昨年8月8日、偉大な精神科医、中井久夫氏が亡くなりました。特にトラウマや統合失調症の治療に多大な功績を残された方です。氏の「心のうぶ毛」論は、非常に感慨深いです。
 
 統合失調症を通過した人の繊細さ、やさしさ、人への敏感さのようなものと言いましょうか。周囲にやわらかさを伝え、周囲の人をも感化して、共感されるもの、彼らにとっては人生を味わい深く感じさせてくれるものです。この「心のうぶ毛感受性」を残していれば、こののち彼らが社会の荒波を乗り越えていくときに人を引き付つける力となって、生きることを助けるはずです。能率や生産力より人好きのするその純粋さを高く評価する人が社会の側には必ずいると私は思います。 (「統合失調症は癒える」ラグーナ出版)

 精神病患者のみならず、人間存在そのものに対する温かいまなざしを感じます。「札つきのいじめられっ子」であったご自身、そのトラウマに悩まされなくなるまで初老期までかかったと言います(*J.L.ハーマン「心的外傷と回復」訳者あとがき)。その過程の中で、「心」というものの機微や回復可能性について、身をもって体験されたのではとも思います。
 さらに、精神科医としての「心」の追究を超え、広く歴史や社会の問題にも踏み込み、幅広いジャンルの著作を残されています。 

 昨年12月、NHKの「100分で名著」は中井久夫スペシャルでした。その最終回で「戦争と平和 ある観察」が取り上げられました。ロシアによるウクライナ侵攻から1年、暗澹たる気分を拭えない昨今なので、特に心に響きました。なぜ人はこうも戦争を繰り返すのか、納得の説明がありました。

 戦争と平和というが、両社は決して対称的概念ではない。前者は進行してゆく「過程」であり、平和はゆらぎを持つが「状態」である。

 戦争が「過程」であるのに対して、平和は無際限に続く有為転変の「状態」である。だから、非常に分かりにくく、目にみえにくく、心に訴える力が弱い。

 戦争は「過程」で、ドラマティックで語りやすく、カッコいい。一体感で熱狂的にもなる。それに対して、平和は「状態」であって、変化が乏しく退屈でダサい。だから、「平和」をわざわざ維持しようという動きは起こりにくい。むしろ、「安全の脅威」をでっち上げてでも、「安全保障」という名目のもとに戦争に向かいたくなる。
 まさに「先見の明」ですね。氏は、人間というものの傾向を、本当によく見抜いています。
 番組ではさらに深い読み解きがありましたが、その詳細はテキストに譲るとして、私が思い出したのはやはり「心のうぶ毛」でした。

 平和で退屈な日常の中にも、やさしい「心のうぶ毛」の揺らぎがあります。ふと水面をさらう春風のような。子どものちょっとしたしぐさに思わず微笑まれるような。人の悲しみを我がことのように引き受けて泣けてきたり、些細なことで傷つきもする。こんな繊細な美しさを見失った時、私たちは刺激を求めて暴走してしまうのでしょう。 
 「心のうぶ毛」は、誰しもが持っている人間の原点のように思います。そこに、人の魅力も人生の味わいもあるのではないでしょうか。
 お互いの「心のうぶ毛」を尊重しつつ、強く「平和」を希求する意志を持ち続けたいものです。

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
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