オオウチダ
あらわる


オオウチダ 登場

10年程前の事である。私はある会社でシステム開発に従事していた。
その頃立ち上がり始めたプロジェクトのメンバーとして私の配下に協力会社の数人が参画してきた。

その中の1人にオオウチダという名前のエンジニアがいた。それがかなりの問題児であった。問題児といってもかなりの高齢だったが・・・・・。

オオウチダは協力会社の他の人と違い何をやってもワンポイントある奴だった。
社内パソコンの設定ひとつ取り上げても他の人がすいすい出来る事が彼の手にかかると簡単にできない事となる。頑張っていればそれでもいいと思う。
だがオオウチダの真骨頂はこの事ではない。

私がメンバー各々に業務の進捗を尋ねる。他の人なら現在の業務状況を内容、遅延、今後の対策等を簡潔に伝えてくれる。

だがオオウチダはそうではない。自分が調査した内容で結論が出ていない事に対し想像を加味してだらだらと話し続ける。何が言いたいのかさっぱりわからない。その上こちらが要求している進捗の答えがひとつも返ってこない。何なんだろうこいつは?
これが最初に私がオオウチダに抱いた感想である。

単純な話で「この作業を水曜日までに終わらせられますか?」と聞いたとする。
すると奴は終わらせられるかどうかはなかなか答えない。自分がどうやってこの作業を進めていこうかという内容の話しをしはじめる。そのうち訳のわからん屁理屈を延々と話し続ける。ほとんど時間の無駄だ。奴はどうやって今まで仕事をしてきたのだろう?
素朴な疑問が沸いてくる。

ある時、急いでいた為私はこう言ってしまった。「オオウチダさんYesNoで答えてください」と。 だが驚いたのはその後だ。YesNoで答えてくれなかったのだ。
どんな思考回路を持った奴なのか摩訶不思議である。

だが自分に不利益を被る可能性のある事については明確な答えを返してくる。
例えば自分の仕事が増やされるような「この作業もオオウチダさんに任せてもいいでしょうか?」のような質問については 「現在の作業で一杯一杯です」のような回答だ。



これ以降我が家では質問に対して答えになっていない事または話しにまとまりが無い事を言った場合に「オオウチダになっている」と指摘するようになった。



街で蔓延るオオウチダ



オオウチダに会ってから外出時に回りに目を向けると以外にオオウチダが多いという事に驚かされる。

今まで出会ったオオウチダをいくつか紹介することにしよう。



(例1)        ある会社での会話

A】「例の作業は終わりましたか?」

B】「いやー なかなか難しいところが結構あって。」

「最初のやり方のままでいくより途中で再検討した方針にした為

進みはかなりよくなって・・・・・・・」と延々と続く。

これもYesNoで答えてもらう必要がありそうだ。



(例2)        ある料理屋での会話

A】「どれくらい待ちますか?」

B】「お客さんの回りがいい時はどんどんはいれてそれ程待たないんだけど、なかなか回りが悪い時は待つ事になるねー」って当たり前の事じゃないか?
大勢で来ていたその客はどのくらいの時間待つのかを聞きたかったのだろう。
答えは 「長くて40分程待ちますね」くらいが妥当だろう。



オオウチダになってしまう理由は明確である。
聞かれた事に対する自信が無い、聞かれた事に答えたく無い、聞かれた事が理解できないがそうとも言えない・・・・・とこんなところだろう。

自分を取り繕う姿勢がオオウチダを生む。

 


ここからは街で蔓延っているオオウチダの紹介をしよう。



タンスの底が抜けた?

 義母からの電話のようだ。

 妻が携帯電話を片手に新聞を読みながら、話の内容が理解できない事を義母に伝えている。

 「えっ タンスの底が抜けたー? どういう事?」

 あまり聞いた事のない話しだった。

 するとますます理解に苦しむ内容を聞く事となった。

 「紐で抑えてどうにかしたの?」

 タンスの底が抜けて紐で抑えるってどういう事だろう?

 タンスの底を紐で抑えている光景をなかなかイメージできない。

 まあ急場を凌いでいるのでとりあえずよしとしよう。

 だが確実に大内田の匂いがする。






オオウチダはあなたの身近にいる



ふと気づくと自分がオオウチダになっている事がある。
よくよく考えてみるとやはり後ろめたい事があった。
会話をぼやかしたい時にオオウチダは出現するものである。

家庭の中での会話にもオオウチダが出てきてしまう。あせって物事を伝えようとする時もオオウチダが出現するようだ。

オオウチダの出現のお陰で自分の話し方を見直せるようになった。
そもそも質問された件に対しては先ずは答えを述べる事が先決であり、その理由や言い訳はその後ついてくるものである。その基本を忘れている人々が多く存在するのも事実である。

我々はオオウチダの出現を感じたからには撲滅を目指して活発に動いていかなければならないと思う。





( ・・・・・続く )