去る11月8日金曜日、私は還暦にして初の、骨折というものをしてしまいました。
スクールカウンセラーとして勤務している小学校で、子どもと遊んでいて転んだのです。私の浅はかさが招いたことで、いくら関係づくりとは言え、場と歳をわきまえず走ったのは、本当にいけませんでした。
ひねったくらいだろうと思っていたのですが、あまりに痛いのでレントゲンを撮ると、何と右手首の骨折ということ。医師からは、1ヶ月半ほどギプス固定でも治るが、手術をした方が回復は早いし予後もいいと言われました。たくさんご予約いただいているのにどうしようとクラクラしましたが、やはり医師から、こういうときが仕方がないんだよとたしなめられ、思い切って手術をすることにしました。これも、人生初です。
それから大病院を紹介され、手術も病室もかなり埋まっているところを無理にねじ込んでもらい、結局、月曜に入院、火曜に手術、退院は早めてもらい水曜に、その日の午後から面接という強行突破の1週間となりました。
手術は右手首内側に固定のためのプレートを入れるものでした。術後はギプスなしの包帯だけで、日に日に右手が使えるようなります。痛みも腫れもかなり収まりました。あとは、リハビリと日にち薬です。多分年内には不自由はなくなっています。医学の進歩と、人間の回復力はすごいです。
ありがたいことに命に別条があったわけではなく、後遺症も心配なく、たいした怪我ではなかったのですが、何だか不思議な体験でもありました。
骨折後数日は利き手が全く使えず、全身が思い通りにならなずギクシャクし、日常も吹っ飛び、急に別世界の人になりました。
手術は局所麻酔でしたが、睡眠剤を処方してもらったので、疲れもあってか始まる前から爆睡し、気が付いたら終わっていました。はて、私はどこにいたんだろう?
麻酔が解けるまでの腕はだらんだらんで、全く自分の物でなくなってしまったような淋しさがありました。
何だか黄泉の国に行って帰って来たような感じです。
考えてみれば、人生は瞬間瞬間、喪失や離合の連続です。そして、いずれは本当にあちらに行くのです。
「生死一如」。「生」も「死」も大差ないのではと思うと、何だか謙虚な気持ちになりました。何かを喪失した感じと、いや喪失せねばならないという思いも強くしました。
最近、ご自身や周囲の方の怪我などの報告を複数受け、なんでこんなことが起こるのだろう? 何のコンステレーションなんだろう?と、一緒に首をかしげていたところでした。何だかキツネにつままれたようです。
恐らく、その方たちも私も、C.G.ユングの言う「死と再生」のプロセスにあるのでしょう。新しい自分になるためには、古い自分を捨てなければなりません。そのためには、何かが「折れる」、「くっつく」といったようなことが、象徴的に起こることがあります。
入院中に読んだ、今年ノーベル文学賞を受賞したハン・ガン氏の「すべての、白いものたちの」も、「生」と「死」を行き来する、透明感にあふれた作品で、ピッタリでした。
おかげさまで、この11月、TAOを開室して10年目に入りました。
その間、昨年の父死去の際以外にご予約をキャンセルさせていただいたことはなかったですが、この度は骨折後の三日間ほど、キャンセルをお願いせざるを得ませんでした。申し訳ないことですが、甘えさせていただきました。
ただ、代わりがいない仕事なので、ちょっと無理をしてしまったかもと思います。
今度何かがあったら、もうちょっと甘えさせていただくかもしれません。トシもトシですし…。
それに、いい加減バタバタ動くのを控えて、もうちょっと大人らしくならなければ。何事にも限界があります。
生きているといろんなことが起こります。そんなこんなをクライエントさんと共有しつつ、これからも、TAOに委ね、大船に乗ったつもりで歩んでいけたらと思います。
スクールカウンセラーとして勤務している小学校で、子どもと遊んでいて転んだのです。私の浅はかさが招いたことで、いくら関係づくりとは言え、場と歳をわきまえず走ったのは、本当にいけませんでした。
ひねったくらいだろうと思っていたのですが、あまりに痛いのでレントゲンを撮ると、何と右手首の骨折ということ。医師からは、1ヶ月半ほどギプス固定でも治るが、手術をした方が回復は早いし予後もいいと言われました。たくさんご予約いただいているのにどうしようとクラクラしましたが、やはり医師から、こういうときが仕方がないんだよとたしなめられ、思い切って手術をすることにしました。これも、人生初です。
それから大病院を紹介され、手術も病室もかなり埋まっているところを無理にねじ込んでもらい、結局、月曜に入院、火曜に手術、退院は早めてもらい水曜に、その日の午後から面接という強行突破の1週間となりました。
手術は右手首内側に固定のためのプレートを入れるものでした。術後はギプスなしの包帯だけで、日に日に右手が使えるようなります。痛みも腫れもかなり収まりました。あとは、リハビリと日にち薬です。多分年内には不自由はなくなっています。医学の進歩と、人間の回復力はすごいです。
ありがたいことに命に別条があったわけではなく、後遺症も心配なく、たいした怪我ではなかったのですが、何だか不思議な体験でもありました。
骨折後数日は利き手が全く使えず、全身が思い通りにならなずギクシャクし、日常も吹っ飛び、急に別世界の人になりました。
手術は局所麻酔でしたが、睡眠剤を処方してもらったので、疲れもあってか始まる前から爆睡し、気が付いたら終わっていました。はて、私はどこにいたんだろう?
麻酔が解けるまでの腕はだらんだらんで、全く自分の物でなくなってしまったような淋しさがありました。
何だか黄泉の国に行って帰って来たような感じです。
考えてみれば、人生は瞬間瞬間、喪失や離合の連続です。そして、いずれは本当にあちらに行くのです。
「生死一如」。「生」も「死」も大差ないのではと思うと、何だか謙虚な気持ちになりました。何かを喪失した感じと、いや喪失せねばならないという思いも強くしました。
最近、ご自身や周囲の方の怪我などの報告を複数受け、なんでこんなことが起こるのだろう? 何のコンステレーションなんだろう?と、一緒に首をかしげていたところでした。何だかキツネにつままれたようです。
恐らく、その方たちも私も、C.G.ユングの言う「死と再生」のプロセスにあるのでしょう。新しい自分になるためには、古い自分を捨てなければなりません。そのためには、何かが「折れる」、「くっつく」といったようなことが、象徴的に起こることがあります。
入院中に読んだ、今年ノーベル文学賞を受賞したハン・ガン氏の「すべての、白いものたちの」も、「生」と「死」を行き来する、透明感にあふれた作品で、ピッタリでした。
おかげさまで、この11月、TAOを開室して10年目に入りました。
その間、昨年の父死去の際以外にご予約をキャンセルさせていただいたことはなかったですが、この度は骨折後の三日間ほど、キャンセルをお願いせざるを得ませんでした。申し訳ないことですが、甘えさせていただきました。
ただ、代わりがいない仕事なので、ちょっと無理をしてしまったかもと思います。
今度何かがあったら、もうちょっと甘えさせていただくかもしれません。トシもトシですし…。
それに、いい加減バタバタ動くのを控えて、もうちょっと大人らしくならなければ。何事にも限界があります。
生きているといろんなことが起こります。そんなこんなをクライエントさんと共有しつつ、これからも、TAOに委ね、大船に乗ったつもりで歩んでいけたらと思います。
心理面接室TAO 藤坂圭子
HP: https://tao-okayama.com
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