2007年03月11日

浦和の街を歩いてきました・後編 (未分化)

満足して埼大へ向かいます。
西部病院の看板は残っているかな〜?と思いついて、探りを入れてみると…

西部病院





あった!

そんなこんなで埼大に着いたのはいいが、帰りのバスの時間まで30分以上あったので大学内を散策。
そして今回のクライマックス!
宗教の勧誘につかまる…
韓国からの留学生だそうだ。
韓国はキリスト教(どっちのだか、よく知らん)が盛ん。
一生懸命だし、悪気は無いんだろうけど、価値観が全く違うまま、話は平行線。

オレの理屈:
人にはそれぞれ価値観があり、(程度にもよるが)他人にそれを押し付ける事はできない。
神さまはいるかもだけど、宗教で奉られているようなのじゃなくて、各人の心に自然に宿るものだ。
各宗教の神さまは、形や呼び名が違うだけで、じつは同じものだと思う。
歴史上の多くの戦争の理由は、宗教間のイザコザが大きな要因だ。
宗教にハマル奴はバカだ。とは決していえない。専門知識と技術を持った人間がマインドコントロールすれば、大抵の人間は宗教に染められてしまう。だから宗教の入り口に立つ事すら危険だ。
神さまに導いてもらえたら楽かもしれないけど、あえて自分で道を選びたい。
日本にホントの宗教なんて無い。お正月は神さまを、お盆は仏さまを、クリスマスはキリストを。変わった民族だと思う。


その人の理屈:
神さま(キリスト)はいる。
オレを救いたい。
日本人の宗教に対する無頓着さを、なんとかしたい。
エゴの塊の人間になるか、神に導かれて幸福になるか、の二者択一しかない。
私といっしょに、大宮の礼拝堂に来て欲しい。そうすれば幸福への一歩を踏み出せる。
私は絶対に正しい。
(たぶん)信者を増やすと、神に奉仕した、という満足感を得られる。


敗因(長びいちゃった理由)は、最初に話しかけられた時に油断した事につきます。
要は、彼女が母校の後輩だと思っちゃったんですな。
それなので、最初に話しかけられた時(もちろん、最初から宗教の話なんてしてこない)に、すんなり打ち解けてしまった。
新入生だと思われてサークルに勧誘されるのか?とも思った。
若く見られるというのは嬉しいので、そこでまず調子に乗った。
オレがOBだと知っても話を止めず、ず〜っと立ったまま話をしているので、就職活動中の学生とかで、相談でもしたいのかな?とも思っちゃったし。

最初に真面目な対応をしてしまったので、途中からふざけて追い払うわけにもいかなくなっちゃって。
彼らのような人にお願いしたいのは、空気を読んでほしいということです。
話の流れの節々で、「オレは絶対に、そっち側には転ばないぞ」というメッセージを出していたにもかかわらず、全く気付かないのはどうかと思うよ。
しょうがないから、ウソの名前やアドレスも教えちゃったし。
ホントはウソなんか、つきたくないんですよ。
キリのいいところで「今日はありがとうございました」って、あきらめてくれ。

ともかく、油断がその後の流れを決めました。
ポカーンとしてしまって、危険を察知できない状態。
こういう油断は、どんなに気をつけていても、完全には無くなりません。
それを僕は「人生のデッドスポット」と呼んでいます。
(もちろん、それを意識して行動する事で、デッドスポットの絶対数を減らすことはできますし、減らすべきです。)

例えば、普段は物凄く慎重なのに、なんとなく乱暴な運転をしてしまう時。
または、会いたくないと思っている人がいるのに、その人の行動エリアに、なんとなく入ってしまう時。
などです。

そういう時に、たまたま歩行者が飛び出してくるかどうか?
会いたくない人が、向かいから歩いてくるかどうか?

それこそ、運です。
神さまに頼るのは、そういう時くらいにしたいものです。

今回は、デッドスポットにハマッタ(油断している)時に、たまたま宗教の人が来てしまいました。
それは嫌な出来事でしたが、この程度の事で良かったと思います。
その代わり、もっと危険なデッドスポットにハマッタ時に、たまたま助かれば良いのですから。

まぁそんなこんなで浦和の街散策の旅は無事終了。
無事に帰途につきましたとさ…


tappygoal at 22:51│Comments(0)未分化 

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