2005年07月

2005年07月26日

モー娘「色っぽい じれったい」

 「モーニング娘。」が、ポップジャムやうたばんに出演したのを、いやっほーい!と奇声をあげながら鑑賞してもいいと思うよ(いや、そこまで世間から逸脱した行動はとってないです)。

 新曲「色っぽい じれったい」
 曲自体が好きですが、映像と共に楽しむと よりイイです。うたばんでのパフォーマンスは、こちらサイトの7/21のログ下部にある動画を是非、ダウンロードして見てみてください。見ないと僕が呪います。買えと言っているわけじゃないんだ、見るだけ見てくれぇぇぇぇ(ただし回線が太くないと無理です)。


 赤い衣装のフラメンコ風ダンスが格好イイ。曲中での表情の作り方も、「大阪 恋の歌」に続いて、皆に大きな成長が見られる。

 まあ、一般の人々に彼女らの魅力が伝わっているのか否かは微妙だ・・・。パフォーマンスの充実度みたいなものって、一般受けするかと言うと地味で難しいからだ。イチローの「バットコントロール」とかよりも、「安打数記録更新」とか、松井の「ホームラン」とかの方が「一般にウケる」というのと同じだ。


 (インパクトだけで)人気が爆発した「LOVEマシーン」の時に僕は全くモーニング娘に興味を持てなかったことを考えると、逆に、今、僕がモー娘を気に入っている時点で大ヒットは望めないのかもしれない(僕の好きなものが大ヒットしないということではない。僕が好きな宇多田とかミスチルとかは大当たりしたままだし。ただ、モー娘に関しては、僕の好みとヒットの傾向は一致しないのかもなぁ、と)。


 ただ、それでも(一般向けへのアピールとして適切ではないだろうけど)上記動画で、何よりも高橋愛のパフォーマンスは見て欲しい(to:顔が分からない人 ダンスが始まった時の真ん中のポジションのコです)。
 僕は高橋愛推しではないだけに、親の欲目ではなく(親じゃないし)それなりに客観的に判断していると思うが、この表情の豊かさは完全に一皮むけた感がある。余裕の「女神の笑み」。そして、驚くほどの清涼な色気。
 ダンスのキレ、歌声の多彩さといい、モー娘が世間の注目をあまり受けなくなっている間に、このコは、こんなに着々と成長していたのか、と。トークは成長してないが(-.-;)。

 れいにゃ・・・専門用語はやめよう・・・田中れいなも、六期という新しい期でありながら、十分にダンス・歌共にエース格の実力だ(こちらもトークが駄目なんだが)。アゴをくいっと上げる仕草に、猫っぽい色気が・・・。
 そして、挑発的な表情の、我らが女帝・美貴帝(ミキティ)。風格のある見下ろす視線、独特の耳に残る厚みのある歌声。年長者がいなくなって、ますます帝王としての威厳(威圧感?、傍若無人っぷり?)が高まっている彼女のオーラを見てください。ツンデレ好きは、あー、こんなコを恋人に出来たらと身悶えてください。


 上記の通り、うたばんでのパフォーマンスは、こちらの下部にある動画を是非、見てみてください。
 ミラクル久住は、入ったばかりの割にはダンス頑張ってます。
 リーダーのよっすぃーは、相変わらず余裕の宝塚風男性キャラです(衣装は女性だが)。

 照明の加減か、うたばんでの映像はさゆみん・・・じゃなかった道重さゆみの(特に間奏での横顔アップの際の)クールな表情が 結構 絶品。
 亀ちゃん・・・えっと、亀井絵里は、最初のセリフぐらいしか見せ場が無いけど、ダンスをじっくり見て、彼女のいやらしい腰の動きを見てください。って、僕は一体何を宣伝しているのだろうか。たぶん、宣伝していることになってるのは世紀末っぷりだろう(僕の人生の)。


 買ってくれとは言わない。けど、レンタルして聞いてみてください。カラオケで色っぽく歌ってみてください。
 一度聴きだと、地味めだけど、聴いてるうちにより好きになっていけます。
 「愛して急接近、未来に大接近」とかのフックの利いた歌詞が、リズムとメロディとも相性よくはまっている。

