「私でしかない」。
 あるTAOのクライエントさんが、暗いトンネルの出口に差し掛かって、嚙みしめるように発した言葉です。厳しい家庭環境で片時も安心できずに育ち、強迫神経症や抑うつで現実生活もままならなかった方ですが、いろんなこだわりから解放され、親のことも気にならなくなり、「本当に不思議な感じ」に包まれました。その感じをもっとじっくり味わってもらっていると、この言葉が出てきたのです。(ご本人の許可を得て書いています)

 親のことを許せる自分になりたい、親と和解したい、とTAOにいらっしゃる方も多いです。ドロドロした感情が噴き出ます。一生懸命、親とぶつかります。けれど、親子であっても別個の人間。親に受け止めるキャパがなければどうしようもありません。諦めの中、落ち着く先は「自分は自分」です。これからの自分の人生と今の家族を大事にしていく、と決意されます。

 私たちはどれだけ、人の思惑を先取りして生きてきたでしょう。世間的な価値観に合わせようと無理してきたでしょう。無力な子どもはそうしないと生存できませんから、「私」なんかにかまけている暇はありません。
 そうして「私」がないまま成人して、どうしてこんなに生きづらいのだろうと悩み続け、ある時ふと自分がいかに支配されてきたかに気付いて愕然とします。それから「私」を取り戻す旅になるのですが、そこからがまた長く険しい。それは一人ではできないので、痛みを抱えてくれる人とともに、「私」の価値を新たに築くプロセスとなります。早くから成功できる人のように、親に寄り添われ大切に育ててもらえていたら、どんなに楽で幸せだったろうと、悔しさに苛まれながら。 

 この険しい道のりを共にしたく、私は当面接室名の後に、「~『私』の人生を生きる~」と添えていますが、冒頭の「私でしかない」は、私には思いもつかない感動の言葉でした。力強い目をしていました。これが「私」だ、この「私」でいいんだ、という確信に満ちていました。

 「自分は自分」という感覚が持てると、人は人に寛容になれるようです。自分が自由に生きられるなら、人の自由も許せるということでしょうか。残念ながら私とあなたは一体ではない。けれど、「私」と「あなた」の間に、優しさが生まれる。
 そして、なぜか「運」も巡ってくるようです。いい人との出会いがあったり、お金や仕事が舞い込んできたり。私も狐につままれたような不思議な気分になります。

 誰のものでもない「私」の人生ですから、しっかり「私」に執着していいです。そして「私でしかない」と思えた時、「私」を手放せるのでしょう。そこからはきっと、ゆったりと穏やかな人生が待っています。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
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