2007年02月22日

【ニュース雑感】 死刑増加


 書く時間が無いけど、書かないとぼんやりと考えるだけで終わってしまうので、もう少し文を書いておきたいと思い、ニュースコメント。


戦後初の大台 死刑確定囚100人に 厳罰化の流れ…滞る執行に批判も 2月21日8時0分配信 産経新聞


 篠沢一男被告の死刑判決が確定すると、死刑確定囚は戦後初めて100人の大台に乗る。死刑判決は凶悪犯罪の多発や被害者・遺族感情を重視した厳罰化の流れをくんで近年増加しており、最高裁で死刑を言い渡された被告は昨年まで3年連続で2ケタに。一方で死刑を執行された死刑囚は毎年数人程度で推移しており、死刑確定囚の増加要因となっている。

 最高裁によると、記録が残る昭和55年以降、全国の地裁・高裁で言い渡された死刑判決は、平成11年までは年間2〜15人で推移してきたが、12年以降は年間20〜30人と急増している。最高裁でも15年まではゼロから7人だったが、16年=13人▽17年=10人▽18年=16人−と3年連続2ケタで推移している。

 一方、直近の死刑執行は昨年12月25日。長勢甚遠法相が死刑執行命令書に署名し、4人の死刑囚に執行された。前任の杉浦正健前法相が約11カ月の在任期間中、死刑執行命令書への署名を拒否してきたため、執行は17年9月16日以来、約1年3カ月ぶりだった。

 これにより年1度の死刑執行は維持されたが、執行される死刑囚は数人程度にとどまっているため、3年から15年まで50人台で推移してきた死刑確定囚の数(年末時点)は、16年=66人▽17年=77人▽18年=94人−と急増。さらに2審で死刑判決を受けて上告している被告は19日現在46人(最高裁把握分)おり、今後、死刑確定囚が常時100人台で推移することは確実な情勢だ。

 土本武司・白鴎大法科大学院教授(刑事法)は「死刑判決が出ても、死刑囚に死刑が執行されないままでは遺族にとって満足が得られるものとはならない」と指摘。その上で「捜査・起訴・公判・判決・刑の執行と一連の刑事手続きは一体化していなければならない。判決までは順調で、刑の執行だけ滞るのは正常ではない。死刑執行に向けた法務省内の手続きにも時間がかかりすぎている。死刑執行を含め、すべての刑の執行は検察官の責任の下に行わせ、法相には恩赦など受刑者や死刑囚にとって利益のあるものだけに関与させるのが適切だろう」と提言する。

最終更新:2月21日8時0分




 この記事では死刑執行過程が滞っていることが主題であるが、やはり死刑言い渡しの増加の方が僕には気になる。
 「世論の後押しを受けての死刑の増加」という事実に、うすら寒いものしか感じないのであるが、法治国家というよりは、さすがはリンチ国家万歳。


 死刑制度を廃止すべきか否かという点に対して、僕は 長い間 態度を決められずにいるのだけれども、冤罪可能性の観点からは ほぼ反対だし、「死刑に値する人間がいるのか」という問いに対しては「いる」と思ってしまうのも事実だ。

 ただ、リベラリズムの観点から「地位・立場の交換可能性」というのを考えれば、自分が(誰もが)死刑囚にならない生まれ方・育ち方をした理由は偶発的なものでしかないことは確かだ。世に溢れる人を責め厳罰化を叫ぶ人たちは、「自分は犯罪をしない」という無邪気な(想像力の足りない)気分から、あれだけ安易にモノを言えるのであろう。自己の正義感を振りかざして悦に浸る。「自己の正義感を制度レベルの話とすり替えてはいけない」と言っても彼らには通じないというのは分かるのだが、あまりにもそういう人間が多いというのも辛いものだ。


