親との関係のお悩みでTAOにいらっしゃる方が多くいらっしゃいます。年代は、20歳代から60歳代の方まで幅広いです。

 何をやっても褒めてもらえず、けなされてばっかりだった。家族や世間への愚痴を聞かされっぱなしだった。少しのことで怒鳴られたり暴力を振るわれたりした。抽斗やゴミ箱の中までチェックされた。進路を決めつけられた。友だちや恋人との関係を断たれた。バイトで稼いだお金を巻き上げられた。性暴力。絶えない夫婦喧嘩や借金の取り立て…。

 心休まる間もなく、いつも緊張して過ごさねばなりませんでした。自分の親イメージは他の人に投影されるので(みんなが親のような凶暴な人に見えてしまう)、どうしても人間不信になります。成人しても、人間関係がうまくいかなかったり、仕事が続かなかったり、子育てで苦労したりです。漠然とした不安が拭えないまま、精神疾患を負う方もおられます。
 
 小さいころはどの家もこんなものだろうと思って過ごしますが、どうやら他の家は違うらしい、ウチはおかしいらしい、自分の生きづらさは親との関係に起因していたのだと気づきます。
 ある年齢になって耐え切れず、親と距離を置かざるを得なくなります。メールや電話、盆正月の帰省もできず、中には完全に縁を切る方もおられます。それでも、親不幸な自分は人として失格ではないかと、自分を責めたりされています。

 この事態をどう考えればいいのか、どう打開すればいいのか。にっちもさっちもいかなくなって、TAOにいらっしゃいます。時間はかかりますが、いろんな思いを吐き出し整理し、勇気を出して親とぶつかったりしながら、それぞれの落としどころを見つけて、少しずつ楽になっていかれます。

 そのプロセスの中で多くの方に生じるのが、「諦め」です。どんなに期待しても、どんなに訴えても、親は変わらないという現実に直面せざるを得ないのです。
 人間は不完全なまま親になります(誰もが、一生不完全)。けれど、多くの人は、子どもを育てながら、子どもにも育てられ、「親」になっていきます。が、その資質を持てないまま親になってしまい、何が起ころうとも自分のことしか見えない人たちが、実際に存在するのは確かです。その親も、好んでそうなったわけではなく、自らもちゃんと育ててもらえなかったという不幸な事情があるのでしょうけれど。
 
 「親ガチャ」に外れて、そういう人の子どもとして生まれてしまったのは、本当にやり切れないです。けれど、その現実を受け入れて、諦めて、十分に泣き切ったとき、変化が始まります。
 残念ながら、自分の親は、生物学上の親に過ぎないのであって、精神的な「親」にはなり得ない。一人の未成熟な輩だった。ならば、「親」を別のところに求めるしかない。それは、信頼できる他人や温かいコミュニティであるかもしれないし、自然や芸術であることもあります。宗教が支えになることもあります。まっとうな宗教ならばいいですが…。
 恨みつらみは尽きません。が、受けた傷を癒しつつ、生まれた世界を捨てて新しい世界を生きようと決心することが、親との確執を乗り越える第一歩となります。

 結果、親は全然変わらないのに、あまり気にならなくなっていきます。「自分は自分」と割り切って生きられるようになります。
 なぜか、あんなにかたくなだった親が柔らかくなることもあります。親に対して、憐れみや慈しみの気持ちが湧いて、いつの間にか少し家族が変わったりもします。でも、そうならなくても仕方ないです。
 
 いずれにせよ、親との関係を整えようと頑張るよりも、まず「自分自身を生きる」という意志が、何より救いにつながります。いい子、いい人にならなくていいです。どこに生まれようと、自分の人生を生きる権利があるのだから。親もまた自身の選択で、その人生を生きているのです。
 自分は自分で生き、人の人生にも白黒つけない。そうした一人ひとりの自由が、「世代間連鎖」を断ち、世の中の平安にもつながっていくのではないでしょうか。 

                           心理面接室TAO 藤坂圭子
                           HP:http://tao-okayama.com