先日、ある不登校支援の会で講演を依頼され、「不登校」の本当のテーマは何なのか、改めて考える機会になりました。タイトルは、「『私』らしく生きる」としました。
お話しさせていただいた内容を、ここでもかいつまんでお伝えしたいと思います。
・・・・・・・
不登校になる子どもは、実は強い子です。自分らしく変わっていこうとする子、変わっていく力がある子、そして周りの大人を変えていく力がある子です。
子どものメッセージをいかに受け止めるかで、その子の将来、家族の在り方が変わってきます。
不登校への対応はいたるところで説かれていて、まずは「寄り添う」ことが大切だと言われます。では、「寄り添う」とは何なのか。
決して、怒りたい気持ちを我慢してその子の好きなようにさせる、ではありません。その子の気持ちを、その子になったつもりで想像して、ただ一緒にいてあげることです。真っ暗なトンネルのど真ん中で、隣で同じように膝を抱えて座るように。
さらに私は、「面白がる」ことがミソだと思っています。ちょっと心配でも、その子のその子らしさを、ははっと「面白がる」。
よくまあ、そんなに寝ていられるわね。
よくそんなウソを思いつけるわね。
見栄っ張りで強情で、あなたらしくて面白いわ。
今は、逃げるが勝ちを決め込んでいるのね。
大人しくて控えめで、そういうところが本当に可愛いわ。 …etc.
不器用だけれどこの子らしいなあ。こうやって必死で生きているんだなあ。あがいているんだなあ。しばらく付き合ってみるか、とゆったりとした心持ちで構えている方が、よっぽど立ち直りは早いです。
学校に行っている行っていない、勉強しているしていないは、二の次です。不登校に陥った子は、一見気楽そうに見える場合でも、実はかなりの自己嫌悪感に苛まれています。不安でいっぱいです。大人がそれに追い打ちをかけることがないように。その子の「自尊心」をくじかないように。笑えることが第一。
また、「感情」の自由を保障すること。人間誰しも、思い通りにならないとネガティブな感情にとらわれます。でも、その感情に蓋をして、こんな風に考えたらいいなどと言い聞かせても、感情にはエネルギーがあるので簡単に切り替えはできません。感情に白黒つけずに尊重することが大切です。
そんなに苦しいんじゃ、学校にも行きたくないよね。思い通りにならない自分が嫌なんだね。そう思って当然だね。…そう分かってもらえると、子どもはどんなにホッとすることか。それが一番の薬となります。安心感が得られると、だんだん動きたい気にもなってきます。
人の原動力は、「思考」ではなく「感情」なのです。
中でも、「怒り」の感情は大切です。自分がないがしろにされたこと、理不尽な扱いを受けたことに対しては、怒って当然です。けれど、諦めてしまうと骨抜きな人なってしまいます。それで、どんなに多くの人が死にたい気分にとらわれているか。意地とプライドを取り戻しましょう。
とは言え、親としてはどうしても不安で心配で、先走ってあれこれ言いたくなります。温かく見守るなんて、言葉で言うほど簡単ではありません。
難しいのですが、どっしり構えるためには、親自身がもともと抱えている不安から解放されなければなりません。今までの人生観や世界観を根本から問い直す必要にも迫られます。私は今まで何を大切に生きてきたんだろう。自分を見失ってはいなかったか。人間の本当の幸せって何なんだろう…。
一人で考え込んでも仕方ないので、親も人の力を借りて甘えてみましょう。いろんな人のサポートを受けて、ふわっとした人間関係を体験しましょう。
子どもがその機会を与えてくれています。
いわゆる「勝ち組」、レールに乗った人生とは違う生き方を、子どもは模索しています。そう生きられるユニークな力を持った子たちです。「私らしさ」を認めてほしい、と叫んでいます。そして、きっと親にも「私らしく」生きてほしいと願っています。
この子はどんなふうに自分を発揮していくのだろう。私たち家族の色はどんなふうに変わっていくのだろう。それぞれが「私らしく」生きたら、どんなに面白いことになるだろう、と想像してみましょう。
不登校はその子だけの問題ではなく、家族・学校・社会にも、人間本来の生き方を問い掛けているのだと思います。
・・・・・・・
かなり端折って書いたので、分かりにくく突拍子もなく感じられる部分もあるかもしれません。なら、どうしたらいいの?と、疑問は尽きないでしょう。
ただ、不登校に直面している方にもそうでない方にも、「私らしく」豊かに生きるということについて、考えるきっかけにしていただければ、幸いです。
お話しさせていただいた内容を、ここでもかいつまんでお伝えしたいと思います。
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不登校になる子どもは、実は強い子です。自分らしく変わっていこうとする子、変わっていく力がある子、そして周りの大人を変えていく力がある子です。
子どものメッセージをいかに受け止めるかで、その子の将来、家族の在り方が変わってきます。
不登校への対応はいたるところで説かれていて、まずは「寄り添う」ことが大切だと言われます。では、「寄り添う」とは何なのか。
決して、怒りたい気持ちを我慢してその子の好きなようにさせる、ではありません。その子の気持ちを、その子になったつもりで想像して、ただ一緒にいてあげることです。真っ暗なトンネルのど真ん中で、隣で同じように膝を抱えて座るように。
さらに私は、「面白がる」ことがミソだと思っています。ちょっと心配でも、その子のその子らしさを、ははっと「面白がる」。
よくまあ、そんなに寝ていられるわね。
よくそんなウソを思いつけるわね。
見栄っ張りで強情で、あなたらしくて面白いわ。
今は、逃げるが勝ちを決め込んでいるのね。
大人しくて控えめで、そういうところが本当に可愛いわ。 …etc.