 しかも、「色っぽいビスケット」ですよ!?。ブラックビスケッツもポケットビスケッツもビックリ。お姉さん、どんなビスケットですか?!。もうね、そのビスケットは、シースルー素材の巫女服を着てるね。ネコ耳とか付いてるよ、四つか五つぐらい。
 と、「色っぽい」の解釈が三車線ぐらい間違ってるような妄想を繰り広げたところで、CDを買いに行こうと思います。握手会の権利をくれる人募集中(笑)。


2005年07月22日

ノートなんか要らないってば

 朝早くから働かなければならないので、夏休みは嫌いです、、、、全く、家庭教師って・・・と、押尾学なみにさわやかな愚痴から始まる金曜の朝。押尾学がさわやかかどうかには疑問がありますが、皆さん、おはようございます。亀ちゃんキャワッ(挨拶)。

 朝早いせいか、特に何も思いつきません。
 ・・・家庭教師に向かうところなので、家庭教師の話題でもしましょう。
 とっても出来ない小学生を週に一回だけ教えるのって辛いなぁって最近思います。
 何をやらせるべきなのかはわかっても、週に一回二時間だけでは、正直全く足りない。宿題として出してもやってこないし、こなせない。
 基本的につきっきりで見てやらないと、ちゃんとやらない。


 悲しいかな、「わかりやすく教えること」は、世間に思われてるよりも難しくない。ある程度慣れてくれば、躓く箇所も、それを克服させることも、パターン化されてくるからだ。
 難しいのは「身につけさせること」なのだ。

 結局、勉強は「自学自習」が全て。教わったことを、定着させる反復を自分でやらないと、意味が無い。

 毎日つきっきりで家庭教師をするなら、ケツをたたき、机に向かわせて自学自習を監督することが出来る。けど、週一回では、どうにもできない(-.-;)。

 その子は某N能研にも通ってるのだけど、あまりにも基礎が出来て居ないから授業内容を全く理解していない。黒板をノートに写すだけで満足して終わっている。脳を全く使って無い・・・。

 昔から不思議なのだけど、よくノートを写すだけの人っているけど、よくそんな意味ない行為をできるよなぁ、と。その間に英単語でも覚えたり、数学の問題でも解く方がよっぽど(学力向上に)意味があるのに。
 学力向上のためにやってるわけじゃないのか?。筋トレ?とか思ってしまう。黒板に書いてあることなんて、教科書か参考書に大抵は書いてあるのになぁ。

 ノートを作るってのは、自分の頭で整理したものをノート化するなら意味がある。せいぜい、授業聞いてて、「必要だな」と理解したことをメモするとか。つまり、脳内を経由したものならいいさ。
 けど、脊髄ガエルみたいな写経なんかホントに意味が無い。しかも、そのノートを見返す訳でも無い。定期試験向け?。そんなんコピーでいいじゃん(って、その場合、誰かがノートをとってなければいけないわけで、そういう意味では、僕が通った大学にあった試験対策委員って制度(クラス内でノート取りや試験資料集めを分担する制度)は、よくできていたよなぁ)。

 あぁ、駅に着くので、ここまで(笑)。

2005年07月21日

真光元とカルト、自己責任と信頼制度

 とりあえず、はれたまで紹介したが、記事は、こちら参照(クリック)

 「真光元」が真光教団と関係があるのか否かとか気になるものの、個人的な興味の域を出ない。テレビやワイドショーなどの取材力のある者達からの情報がどれだけ出てきても、それほど有意義なものは無い気がする・・・。
 カルト集団の話自体には、実は発展性は無いので、ちょっと違う話が後半でメインになることは言っておく。

 大筋で見えているものは、「医学に『不安がある・見放された』人が、それ以外の手段に頼って死んだ」というカルト系の問題では分かりやすい構図。


 この構図から分析なりされて出てくる言説は「不幸に追い込まれた時の人間の振るまい」についてであり、あちこちを見ていて出てくるのは、「自己責任」という類の言葉だ。


☆★☆
 現時点の情報では、もう香ばしい駄目駄目臭が漂いまくっている怪しい集団であることは確かだが、初期情報段階で、これはカルト集団っぽいと認定した人が相当数いるという点が興味深い(先見の明があるという意味ではない)。

