新学期が始まりました。学校に行きづらい子どもたち、保護者の方々はきっとヤキモキしていることでしょう。でも、学校に行くか行かないかという現象だけで、良し悪しを判断するのは止めましょう。
 ホロコーストを生き延びた精神科医V.E.フランクルは、「人生で起きる全てのことに意味がある」と言いました。どの不登校にも意味があります。本人にとっても、家族にとっても、学校や社会にとっても。
 不登校の子どもは、人生を掛けて何かを訴えています。自分では意識していないことがほとんどですが。

 「学校に行く意味が分からない」と子どもが言い始めたとしたら、大人は喜ぶべきです。
 学校は何のためにあるのか。なぜ勉強しなければならないのか。学校で自分は何を得られるのか、または失うのか。何となく学校に行っていた子どもが、はたと立ち止まって考え始める。生きるとはどういうことかにつながる「哲学」の始まりです。 
 けれど、当人は自分の中で何が起こっているのか訳が分からず、ただ自己嫌悪に陥って鬱っぽくなったり、「面倒くせー」とゲームに逃げたりします。一緒に哲学する人がいたらいいと思います。今自分が大切にすべきものは何なんだろう? 人とは違う自分らしさって何だろう? いったい自分は何に抗議をしたいんだろう? 
 決して子どもの屁理屈だと軽んじず、子どもが不器用ながら自分の意志や価値観を確立していくのを見守りたいです。
 
 世の中は理不尽なことだらけなのだから、このくらいのことでへこたれてはいけない、妥協して我慢すべきだという考えは、子どもの未来を損ないます。もちろん、子どもに足りていない力を身に付けさせることも必要ですが、理不尽を理不尽と思える批判精神、自分が大切とするものを守ろうという気概や自負心は、「生きる力」です。
 これからますます多様化する社会を生き抜くためには、自分の意志を通し、自分の居場所を自分で選べるたくましさが、きっと必要になってくるでしょう。

 親や家族に対してのメッセージもあるかもしれません。
 家の中にでんと居座って、もっと私の方を向いて!と叫んでいるのかもしれません。子どもが求めているのは、構ってもらう時間の長さよりも、大切にされている、分かってもらえているという実感です。それが、自尊心を培い、辛い学校にも行こうかという勇気につながります。 
 あるいは、お父さんお母さん、もっと仲良くして! 僕は心配で学校どころじゃない!という叫びかも。
 親にもっと幸せになってほしいという願いがこもっていることも。そんなにあくせく働いて、人に気ばかり遣って、それでいいの? もっと楽に生きてもらわないと私だって息が詰まるよー、とか。
 子どもの不登校をきっかけに親自身が人生観を問い直すことができると、家の中の空気感がふわっとしてきます。お互いのことも許せます。親が変わるだけで、子どもが学校に行けるようになることはよくあります。

 学校に行っていれば安心というわけではありません。家より学校の方がマシだから、不登校しても一緒に悩んでくれる人がいないから、仕方なく学校に行っている子どももいます。問題解決はずっと先延ばしになって、大人になってからが苦しいです。
 親が子どもの苦しみに気付いて、家庭がその受け皿になれると、子どもが「やっと不登校になれる」こともあります。

 とりとめもなく、何ら具体策もない厳しい話になっていますが、不登校への対応にマニュアルはありません。不登校の意味は、それぞれのケースによって違うので。
 2学期になったら行ってくれるのではないかと大人は期待しがちですが、大人の現実的・合理的な時間感覚と、子どもの時間感覚は違います。子どもの内側で「機が熟す」と、子どもは自ら動きます。それまで、大人がどうサポートできるか。
 大人は、つい子どもの「未来」を考えてしまいますが、まだ発展途上の子どもにとって大切なのは、「今」です。「今」の連続が「未来」です。「今」が充実してくれば、きっと「未来」も安泰です。

 不登校というストライキで子どもは何を訴えているのか、想像力を豊かにしましょう。そして、子どもの目線に下りて、子どもから教えてもらえることはどんなことだろうと、謙虚に子どもと向き合いましょう。そうすることで、大人も置き去りにしてきた大切なものを取り戻し、創造的に生きられます。
 子どもは、家族や社会の変革を促すエネルギーを持っています。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
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