不器用だけれどこの子らしいなあ。こうやって必死で生きているんだなあ。あがいているんだなあ。しばらく付き合ってみるか、とゆったりとした心持ちで構えている方が、よっぽど立ち直りは早いです。
学校に行っている行っていない、勉強しているしていないは、二の次です。不登校に陥った子は、一見気楽そうに見える場合でも、実はかなりの自己嫌悪感に苛まれています。不安でいっぱいです。大人がそれに追い打ちをかけることがないように。その子の「自尊心」をくじかないように。笑えることが第一。
また、「感情」の自由を保障すること。人間誰しも、思い通りにならないとネガティブな感情にとらわれます。でも、その感情に蓋をして、こんな風に考えたらいいなどと言い聞かせても、感情にはエネルギーがあるので簡単に切り替えはできません。感情に白黒つけずに尊重することが大切です。
そんなに苦しいんじゃ、学校にも行きたくないよね。思い通りにならない自分が嫌なんだね。そう思って当然だね。…そう分かってもらえると、子どもはどんなにホッとすることか。それが一番の薬となります。安心感が得られると、だんだん動きたい気にもなってきます。
人の原動力は、「思考」ではなく「感情」なのです。
中でも、「怒り」の感情は大切です。自分がないがしろにされたこと、理不尽な扱いを受けたことに対しては、怒って当然です。けれど、諦めてしまうと骨抜きな人なってしまいます。それで、どんなに多くの人が死にたい気分にとらわれているか。意地とプライドを取り戻しましょう。
とは言え、親としてはどうしても不安で心配で、先走ってあれこれ言いたくなります。温かく見守るなんて、言葉で言うほど簡単ではありません。
難しいのですが、どっしり構えるためには、親自身がもともと抱えている不安から解放されなければなりません。今までの人生観や世界観を根本から問い直す必要にも迫られます。私は今まで何を大切に生きてきたんだろう。自分を見失ってはいなかったか。人間の本当の幸せって何なんだろう…。
一人で考え込んでも仕方ないので、親も人の力を借りて甘えてみましょう。いろんな人のサポートを受けて、ふわっとした人間関係を体験しましょう。
子どもがその機会を与えてくれています。
いわゆる「勝ち組」、レールに乗った人生とは違う生き方を、子どもは模索しています。そう生きられるユニークな力を持った子たちです。「私らしさ」を認めてほしい、と叫んでいます。そして、きっと親にも「私らしく」生きてほしいと願っています。
この子はどんなふうに自分を発揮していくのだろう。私たち家族の色はどんなふうに変わっていくのだろう。それぞれが「私らしく」生きたら、どんなに面白いことになるだろう、と想像してみましょう。
不登校はその子だけの問題ではなく、家族・学校・社会にも、人間本来の生き方を問い掛けているのだと思います。
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かなり端折って書いたので、分かりにくく突拍子もなく感じられる部分もあるかもしれません。なら、どうしたらいいの?と、疑問は尽きないでしょう。
ただ、不登校に直面している方にもそうでない方にも、「私らしく」豊かに生きるということについて、考えるきっかけにしていただければ、幸いです。
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