 今となっては、菌うんぬんの説明が科学的ではないとか、教団の代表者の博士の学歴がどうのとか言っているが、僕や多くの人は、それらを知る前からカルトっぽいと判断していたので、もっと違う要素が、最初に怪しさとしてひっかかるのだろう。


 そう、厳密な(事実に基づく)カルトの定義ということではなく、人々の頭に「カルトっぽい」というフラグが立つ「条件」は、どんなものなのだろうか?。


☆★☆
 医学的なものではない健康食品が怪しい・・・とは言いつつ、自然食品はカルト?。無印良品とか、カルトとは認識されてはいない。プロテインとかブルーベリーが目に良いとか、漢方薬とかウコンが肝臓に良いとか、寒天で痩せるとか、そういうのと同列に見えると言えば見えるので、微妙。

 「次世紀ファーム研究所」という名前は、怪しい。
 パナ○ェーブとやらは、カルトと了解されるのは、やはり名前のせいかもしれない。カタカナが良くない?。
 ただ「見慣れないもの」であれば、全てカルトとなるかと言えば、そういうものではない?。
 集団で集まるとカルト?。
 ミクシィとかって、カルト?。まあ、老人から見れば、カルトと区別つかないかもしれないが、カルトではないよなぁ。
 じゃあ、アムウ○イは?・・・。
 自殺掲示板は?

 変な名前が正式にあって「次世紀ファーム研究所」、何かを売っていたりするのは怪しいよな。
 ついでに言えば、施設があるのはかなり怪しさが倍増する。「宿泊施設」は、かなり怪しい。
 とは言え、そう言ったら怪しいカタカナの宿泊施設ってパラメータだけだと「ユースホステル」も怪しくなるけど(笑)。



☆★☆
 収容施設があると怪しいと感じるとは言え、「病院」ならカルトとは言われないのだろう。

 いや、そう考えれば、「病院」って実は「カルト教団」みたいなものとも言えるわけで(病院批判・医学批判ということではないです)。

 「病気が治ると言われて収容され(入院して)、治らないこと、死んでしまうこともある」ということだけを言えば、カルトと区別が付かないわけです。

 その違いは何か?。
 「医学」が治療に一般的に役立つものと認識されていること、国家が治療のための学問として公式に認め、制度を作っていることだ。

☆★☆

 カルト集団の定義を色々と論じて、次世紀ファーム研究所がカルトにあてはまるのか否かについて語ることも可能だが、そこに実益を見出せそうもない。
 ちなみに、一般的には「カルト」ってのは、まあ「異常な集団」という感覚だろう。だとすれば「異常な人」の定義が難しいように、カルトの定義も難しいのだ。
 そして、大抵、そこで語られるものは「こういうカルトには気を付けろ!!」という自己責任的なものだ。
 今回の問題でも語られるのは、「なんで、そんな怪しいところに行くかね?」という疑問から「もっと自分でリスク判断しろよ、バカじゃねーの?」と言う展開など。
 「そこまで言うか、可哀想だろ。追い込まれると、そういうものじゃないの?」と、擁護意見も ちゃんと出るものの、そこでも語られるのは、やはり個人の責任みたいなものだったりする。「不幸な時でも、もっと冷静でいなければいけない」みたいな。


 確かに「藁をも掴みたくなる」のはわかるが、それでも、ワラをつかまないように個々人が成長するべきだという点に、僕も反対はしないのだ。

 が、どうも流布する意見として、そういう意見ばかりになっていくのは気持ち悪い。その意見に異議があるのではなく、「風潮」に異議ありということ。

☆★☆
 ちょっとカルトの話から、話が飛ぶように見えるけど個人の「リスク管理」を叫びすぎるのって、やっぱりどうなの?って思う。

 リスクを予想することって、結局、限界がある。
 僕らが彼らをカルトと認識し、そこら辺にある病院をカルトとは思わないってことは、治療が成功する可能性が高いことを制度が保証しているからだ。
 もし、制度の保証が無ければ、そこら辺の医者とカルト教団の治療を同列で判断しなければならない。そうだとしたら、それは辛いだろう。どこで治療を受ければいいのだ?。


 僕らが医者を信頼し、カルトっぽいものを避けているのは、「個人のリスク管理ができている」からではない。
 むしろ、社会制度の信頼性の問題。医学という信頼性の高いシステムがあるからこそ、そこに属しないカルトを疑えるわけであって、自己責任じゃないのだ。その辺りを勘違いすると問題が大きいだろうなぁ。

