2014年06月16日

Casey Kasem 逝去

casey-kasem

Casey Kasem 逝去(82歳)
ありがとうケーシー。

taroneko123 at 20:06|PermalinkComments(2)TrackBack(0)スローハンドの独り言 

2012年09月16日

「カルチャー・クラブ(1/1)」

’84年の2曲目のナンバー・1です。
カルチャー・クラブの「Karma Chameleon (カーマは気まぐれ)」です。
2月4日付けから3週間1位を記録しています(年間10位)。

カラー・バイ・ナンバーズ

デビュー時「なぜ女性用メイクをしているのか」との問いに「素顔の僕は見れたもんじゃないから」と答えていたボーイ・ジョージ。
当時その奇抜な外見で話題をさらったものの、実体はモータウンをこよなく愛するボーイ・ジョージのプロジェクトだった カルチャー・クラブ。
デュラン・デュランらと共に’80年代中期のブリティッシュ・インヴェイジョンを盛り上げた彼らは’83年のデビュー・ヒット「君は完璧さ」(2位)を皮切りに6曲を連続でトップ10、10曲を連続でトップ40ヒットさせています。

なお、彼らは「デビュー・アルバムから3曲のトップ10ヒット」を出していて(「君は完璧さ」(3週2位)「タイム」(2週2位)「君のためなら」(9位)(全て’83年))これはビートルズ以来(デビュー作から3曲のトップ10ヒット)の記録となっています。
しかしその直後「デビュー作から4枚のトップ10ヒット」を Cyndi Lauper が発表し記録は更新されます。その後、記録は続出。
Whitney Houston、Richard Marx、Expose、Debbie Gibson、Mili Vanilli が次々に「デビュー作から4枚のトップ10ヒット」を発表。
更にその後、Paula Abdul が「デビュー作から5枚のトップ10ヒット」を発表し記録はまたまた更新されています。

slowhand123 at 18:33|PermalinkComments(4)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年08月11日

「イエス(1/1)」

’84年の1曲目のナンバー・1です。
Yes の「Owner Of A Lonely Heart」です。
1月21日付けから2週間1位を記録しています(年間8位)。

ロンリー・ハート

強力デュエット「Say Say Say」を1位から引き摺り降ろしたのは’70年代を代表するプログレ四天王の一角 Yes でした。
同曲は彼らにとって「Roundabout」(’72年13位)以来11年ぶりのトップ40ヒットとなっています。
’70年代アルバム・アーティストだったプログレ一派は’80年代に入るとシングルでも成功を収めるようになります。
Pink Floyd、Yes、Genesis が1位を記録し、Asia、GTR、Mike + the Mechanics などは別プロジェクトでトップ10ヒットを放っていましたね。

slowhand123 at 10:55|PermalinkComments(4)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年06月21日

「ポール・マッカートニー(9/9)&マイケル・ジャクソン(6/13)」

’83年の16曲目のナンバー・1です。
ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソンの「Say Say Say」です。
12月10日付けから6週連続1位を記録しています(’84年 年間3位)。

Pipes of Peace

3週連続2位から1位に踊り出たのは’80年代を代表するビッグ・デュエットのひとつ「Say Say Say」でした(ポールのアルバム『Pipes Of Peace』から)。
同年1月にも2人はデュエットで「The Girl Is Mine」(3週連続2位)(マイケルのアルバム『Thriller』から)を送り込んだばかりでした。

「The Girl Is Mine」が最初に2位に到達した時は(1月8日付け)ホール&オーツの「Maneater」に1位を阻止されましたが、「Say Say Say」が2週目の1位を記録中の12月17日付けからは、絶好調だったホール&オーツの「Say It Isn't So」を4週間2位で食い止めています。

「Say Say Say」は、同年の Men At Work 「Overkill」(28位初登場)を上回る26位で初登場(この時点で’80年代の HOT100最高位初登場のトップ)。
最終的な’80年代最高位初登場曲トップ3は、 Michael Jackson 「Thriller」(’84年20位)、USA For Africa 「We Are The World」(’85年21位)、そして「Say Say Say」(’83年26位)という結果でした。上位3曲には全てマイケルが絡んでいますね。

「Say Say Say」のように同じ単語が3つ続くタイトル曲の1位としては、Byrds 「Turn!Turn!Turn!」(’65)に続き歴代2曲目。
このあと Destiny's Child 「Bills,Bills,Bills」(’99)、B2K&P.Diddy 「Bump,Bump,Bump」(’03)と続きます。

slowhand123 at 21:33|PermalinkComments(4)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年04月09日

