2005年07月09日

「帝国」のラスト・サムライ・・・

 リンクを頂いたところで武士道の話が書いてあったので、ちょっと思い出して、過去ログを再掲載(深い意味はなく、そういえば、武士道について何か書いたことがあったなぁ、と思い出しただけ)。カテゴ分けが難しいな・・・映画の話なのだけど、ちょっと社会っぽくもあるし・・・。


2004.03.03
 ラスト・サムライの話です。ネタバレは後半にあります。
 ごく普通に受け止めれば、ハリウッド的要素のオンパレードで、いわゆるハリウッドが好きな人には面白いのではないか。僕にとっては、わかりやすく、ドラマチックで好きな映画だった。


・問題は映画自体ではなく、受容のされ方
 映画の内容についてよりも、むしろ気になったのは、その「受容」のされ方だろう。つまり制作側のことよりも、観客に問題ありだ。

  あそこに出ているのが、自分たち日本だという風に思って見ることができる人がいるだろうか?(笑)。「そう、昔の日本の武士道とはこうだったのだよ」とか脳天気に考える人がいるとしたら、それはそれで、日本の精神はどこにいったのだ?、というぐらいなんだろうけど(笑)。

 ・・・と思ったのだが、事は、そう簡単ではない。
 どうやら、あの映画を観て「日本の昔の人は、こうだったのだ、日本も伝統に立ち戻らなければ」などと思う人が結構いるらしいことが、ネット上のレビューを見ているうちに判明。
 あんな風(あの映画が言うところの「武士道」)に考えて、かつ実践していた人達も、少数はいただろうけど、「それが日本の精神だ」と言われてもなぁ。

 そもそも「武士道」なんて言葉がある時点で、おそらく「実践」されていなかったと思うのが道理だ。
 日本でも、どこの国でも、一部の人が、ある「お題目」を掲げるというのは、それを実践できてない人ばかりだからであり、だからこその理想像ってことだろう。


・精神性を大事にするのは構わないが
 あの映画で描かれる武士道は、昔の日本というよりも、今の日本人も好むであろう(かつ、ある時代以後の西洋人も、非常に好んでいる・・・それでいて、実践が非常に難しい)「精神性(物質よりも精神)」というのが骨子だ。
 それに共鳴して「物質よりも精神を大事にしよう!」と考えるのは構わないが、「昔の日本人のように」なんていう修飾語をつけて勘違いしてはいけない。



・「日本」と思わず、「ファンタジー」・「おとぎの国」
 「これは日本を描いている」なんて、そういう風には見ないで、むしろ、アメリカ合衆国日本州に住む僕としては、(おそらく)西欧人が楽しむように、西欧文明が発見・遭遇して、保護してやりたくなる少数民族の「悲壮さ」に、西欧人の立場から強く共鳴するという形で楽しむことのできる映画であった。
 日本というよりも、どこか架空の国、おとぎの国の物語。そう観るしかないと思うのだ(だからこそ、時代考証とか、そんなものは全て無視でよし。ただし、そういうのが気になるタイプの人は見ない方がいい。イライラするだろう(笑))。


 この辺りからネタバレかな。ネタバレがイヤな人は、読まないように。




・ザッツ ハリウッド  〜スゴイスゴイ〜

 さて、ハリウッド的要素のオンパレードな映画でした。
 大きく言えば、3つ。

 戦争帰りの飲んだくれ・・・ベトナム戦争帰りのアイデンティティ崩壊青年映画系とパラレルなモチーフ。ベトナムは今でも心の傷なのでしょう。

 少数民族に出会い異文化交流、ダンスウイズウルブス。
 そういった「文化・伝統」にだらしなく感動してしまうアメリカ人の性質が相変わらずよく見えていた(それでいて、アメリカ人の文化ってのは、そういう彼らの「憧れ」をどんどん消尽し、壊してしまう「文化」なのだけど・・・・・それはアメリカ人の責任というわけではなく、どうにも止まらない「現代社会」の性質なのだということが問題なのだが)。


 そして、「馬と弓と剣と大自然と、大スペクタクル」というロードオブザリング。
 ハリウッド的に撮影すると、時代劇もあれだけ迫力が出るのね、スゴイスゴイ。
 スゴイスゴイ。・・・・このカタカナで表現するしかない「スゴイスゴイ」という言葉は、まさしくハリウッドの映画を表現する上で最も的確な言葉なんだろうと僕は思っている。
 こう言うしかないんだからしょうがないんだよというぐらいにオツムがホカホカしてそうな語彙力不足な言葉だ(この「語彙」では表現できなく、「映像」なんだという部分がハリウッド的なのだ)。
 せっかくの迫力は、ビデオよりも映画館で観る方がお薦めかと思われる。



 ハリウッド映画が好きならば、問題ないです。楽しめるはずです。僕は楽しめました。
 僕の文章を読んでいると、なんだか悪口なのかと思えるかもしれませんが、映画を観ている時点では、楽しんでいました。思い返してみると色々と思うことがあるってだけです。


 男女平等の関連で労働問題として女性の活躍の場を必要とするというのも分かるし、ハリウッドらしいのだが、最後に「小雪のところへ帰る」というラブロマンスは不要だったなぁ、というのが率直なところ。




・どんな風に共鳴する? 〜怖い共鳴〜

 さて、全体的に見れば、少数民族の悲壮に肩入れをしていく映画か?。
 と思いつつ、この映画がアメリカで受けるのは、そこにとどまらないせいであろうし、そこが非常に怖いところだ。
 「肩入れ」・「同情」とか言うよりも、実は、あの彼ら「サムライ」の精神は、アメリカ人の今の精神状態そのものなのではないだろうかという点が恐ろしい。
 すなわち、信念・誇りを軸として、「自分の貫く正義のためであれば、たとえこの身が滅びようとも戦って散ってみせる」という気分だ。この気分で(世界の誰の話にも耳を傾けずに)イラクに攻撃をしかけた(これからもイスラム圏にいつ攻め入るかわからない)彼らの精神状態。
 悲しいかな、貿易センタービルを破壊されたという未曾有のテロに遭った彼らは、自分たちが「弱者」であるかのごとく、神経症的な精神状態に陥っている。圧倒的な軍事的・経済的強者でもあるにも関わらず、おそらく、ラストサムライにも似た「悲壮感」でアメリカ人の精神は満ちているのだろう。



・正義と誇りとサムライ達の未来
 正義と誇り。歴史上、この言葉のもとに、幾多の命が散っていったのか。「悲壮な決意」を固める前に、その決意を何に向けるべきなのか、その点を誤れば、怨嗟が怨嗟を呼ぶだけなのに・・・。

 ラストサムライの悲壮感に共鳴した「帝国」のサムライ達は、悲壮な決意で、正義感に駆られて、次にどこに攻め込むだろうか。劇中同様「刀を返すことは誇りに反する」と主張するニッポンのサムライ達は、これから何をする気なのだろうか。

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