 「制度の外にあるんだから信頼するなよ」ということは言えるけど、「自己責任」が強調されていくと、(実際、ろくでもない医療を行う病院だってあるわけで、それは正しいのだけど)「制度の内側だからと言って信用はできない!!」という言説が出てきて、そこから「自分の目で判断しろ」という言説が出てくるのは分かりやすい。
 ここまでくれば「制度の内も外も関係ない。全ては自分の目で判断しなければならない」という意見まで、あと一歩だ。

 ここで言ってることは医療に限らない。むしろ、(貯金など)金融に関しては、そういう理屈がもう大手を振るって歩いているじゃないか。


☆★☆
 個人責任・自己責任・リスク管理を強調する風潮って、結局、「(個々人が出来る限り不幸にならないために)国家で信頼性の高いシステムを作っておこうよ」という傾向をスポイルしてしまうと思う。
 もちろん個人個人が、自己責任を重視する意見を持つことは構わないし、それは良いことだとは思う(何かあると、すぐに誰かの責任をやたらと追及したがるよりは、個人的にはそういう自己責任型の大人の方が好きだ)。
 ・・・そうなのだが、自己責任重視の風潮が高まれば、やっぱり立法者意識にも長期的には影響が出てきて、法律や制度を整備する時に「この程度は、自分の責任で対処するべきであって、規制しなくてもいいですよ」ってことになる。それは、社会制度の「信頼性」を下げることだと、僕は感じるのだ。

 規制すること・法制化することが全てではないけど、リスク管理を強調することは、むしろ「リスクは管理できない」んだよという限界性を分かっていないように思ってしまう。

☆★☆
 あえてエリート・非エリートという言葉を使ってしまうが、(非エリートに多い)「規律・規則」と聞くと拒絶反応を示す人と、(エリートに多い)そういう自己責任強調型の強者理論を述べる人達とが、よく分からない微妙な連携をして社会が変容していっているよなぁ、と・・・・。

2005年07月19日

パンダ救出大作戦

 パンダが木から下りられない(クリック)

「洪水で木に登ったまま…」パンダ救出大作戦
 中国・四川省で、パンダが洪水から逃れようと木に登ったまま、下りられなくなってしまいました。

 枝の上で途方に暮れているのは、洪水から逃げようと木をよじ登った野生のパンダです。駆けつけたレスキュー隊が麻酔銃で眠らせ、マットレスの上に落として助けようとします。しかし、パンダはそのまま熟睡し、ますます下ろすことができません。結局、ロープで引っ張り、5時間かけて救出に成功しました。[18日15時23分更新]


 なかなかほのぼのするニュースです。

 ブタもおだてりゃ木に登る時代です(それは昭和)。
 洪水ならパンダも木に登るでしょう。しかし、自分で降りられないというミラクルオウンゴール。このフルカラーとかハイビジョンとか言ってる時代になっても白黒のまんまの この生き物は、どうやら生命体としては優秀な種族ではないようです。どうりで希少種になるはずだ。笹しか食わねーし(ほとんど言いがかりのようなイチャモンです)。


 降ろそうとした関係者達も、麻酔銃で撃ったら熟睡させて、ますます下ろせなくなるという、こちらも見事な自殺点。筋書きの無いドラマ、見逃せません。
 まあ、最後には5時間かけて救出した、と。白黒はっきりつけてくれました。パンダだけに。

2005年07月10日

モー娘、みらくる久住

 どこかの大手モー娘サイトで、販売促進運動とかやらないのかしら。さすがに、最近チャート一位を獲ってないことが寂しいです。ミリオンセラーとかは無理でしょう。でも、もうちょっと売れるはず。この際、久住が好きであろうと無かろうと「みらくる」に乗ります。握手会まで準備しているんです。
 「祭り」ですよ!!。
 複数枚買うなら、別の店で!。ここを参考に!(クリック)。アマゾン、HMV、タワーレコード、ツタヤ、新星堂とかで買うといいらしいですよ!。


