私は2014年3月、25年間務めた高校教員を辞めました。決意したのは、前年の11月。異動希望の締め切りを過ぎていました。人生の大きな転換点で、大風邪から一過性健忘まで引き起こしたほどです(2016年11月のブログに書きました)。

 その数年前でしたか、焼き鳥屋でグチグチこぼしたのを覚えています。
 「私も辞めたーい。けど、やっぱり無理。ローンがねえ…」。一緒に飲んでいたのは、他県の臨床仲間で、一足先に教員を早期退職してカウンセリングルームを開業した人でした。彼は「簡単簡単。どうにかなるんよー」なんて、カッカ笑うのです。私は、「ハ~」と酎ハイをグイっとやり、また「ハ~~!」でした。

 そのさらに5年ほど前、若いころから教育相談の勉強でお世話になった、これまた早期退職された方の、美術の個展に行きました。その方は転勤後、「こんなところじゃ、やっとれん!」と年度途中で退職し、何と妻子を置いて北海道に行ってしまったのです(了解の上です)。スキーのインストラクターにでも転職されたのかと思いきや、「好きなことを仕事になんかできるか」と、大根農家などを手伝いながら悠々自適の生活に入ったとのこと。
 その方の絵というのがまことに素晴らしく、目にした瞬間、北海道の清々しい空気に包まれ、風や香りまで漂ってくるようでした。とても素人の絵とは思えない。しかし、絵を始めたのは、北海道に行ってからだということ!
 「わしゃ、今まで一枚も絵を完成させたことがなかった。小学校の時から、描くのが遅うていつも怒られとったんじゃ」。本当に圧倒されました。
 「いいですね~。私も辞めたいんだけど、生活が…」。「やめりゃええが。好きなように生きていくのが一番じゃ」とさわやか~に言われ、ますます暗澹たる気分に追い込まれたのでした。

 教員を辞めたいと思い始めて決心がつくまで、10年以上かかりました。
 なぜ辞めたかったかと言うと、教員である自分に誇りが持てなかったからです。日本で教員をしていたら子どもを潰す、という罪悪感がありました。教員生活は楽しかったし、たくさんのことを学べましたが、もっと一人一人の個性を面白がりたかった。数字では表れない人の価値や、心の闇の部分も大切にしたかった。生徒をお決まりのレールの上に乗せたくなかった。それに、たくさんの雑事で時間を奪われるのも、ほとほと嫌になっていました。
 これは自分が本当にやりたい仕事ではない。自分がいたい場所でもない。そう思いながらの10年以上、特に最後の数年は本当に苦しかったです。

 この間、先の二人との会話が、ずっと心の通奏低音のように響いていました。私も彼らのように納得がいく人生にしたい。これ以上無駄な時間やエネルギーを使いたくない。けれど、やっぱりネックはお金。
 ウンウン苦しんで、決意は一瞬で降ってきました。「あ、辞めよ」。
 ある人のふとした一言から、経済観念が変わったのがきっかけです。住宅ローンを抱えたまま退職はできないと思い込んでいましたが、お金は豊かに使うもの。必要なお金は何とかなる。何とかする。要は、自分の気持ち次第。

 結局、退職金で一年遊んで暮らしました。本を読み、フルートを吹き、人と会い、旅行もたくさんしました。心理臨床で身を立てられるよう、しっかり自分を肥やそうと思いました。二度と退職はないのだから、と背水の陣を引いて。夢のような一年で、あっという間に過ぎました。
 お金はどんどん減っていくのに、不思議と不安感がなかったです。思えば、退職を決意した瞬間に、不安は吹き飛んだかのようでした。きっと、心が強く豊かになったからです。

 TAOには、以前の私と同じように、仕事を辞めたくても辞められないという方が何人か来られています。実際、退職を果たした方もいらっしゃいます。
 退職前の不安は痛いほどよく分かります。経済、家族、健康…、心配の種は尽きません。先のお二人にしても、相当な葛藤があったはずです。
 けれど、いくら算盤をはじいても、人生は算盤の上にはありません。大切なのは、どう生きたいかです。耐えるのが美徳などと思ってはいけません。自分の意地と誇りを守りましょう。そして、モノやお金では測れない、真に心豊かな人生を目指しましょう。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                            HP:http://tao-okayama.com