「過去のことは振り返らない」をモットーに前に進むのは、素晴らしいことだと思います。「過去」を、自分の中に受け入れられているのならば。
でも、たいていは「過去」からはなかなか自由になれないもの。忘れようとしても、付きまとってきます。良くも悪くも、「過去」は心の中に生きています。
誰しも、思い出したくない「過去」はいっぱいあります。大失敗。大失恋。何であんなことをしてしまったんだろうという後悔。あの人に謝れなかったこと。大事なときに立ち止まってしまった自分。虐待されて育ったこと。ひどいいじめを受けたこと。あのときの孤独感、罪悪感、屈辱感…etc。
思い出すと心が疼きます。出来事は「過去」のことに違いないのに、その疼きは、「今」、起こっています。「過去」のことではないのです。だから、「今」のこととして、いたわってあげなければ。
(だから、そんな傷を負った方に、「過去のことだから忘れろ」とか「いじめた人はもういないから、大丈夫」などは、禁句です)
苦しい「過去」を背負っていると、「過去」に蓋をしたいのは、無理からぬことです。けれど、残念ながら「過去」をなかったことにはできません。「過去」を含んでの「今」の自分です。「過去」を切り離すことは、自分の一部を切り離すことでもあります。
ちなみに、自分の「過去」を語らない親を持つ子どもは、不安定になりがちです。親のことが分からないと、自分のルーツがぼんやりしたままで、トータルな自己イメージが作りにくいのです。
では、「過去」とどう向き合ったらいいのか。
よく片付け術などで、まず冷蔵庫や抽斗の中の物を全部出して広げるように、心の中のことも、取り出して俯瞰して見られるようになるといいです。一人ではしんどいので、苦しみに共感しながら一緒に眺める人が必要です。ただ、物理的なお片付けと違い、ゆっくりやることが肝心。問わず語りにポロポロ出てくるくらいが安全です。
そして、ああ、これとこれがつながっていたんだ、これはいらないんだ、これは捨てられない…、と見えてくるだけでスッキリしてきます。さらに、あのときに見失っていた「健康な自分」 ー意地や誇り、判断力、正当な怒りなどー を、是非取り戻しましょう。
「過去」も含めた、新しい「自分」が構築されます。
「過去」に伴う情動が変化します。「過去」はほろ苦い思い出の、単なる「過去」になっていきます。
ああ、あんなこともあったなあ、よく頑張ってきたなあ、まああれも許そうか、あれのおかげで今の自分があるのかも…、などなど。
「過去」を抱きしめながら歩んでいけたらいいですね。
仏教や量子力学などでは、そもそも「時間」は存在しないと言います。「時間」とは脳が生み出した幻想にすぎない、と。
だとしたら、荒っぽいですが、結局は「今」に集約されると言えるのかもしれません。「過去」も「今」起きている。「今」の連続が「未来」なのだから、「今」は「未来」を含んでいます。
「今」の思いを大切に、丁寧に生きていきたいものです。
でも、たいていは「過去」からはなかなか自由になれないもの。忘れようとしても、付きまとってきます。良くも悪くも、「過去」は心の中に生きています。
誰しも、思い出したくない「過去」はいっぱいあります。大失敗。大失恋。何であんなことをしてしまったんだろうという後悔。あの人に謝れなかったこと。大事なときに立ち止まってしまった自分。虐待されて育ったこと。ひどいいじめを受けたこと。あのときの孤独感、罪悪感、屈辱感…etc。
思い出すと心が疼きます。出来事は「過去」のことに違いないのに、その疼きは、「今」、起こっています。「過去」のことではないのです。だから、「今」のこととして、いたわってあげなければ。
(だから、そんな傷を負った方に、「過去のことだから忘れろ」とか「いじめた人はもういないから、大丈夫」などは、禁句です)
苦しい「過去」を背負っていると、「過去」に蓋をしたいのは、無理からぬことです。けれど、残念ながら「過去」をなかったことにはできません。「過去」を含んでの「今」の自分です。「過去」を切り離すことは、自分の一部を切り離すことでもあります。
ちなみに、自分の「過去」を語らない親を持つ子どもは、不安定になりがちです。親のことが分からないと、自分のルーツがぼんやりしたままで、トータルな自己イメージが作りにくいのです。
では、「過去」とどう向き合ったらいいのか。
よく片付け術などで、まず冷蔵庫や抽斗の中の物を全部出して広げるように、心の中のことも、取り出して俯瞰して見られるようになるといいです。一人ではしんどいので、苦しみに共感しながら一緒に眺める人が必要です。ただ、物理的なお片付けと違い、ゆっくりやることが肝心。問わず語りにポロポロ出てくるくらいが安全です。
そして、ああ、これとこれがつながっていたんだ、これはいらないんだ、これは捨てられない…、と見えてくるだけでスッキリしてきます。さらに、あのときに見失っていた「健康な自分」 ー意地や誇り、判断力、正当な怒りなどー を、是非取り戻しましょう。
「過去」も含めた、新しい「自分」が構築されます。
「過去」に伴う情動が変化します。「過去」はほろ苦い思い出の、単なる「過去」になっていきます。
ああ、あんなこともあったなあ、よく頑張ってきたなあ、まああれも許そうか、あれのおかげで今の自分があるのかも…、などなど。
「過去」を抱きしめながら歩んでいけたらいいですね。
仏教や量子力学などでは、そもそも「時間」は存在しないと言います。「時間」とは脳が生み出した幻想にすぎない、と。
だとしたら、荒っぽいですが、結局は「今」に集約されると言えるのかもしれません。「過去」も「今」起きている。「今」の連続が「未来」なのだから、「今」は「未来」を含んでいます。
「今」の思いを大切に、丁寧に生きていきたいものです。
心理面接室TAO 藤坂圭子
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