自分の思うことが言えない。人にどう思われるか気になる。自分が分からない。人を信じられない。何事にも打ち込めない。そうした生きづらさの背景には、多くの場合、虐待やいじめがあります。
 時間が経っても、その場から逃れられても、かさぶたのない生傷が心に残されて、折に触れて疼きます。いつもビクビクして、何かにチャレンジしたり新しい場に出て行くことが怖くてたまりません。生きる意味が見いだせないまま、苦しい日々を送っていらっしゃるのではないでしょうか。 
 「複雑性PTSD」を負っているのです。

 長期間、理不尽な暴力にさらされ続けると、当然いつも周りを警戒しなければなりません。相手は脈絡なくほとんど気分によって攻撃してくるので、できるだけ身を潜め、相手を不快にさせないように気を遣い、または先回りしてご機嫌を取らざるを得ず、もはや自分の心がどこにあるか分からなくなってしまいます。
 抵抗できなくてもそれは自分の弱さではありません。とことん無力化された上に、横暴に立ち向かうのは危険すぎます。「逃げるが勝ち」なのです。でもどこにも逃げ場がなくて、いつ地雷を踏むか分からないまま過ごす恐怖は、深く刻印されて消えません。
 そればかりか、世界観は苦悩に満ちたものに変えられ、心の構造や機能を壊されます。新たに人と繋がる力も損なわれます。
 本当に惨いです。
 
 では、どうやって生き延びるか。
 まず、「自分は悪くない」と信じてほしいです。どうしてこんな不運が襲ってきたのか分かりませんが、決して自分が悪いのではない。相手への怒りや運命への呪いを封じ込めないでください。自分の自然な感情を尊重しなければなりません。
 けれど、復讐すれば幸せになれるかと言うと、そうではない。それがまた苦しい。

 心の傷の手当をすることが必要です。思い出したくも語りたくもないことですが、ちゃんと嘆いて悲しんで昇華させます。それは大変な心の作業で、決して一人でできることではありません。時間もかかります。セラピストやグループの安心感の中で、ゆっくり丁寧に行います。膿を出し、赤チンを塗って、縫い合わせ、包帯をして、「痛いの痛いの飛んで行けー」をします。そして、傷跡は残るにしても、「単なる過去のこと」にしていくのです。あー、あんなこともあったなあ、という風に。
 心には必ず健康な部分が残っています。楽しめる自分、愛する力、将来への夢。それらも掘り起こして再び力を与え、真っ黒に思える自分の歴史に彩りを取り戻します。ここまでの人生を公平に捉え直して、新しく書き換えるのです。そして、その延長上の「今」に、しっかり立っている感覚を養います。

 トラウマの治療に携わり続けたアメリカの精神科医ジュディス・L・ハーマンは、著書「心的外傷と回復」の中で、次のように述べています。
 回復をなしとげた生存者は人生に直面する時、幻想はあっても少なく、逆にしばしば感謝の念がある。その人生観は悲劇的であるかもしれないが、まさに人生は悲劇であるということそのことによって生存者は笑いを大切にすることを学んだのである。何が大切で何が大切でないかについてはっきりしたセンスを持つようになったのである。悪に直面したことによって、よきものからしっかりと手を放さずにいるすべを知ったのである。死の恐怖に直面したことによって、人生をことほぐ(祝福する)すべを知ったのである。

 ホロコーストを生き延びたヴィクトール・E・フランクルは、「人生で起こる全てのことに意味がある」と言いました。人は、起こったことの自分にとっての「意味」が納得できると、次のステージに進めるようです。
 しんどい人の傍にいる方は、そのしんどさは本人の責任ではないこと、気の持ちようで頑張れるものではないこと、じっくりと見守る必要があることを理解し、十分配慮して支えていただきたいと思います。

                            心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com