 今日はハロモニにミラクル久住小春が登場。ハロモニって番組は、世の中全員が見ていることになっています(僕の脳内で)。なので、当たり前のように話を進めます。
 ミラクル久住は、ほんわかした雰囲気が不思議な空気を生み出しています。微妙にいつも口が開いています。言い方を変えるとヘラヘラしています。悪口のつもりではないです。

 教育係に道重が任命されています。久住って言うよりも、道重を成長させることが目的に違いない。教育する立場になって分かることが、世の中にはたくさんあるからね。って、道重の教育係は誰だったのでしょうか。色々と責任をとるべきだと思います、教育の失敗について(主に歌とかダンスとか)。
 でも、最近の道重は可愛いです!。ハロモニデート企画見て、道重さゆみって可愛いかもって初めて思ってしまいました(懺悔)。ツインテールじゃなかったのが良かったのか?。ツインテール属性は僕にはないです(でもショートカット属性なので、道重はツボではないのだが)。
 開き直った「私は可愛い」アピールと、サラリと笑顔で酷いことを言ってのけるクール毒舌もビューティフル。


 話を戻しましょう(汗)。
 久住が質問されて、瞬間的に返答しなければいけない質問コーナー。
 「性格は?」の問いに(何も思いつかなかったらしく)「ミラクルビーム」と答えた久住。
 ミキティの「全っ然意味わかんないっすね」と笑顔での瞬殺にも、久住は笑顔のまま、めげません。キラーツッコミをキャンセルする機能を搭載してるっぽいです。

 モノマネで、物怖じせずに松山千春のモノマネをやってのける。
 全然似ーてーまーせーん。
 それでも、照れません!。
 大物です。
 「せーの」って自分で言ってモノマネを始めます。独自の世界を生み出す念能力を持っています。特質系に違いない。つーか、周囲と隔絶されたポドリアルスペースです。ポドリアルスペースを知らない人は気にしてはいけません、ウイングマンです。


 ちなみに、前世はウマだと自分で思っていた飯田は、実はラクダでした!。四つ足だった記憶からウマだと思っていたということでしょう。ラクダ時代には鏡を見なかったでしょうから、自分がウマだと思っていても仕方ないです。たぶん、今は、飯田は自分で人間だと思っているはずです。宇宙人なのに。


 亀井の前世が「天才画家」????(笑)。確かに天才となんとかは紙一重です。ありえないぐらい下手にしか見えない紙一重な絵を描く亀ちゃんです。僕らには、その紙一重の差を見破れないのでしょう(たぶん永久に)。

 れいなは前世が人間ではなく、「ネコ」でもなく、「犬」。ネコが一匹でいても寂しい感じはしませんが、れいなが一人でいる、はぶられいな状態を見てると、見てるこっちが寂しい気持ちになるのは、れいなが「犬」だからかもしれません。今回かられいなは茶髪。似合っています☆。むしろ、久住より、こっちがミラクル。


 ぶらさがりゲーム。ゲームとは名ばかり、本当にぶらさがるだけの地味な勝負、ミキティ「すいません、地味なんですけど(汗)」と、美しき殺し屋ミキティをも謝らせるほどに地味です。でも、あのバンザイっぷり、たぶん脇フェチとかは萌え死んでると思う。
 最後に、毎度ありぃで、加護がなっちに「精神年齢が低いし」と、さりげなく愛のある毒を吐いています。やっぱり、なっちも神!。



 そういえば、目隠しで、ぶら下がってるものを当てるコーナーがあります。手で触ってはいけません。顔での触覚で判断します。


 亀ちゃんが、つい手で触りそうになった時。

 ミキティの「おめえ、触ったら駄目なんだよ!」という暴君ネロばりの恐ろしい野次が!。ミキティ、アイドルとは思えないよ、ファンタスティック!。



☆★☆
 と、ハイテンションのまま通り過ぎた7月10日のハロモニ!。そろそろ入院するといいと思います(僕が)。

2005年07月09日

「帝国」のラスト・サムライ・・・

 リンクを頂いたところで武士道の話が書いてあったので、ちょっと思い出して、過去ログを再掲載(深い意味はなく、そういえば、武士道について何か書いたことがあったなぁ、と思い出しただけ)。カテゴ分けが難しいな・・・映画の話なのだけど、ちょっと社会っぽくもあるし・・・。


