   高浜虚子

 年が明けたその瞬間というのは格別で、一瞬前とは何か違う、神妙な気分にさせられます。
 徒然草にも、「かくて明け行く空の気色、昨日に変はりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする」(第二十段)とあります。
 「去年今年(こぞことし)」とは新年の季語で、そんな時の移ろいの感慨を表します。誰しも時間に追われバタバタしつつも、この節目に、今年こそは…!などと心持ちを新たにするのです。

 昔から、虚子のこの句は大好きで、憧れです。
 「去年今年」という、無常を生きる人間の感慨に、「棒」という武骨な物をぶつけて、しかも「貫く」と言い放つ。力強い表現です。
 「時」は「流れ」ではなく「棒」という確たる存在だともとれるし、「時の流れ」に「棒」というくさびを打ち込んだようにも読めます。いずれにしても、無常の中に「不変」なるものを感じさせる一句です。

 そもそも、「時間」というものは本当に存在するのだろうか? 時間が流れること、年を取ることを嘆いて、一体何の意味があるというのだろうか?
 …なんて、虚子のこの句に触れると、つらつら「時間」について考えさせられます。

 また別に、「貫く棒の如きもの」は、虚子の不動の精神のようにも思えます。年が改まろうが改まるまいが、「自分は自分」。何があっても、ブレることのない「自分」。
 この句は、1950年、虚子76歳の年に詠まれました。若いころは奔放な生活を送った虚子ですが、早逝した正岡子規の後継者として俳句の道を探求し、二度の大戦も見届けました。さらにこの後、85歳まで生きていますが、すでに達観した境地がうかがえます。

 明日で2019年も終わりです。この「去年今年」を私はどのように体験するのだろう?
 きっと、やれやれ、うろうろです。でも、「時の流れ」に翻弄されるばかりではなく、「貫く棒の如きもの」ー自分の「芯」を感じたいです。
 そのためには、人の思惑に惑わされたり、むやみに未来を恐れたりせず、自分の本来の望みに忠実に生きていかねば、と思います。自分の弱さや汚さも受け入れ、ごまかしのない自分でいたいです。
 人生は「今」の連続です。「今」を正直に生きることが、「棒」のような一貫した確かさをもたらしてくれると信じて。

 年末寒波が襲ってくるようですが、みなさまどうぞお体を大切に、良いお年をお迎えください。
 2020年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
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