 死刑囚には更正のチャンスも償いのチャンスも全く無い。

 「人間は再生しない」だろうか?。

 僕は「暴力的な人間は」という条件付きでは、人間は再生しないということに賛同してしまう心性を持っているのだが、その考え方は、それはそれで非常に傲慢で恐ろしいものだという自覚は強い。
 そもそも(以前にも述べたかもしれないが)僕は「暴行でも傷害でも死刑でいいんじゃないの?」ぐらいの価値観なので、極論すると、暴力犯罪を犯した人間は未成年であろうと更生なんかさせずにさっさと殺してもいいだろ、という風にすら思ったりもするのだが(笑)、若かりし頃に「やんちゃ」をした人はどう思っているのだろうか。その辺りは僕には分からない。

 (冤罪の可能性はとりあえず無視して)死刑判決を受ける人は、人を殺しているわけで、上記の僕の価値観からは「そんな人は死んでもいい」と思うのだけれども、そんな自分の価値観から即、「死刑賛成、死刑増加賛成」などとは言えない。制度の問題は、そんな安易ではないし、そもそも自分に暴力的傾向が薄く、そういう価値観に育ったのも単なる偶然に過ぎないわけで、その立場から「彼らは死んでもいい」ということが、どれだけ正当性のあるor無いものなのかということを考えてしまう。

 人間は再生しないのだろうか?。
 更正のチャンスも償いのチャンスもない死刑の増加という現状。

 そして、そもそも、現政権が標榜する「再チャレンジ社会」は、いずこへ?。

 あー、なるほど、「さあ、来世で再チャレンジ!」ってことか(苦笑)。




 死刑にするしかない「誰もが(潜在的に)同意する殺人がある」という事実を否定するものでもないが、手放しで肯定したいわけでもない。
 厳罰化の流れ自体が抑止力として期待できるとしたら、死刑が増えることに「どうしても仕方ないのだ」という苦渋の選択として目をそらし俯きながら同意をしていくという人が多いのであれば せめて救いもある。そういう後ろ暗いところのある逡巡をしながらの同意という性質のものではないのだろうか、死刑執行って。

 にもかかわらず、現状の日本を見るに、むしろ、『国家による殺人』に対して、やんやの喝采を浴びせ快哉を叫ぶという傾向が強いのだ。その不埒さに、僕は「なんと美しき国かな、日本」とつぶやくことしかできない。



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1. 殺しすぎだぞ、日本人  [ 戦争を語るブログ ]   2007年02月26日 00:14
アムネスちゃんが声明だしてたんですね〜♪ 日本:死刑確定囚が100人となる 本日、日本で死刑確定者数が100人となった。アムネスティ・インターナ ショナル日本は昨今、特に2000年以降、死刑判決が増えている現状を憂慮す る。 刑罰一般の厳罰化傾向も強く、...

この記事へのコメント

1. Posted by Hirro   2007年03月25日 22:34
5 >自己の正義感を振りかざして悦に浸る。
同感です。

厳罰主義者は「犯罪が減少しているデータ」や「厳罰化によるメリット、デメリット」を検討しようともしません。被害者や遺族の感情は数字より重いということらしい。

>「自己の正義感を制度レベルの話とすり替えてはいけない」
そうなんですよ。事実を元に検討するという社会人として当たり前のスキルが彼らにはありません。制度を作るとはそこにカネを投入するのだから必然的に費用対効果を検証することになりますが、それをしない。すると正義を盾に怒り出す。

ちなみに、この論争相手は検事志望者の法科大学院生です。正直、こんなにバランス感覚がないようではいくら新司法試験が緩くなったとはいえ、受からないし、受かったとしても検察庁採用はないでしょう(私が人事ならその極端な正義感は組織を危うくするから採らない)。なんて言うんだろう、プロとしての冷静さがないですね。
2. Posted by サルヂエ   2007年03月30日 04:59
2 死刑の執行はドーム球場で公開処刑とする。ただしフジテレビを除く民放テレビ局で同時中継とする死刑執行対象年齢を3歳以上とする。対象犯罪は殺人、強姦、人を苛める行為、整列乗車、関西以西に本籍を有する人に対して馬鹿を行った行為です。臓器移植適合死刑囚はドーム球場で公開処刑不適合死刑囚は薬殺刑に処するにすべきじゃ

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