2004.03.03
 ラスト・サムライの話です。ネタバレは後半にあります。
 ごく普通に受け止めれば、ハリウッド的要素のオンパレードで、いわゆるハリウッドが好きな人には面白いのではないか。僕にとっては、わかりやすく、ドラマチックで好きな映画だった。


・問題は映画自体ではなく、受容のされ方
 映画の内容についてよりも、むしろ気になったのは、その「受容」のされ方だろう。つまり制作側のことよりも、観客に問題ありだ。

  あそこに出ているのが、自分たち日本だという風に思って見ることができる人がいるだろうか?(笑)。「そう、昔の日本の武士道とはこうだったのだよ」とか脳天気に考える人がいるとしたら、それはそれで、日本の精神はどこにいったのだ?、というぐらいなんだろうけど(笑)。

 ・・・と思ったのだが、事は、そう簡単ではない。
 どうやら、あの映画を観て「日本の昔の人は、こうだったのだ、日本も伝統に立ち戻らなければ」などと思う人が結構いるらしいことが、ネット上のレビューを見ているうちに判明。
 あんな風(あの映画が言うところの「武士道」)に考えて、かつ実践していた人達も、少数はいただろうけど、「それが日本の精神だ」と言われてもなぁ。

 そもそも「武士道」なんて言葉がある時点で、おそらく「実践」されていなかったと思うのが道理だ。
 日本でも、どこの国でも、一部の人が、ある「お題目」を掲げるというのは、それを実践できてない人ばかりだからであり、だからこその理想像ってことだろう。


・精神性を大事にするのは構わないが
 あの映画で描かれる武士道は、昔の日本というよりも、今の日本人も好むであろう(かつ、ある時代以後の西洋人も、非常に好んでいる・・・それでいて、実践が非常に難しい)「精神性(物質よりも精神)」というのが骨子だ。
 それに共鳴して「物質よりも精神を大事にしよう!」と考えるのは構わないが、「昔の日本人のように」なんていう修飾語をつけて勘違いしてはいけない。



・「日本」と思わず、「ファンタジー」・「おとぎの国」
 「これは日本を描いている」なんて、そういう風には見ないで、むしろ、アメリカ合衆国日本州に住む僕としては、(おそらく)西欧人が楽しむように、西欧文明が発見・遭遇して、保護してやりたくなる少数民族の「悲壮さ」に、西欧人の立場から強く共鳴するという形で楽しむことのできる映画であった。
 日本というよりも、どこか架空の国、おとぎの国の物語。そう観るしかないと思うのだ(だからこそ、時代考証とか、そんなものは全て無視でよし。ただし、そういうのが気になるタイプの人は見ない方がいい。イライラするだろう(笑))。


 この辺りからネタバレかな。ネタバレがイヤな人は、読まないように。




・ザッツ ハリウッド  〜スゴイスゴイ〜

 さて、ハリウッド的要素のオンパレードな映画でした。
 大きく言えば、3つ。

 戦争帰りの飲んだくれ・・・ベトナム戦争帰りのアイデンティティ崩壊青年映画系とパラレルなモチーフ。ベトナムは今でも心の傷なのでしょう。

 少数民族に出会い異文化交流、ダンスウイズウルブス。
 そういった「文化・伝統」にだらしなく感動してしまうアメリカ人の性質が相変わらずよく見えていた(それでいて、アメリカ人の文化ってのは、そういう彼らの「憧れ」をどんどん消尽し、壊してしまう「文化」なのだけど・・・・・それはアメリカ人の責任というわけではなく、どうにも止まらない「現代社会」の性質なのだということが問題なのだが)。


 そして、「馬と弓と剣と大自然と、大スペクタクル」というロードオブザリング。
 ハリウッド的に撮影すると、時代劇もあれだけ迫力が出るのね、スゴイスゴイ。
 スゴイスゴイ。・・・・このカタカナで表現するしかない「スゴイスゴイ」という言葉は、まさしくハリウッドの映画を表現する上で最も的確な言葉なんだろうと僕は思っている。
 こう言うしかないんだからしょうがないんだよというぐらいにオツムがホカホカしてそうな語彙力不足な言葉だ(この「語彙」では表現できなく、「映像」なんだという部分がハリウッド的なのだ)。
 せっかくの迫力は、ビデオよりも映画館で観る方がお薦めかと思われる。