「ライオネル・リッチー(3/5)」

’83年の15曲目のナンバー・1です。
ライオネル・リッチーの「All Night Long (All Night)」です。
11月12日付けから4週間1位を記録しています(’84年 年間12位)。

Can't Slow Down

’84年ロス五輪の閉会式でも演奏された「ジャマイカ風お祭りソング」「All Night Long(All Night)」はそれまでのミディアム&バラードのイメージだった彼のソロの印象を大きく変える1曲でもありました。
コモドアーズ在籍中のソロ第1弾「Endless Love」(’81年9週1位)から’87年「Ballerina Girl」(7位)まで驚異の13曲連続トップ10ヒットという完全無敵な人気を誇ったメロディ・メーカー、ライオネル・リッチー。
’80年代最後のトップ40ヒット「Se La」(’87年20位)からは「喉に出来たポリープ除去手術」「モータウンとの契約切れ」「離婚(慰謝料25億)」「父親の死」と不幸が重なり次のトップ40ヒット「Do It To Me」(’92年21位)まで5年の月日が経っていました。

この翌週 11月19日付けからは次の1位曲となるビッグ・デュエットが3週2位で待機する事になります。

slowhand123 at 20:29|PermalinkComments(6)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年01月15日

「ケニー・ロジャース(2/2)&ドリー・パートン(2/2)」

’83年の14曲目のナンバー・1です。
ケニー・ロジャースとドリー・パートンの「Islands In The Stream」です。
10月29日付けから2週間1位を記録しています(’84年 年間56位)。

Eyes That See in the Dark (Reis)

アラバマ、エディ・ラビット、ジュース・ニュートン、ロニー・ミルサップなどカントリー勢が元気だった’80年代前半。
このカントリー・デュエット2組も’80年代前半に2曲のナンバー・1ヒットを残しています。
同曲はケニーにとって「Lady」(’80年6週1位)以来3年ぶり、ドリーは「9 To 5」(’81年2週1位)以来2年ぶりの1位でした。
ケニーは本作のプロデューサーにバリー・ギブを迎え、カントリーとは程遠い「極上ポップ」な1曲を完成させています。
’80年からの4年間で、ケニーがトップ40ヒットさせた女性とのデュエットは4曲目でした。
(キム・カーンズ(’80年4位)ドティ・ウェスト(’81年14位)シーナ・イーストン(’83年6位))

このあと、Billy Ray Cyrus 「Achy Breaky Heart」(’92年4位)までカントリー・シンガーによるトップ5ヒットは生まれません。

slowhand123 at 20:35|PermalinkComments(4)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年01月13日

「ボニー・タイラー」(1/1)

’83年の13曲目のナンバー・1です。
ボニー・タイラーの「Total Eclipse Of The Heart(愛の翳り)」です。
10月1日付けから4週間1位を記録しています(年間6位)。

Faster Than the Speed

地方のクラブで歌っていた「Gaynor Hopkins」 は’76年に(23歳)喉の「こぶ」を除去手術。
以降、ハスキー・ヴォイスになった「Bonnie Tyler」はスコット&ウォルフにスカウトされ’78年に「It's A Heartache(愛は哀しくて)」をリリース(’78年3位)(2週後に Juice Newton のヴァージョンがチャート・インするも最高は86位止まり)。
その後レコード契約が切れるも’81年に Meat Loaf との仕事で知られるプロデューサー Jim Steinman と出会い奇妙なヴィデオ・クリップも印象的な「愛の翳り」を4週1位に送り込みました。

その後、ドラマティックな曲の展開を得意とする Jim Steinman は(同曲のおかげで3週2位に終わった)エア・サプライ「渚の誓い」(’83年3週2位)やバリー・マニロウ「涙のラスト・レター」(’84年18位)などを手掛けます。

slowhand123 at 20:33|PermalinkComments(2)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84 

2012年01月07日

「ビリー・ジョエル」(2/3)

’83年の12曲目のナンバー・1です。
ビリー・ジョエルの「Tell Her About It(あの娘にアタック)」です。
9月24日付けの1週のみ1位を記録しています(年間45位)。

Innocent Man

ベトナム戦争などを題材にした重苦しいアルバム『ナイロン・カーテン』(’82)から1年。
6曲ものトップ40ヒットを残した大ヒット・アルバム『イノセント・マン』を発表したビリー。
ここからの第1弾シングルが「あの娘にアタック」でした。
典型的シュープリーム調を自分のものにした同曲はチャート・イン9週目で1位。
彼にとって「ロックン・ロールが最高さ」(’80)以来3年ぶり2曲目のナンバー・1でした。

slowhand123 at 20:29|PermalinkComments(6)TrackBack(0)No.1 リレー’83’84