報道番組で、最近の若い人たちは「サプライズ」が苦手だと聞きました。理由は、「欲しくないものをもらったときに、どう反応していいか分からないから」。人にプレゼントするにも、「迷惑になってはいけない」と、とても神経を使うそう。
確かに、誕生日プレゼントが好みでないものだったり、ダイエット中にお土産のお饅頭をもらったり、冷蔵庫に余っているのに畑でとれた夏野菜を玄関先に置かれても、困ります。けれど、それを「迷惑」と思ってしまっては、人間関係が淋しくなる気がします。
日本人が贈り物をするときの、「気持ちだけですけど」という言葉は、私は素敵だと思います。贈られた「物」は迷惑なこともありますが、「気持ち」は受け取りたい。だから、もらって嬉しいフリをするのも思いやりです。その後どうするかは、ちょっと考えますけど。
時には、あれ?、迷惑だったかしらと、気まずい空気になることもあります。けれど、こうやって「気持ち」のやり取りをすることで、人はお互いにつながってきたのではないでしょうか。
生きるのがしんどい人は、「受け取る」ことがとても苦手です。「物」に限らず、温かい言葉や親切もです。
辛い環境で育ってきて、「優しさ」というものが信じられないのでしょう。つい、ウラがあると思ってしまう。そうでなくても、照れくさくてどうしていいか分からない。自分なんか人に構われるはずがないと思い込み、やっと自分を尊重してくれる人に巡り合えたのに、自ら遠ざけてしまう。そして、ますます自分で自分を孤独に追いやってしまいます。
勇気を出して、人の厚意に甘えましょう。そして、自分は贈られるに値する人間なのだと信じましょう。人と人との絆は、「受け取って返す、受け取って返す」の繰り返しで深まります。返すのは、別の人に対してでもいい。「愛も天下の回りもの」です。
私は先日亡くなった田村正和さんの「古畑任三郎」シリーズが好きで、多分全部見ていると思うのですが、とても印象に残っている場面があります。
犯人が凶器に使ったのが、かつて自分が被害者に贈った小さなブロンズ像でした。ストーリーは忘れましたが、確か、被害者がその包み紙を、ブロンズ像の形の皺そのままに丁寧にとっておいたことが、犯罪の証拠となったのでした。それで古畑さんは、「あなたには、贈り物の包装紙も大切に残すという人の心が分からなかった」というようなことを言ったのでした。
「贈られる」、「受け取る」ということが実感できない、心の餓(かつ)えた人の悲劇でした。
自分の贈り物が迷惑になるのではと恐れず、心を込めて選びたいです。そして、もっと大切なのは、「受け取る」ということです。
要るか要らないかだけで、贈り物の価値を決めてしまうのはさもしいです。そもそも本来、生活や人生には「無駄」がいっぱいです。無駄な物、無駄な時間、無駄なおしゃべり…。でも、その「無駄」が心のゆとりや潤いにつながっていたはずです。
効率主義・成果主義の時代は、そんな人間らしい営みも削ぎ落しつつあります。けれど、役には立たず、時には邪魔にもなるけれど、温かい気持ちが通い合う、そんな世の中を取り戻したいです。
だから、繰り返しますが、贈り物や「気持ち」はありがたく受け取りましょう。そして、「すみません」でなく、「ありがとう」と言うのがいいと思います。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com
確かに、誕生日プレゼントが好みでないものだったり、ダイエット中にお土産のお饅頭をもらったり、冷蔵庫に余っているのに畑でとれた夏野菜を玄関先に置かれても、困ります。けれど、それを「迷惑」と思ってしまっては、人間関係が淋しくなる気がします。
日本人が贈り物をするときの、「気持ちだけですけど」という言葉は、私は素敵だと思います。贈られた「物」は迷惑なこともありますが、「気持ち」は受け取りたい。だから、もらって嬉しいフリをするのも思いやりです。その後どうするかは、ちょっと考えますけど。
時には、あれ?、迷惑だったかしらと、気まずい空気になることもあります。けれど、こうやって「気持ち」のやり取りをすることで、人はお互いにつながってきたのではないでしょうか。
生きるのがしんどい人は、「受け取る」ことがとても苦手です。「物」に限らず、温かい言葉や親切もです。
辛い環境で育ってきて、「優しさ」というものが信じられないのでしょう。つい、ウラがあると思ってしまう。そうでなくても、照れくさくてどうしていいか分からない。自分なんか人に構われるはずがないと思い込み、やっと自分を尊重してくれる人に巡り合えたのに、自ら遠ざけてしまう。そして、ますます自分で自分を孤独に追いやってしまいます。
勇気を出して、人の厚意に甘えましょう。そして、自分は贈られるに値する人間なのだと信じましょう。人と人との絆は、「受け取って返す、受け取って返す」の繰り返しで深まります。返すのは、別の人に対してでもいい。「愛も天下の回りもの」です。
私は先日亡くなった田村正和さんの「古畑任三郎」シリーズが好きで、多分全部見ていると思うのですが、とても印象に残っている場面があります。
犯人が凶器に使ったのが、かつて自分が被害者に贈った小さなブロンズ像でした。ストーリーは忘れましたが、確か、被害者がその包み紙を、ブロンズ像の形の皺そのままに丁寧にとっておいたことが、犯罪の証拠となったのでした。それで古畑さんは、「あなたには、贈り物の包装紙も大切に残すという人の心が分からなかった」というようなことを言ったのでした。
「贈られる」、「受け取る」ということが実感できない、心の餓(かつ)えた人の悲劇でした。
自分の贈り物が迷惑になるのではと恐れず、心を込めて選びたいです。そして、もっと大切なのは、「受け取る」ということです。
要るか要らないかだけで、贈り物の価値を決めてしまうのはさもしいです。そもそも本来、生活や人生には「無駄」がいっぱいです。無駄な物、無駄な時間、無駄なおしゃべり…。でも、その「無駄」が心のゆとりや潤いにつながっていたはずです。
効率主義・成果主義の時代は、そんな人間らしい営みも削ぎ落しつつあります。けれど、役には立たず、時には邪魔にもなるけれど、温かい気持ちが通い合う、そんな世の中を取り戻したいです。
だから、繰り返しますが、贈り物や「気持ち」はありがたく受け取りましょう。そして、「すみません」でなく、「ありがとう」と言うのがいいと思います。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP:http://tao-okayama.com
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