 ハリウッド映画が好きならば、問題ないです。楽しめるはずです。僕は楽しめました。
 僕の文章を読んでいると、なんだか悪口なのかと思えるかもしれませんが、映画を観ている時点では、楽しんでいました。思い返してみると色々と思うことがあるってだけです。


 男女平等の関連で労働問題として女性の活躍の場を必要とするというのも分かるし、ハリウッドらしいのだが、最後に「小雪のところへ帰る」というラブロマンスは不要だったなぁ、というのが率直なところ。




・どんな風に共鳴する? 〜怖い共鳴〜

 さて、全体的に見れば、少数民族の悲壮に肩入れをしていく映画か?。
 と思いつつ、この映画がアメリカで受けるのは、そこにとどまらないせいであろうし、そこが非常に怖いところだ。
 「肩入れ」・「同情」とか言うよりも、実は、あの彼ら「サムライ」の精神は、アメリカ人の今の精神状態そのものなのではないだろうかという点が恐ろしい。
 すなわち、信念・誇りを軸として、「自分の貫く正義のためであれば、たとえこの身が滅びようとも戦って散ってみせる」という気分だ。この気分で(世界の誰の話にも耳を傾けずに)イラクに攻撃をしかけた(これからもイスラム圏にいつ攻め入るかわからない)彼らの精神状態。
 悲しいかな、貿易センタービルを破壊されたという未曾有のテロに遭った彼らは、自分たちが「弱者」であるかのごとく、神経症的な精神状態に陥っている。圧倒的な軍事的・経済的強者でもあるにも関わらず、おそらく、ラストサムライにも似た「悲壮感」でアメリカ人の精神は満ちているのだろう。



・正義と誇りとサムライ達の未来
 正義と誇り。歴史上、この言葉のもとに、幾多の命が散っていったのか。「悲壮な決意」を固める前に、その決意を何に向けるべきなのか、その点を誤れば、怨嗟が怨嗟を呼ぶだけなのに・・・。

 ラストサムライの悲壮感に共鳴した「帝国」のサムライ達は、悲壮な決意で、正義感に駆られて、次にどこに攻め込むだろうか。劇中同様「刀を返すことは誇りに反する」と主張するニッポンのサムライ達は、これから何をする気なのだろうか。

2005年07月03日

マイナスの眼差し

 若いコ達の「やりたいこと」が無いとか、生きる意欲の無さを見ていて思う。
 親との関係がうまくいっていないことが多い彼ら彼女らを見ていると、世界をマイナスの眼差しでしか見られないというのは、小さい頃から「〜してはいけない」という言葉・価値観しか親や大人から受け取ってないのかもなぁ、と(もちろん「〜してはいけない」という規範を与えることも重要です)。


 「〜は楽しいよ」「〜な人ってカッコイイよね」「あれは、やってみた方がいいよ、絶対」「〜って面白いらしいよ」「〜って美味しいらしいから、食べてみたい」「〜に行ってみたいと思わない?」という、興味関心を引き出す、世界を広げるナビゲーションを、小さい頃に親や教師・その他の大人から受け取っていないのだろう、と。
 「欲望」は他者が抱いている欲望を受け取っていくものだ。分かりやすい形で提示して、喚起してあげなけれいけないのだろう。何が美しいのか、何が素晴らしいのかを。


 学生になってくれば、友達同士でそういうのを受け取る機会もあるし、本やマンガやテレビを見ていれば、そういう「何か」に憧れる機会も増えていくのだろうけど、これも「出会い」の運というものが大きい・・・。

 むしろ、(世の中には色々な欠点ばかりあげつらう人って多いし)そういうプラスに見えるもののマイナス面ばかりが強調されたりすることも世の中には頻繁にあるわけで・・・・そうすると、彼らの中に光は降ってこないこともあるのだろうなぁ・・・。



 高校生以後では間に合わないのかもしれないから、「〜してはいけない」の呪文が子供の身を滅ぼす前に、小さい頃から「光を照らしてくれる」「世界の楽しさ・美しさを教えてくれる」言葉を与えられる親・大人になりたいなぁ、と最近思う・・・。


 「ほら、あのコ、可愛いだろ?、藤本美貴って言うんだぞ!!」みたいな親に(そんな親に育てられる子供も可哀想だ)。

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