タロット占い師「小町」のタロットが語る神秘の教え。

タロットカードには、古代の教えが閉じ込められています。絵柄の象徴から導かれるイメージ言語には、人生に多大な影響を与えるものだと感じています。タロットの神秘の言葉に耳を傾けてください。

「連想法タロットリーディング法での「連想」の具体的な方法」がテーマです。
実は本テーマを文章で表現し理解して貰うことは、かなり難しいことです。
それは、個々人によって所有している知識・経験が異なること。
個々人によって私が書いた文面をどのように理解するかが変わることが理由となります。
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話言葉ならば、相手側が間違った理解をしているか確認もでき、修正して理解させることが可能です。
しかし文章は一方通行のためそれができません。
よって個々人に最適な「連想」のテクニックでは無く、一般的なテクニックを披露することとなります。

1.タロットをドローする前に必ずポジション定義を決める
これは何度も語っていることです。
「ポジション定義」とは、タロット鑑定に於いて、タロットを並べる位置に対して特定のテーマ・啓示して貰う質問のことを謂います。
よく見かけるのは、3枚引きで「過去」「現在」「未来」というポジション定義が見かけます。
しかし、これはポジション定義とは謂えません。
「過去」とは、「いつの過去なのか?」「過去の相談者の心理状態のことなのか?」「過去の相談者の行動パターンなのか?」
まったく具体的ではありません。
単に「過去」ならば、相談者が一番よく知っているのですから、占いをする意図はありません。
また、ケルト十字法などのスプレッドを使うような場合でも、皆さんは教本に書かれているポジション定義をそのまま使っているでしょう。
これもまたタロットリーディングでは、あり得ないことです。
スプレッドを使っても、ポジション定義は、相談内容に沿って変化するはずだからです。
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2.ドローされたタロット全体を俯瞰する。
これも何度も語っています。
全体の印象は「ポジティブ寄り」なのか、「ネガティブ寄り」なのか?
スートで多くでているタロットはあるか?
逆にスートでドローされていないタロットはあるか?
大アルカナやエースと小アルカナ数札では、その比重が違う事。
一枚だけ逆位置でドローされているタロットはあるか?
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つまり、全体を観て、「あれ?変だぞ!」という部分を探すことです。

例えば、1枚だけ逆位置でドローされたタロットがあるならば、そのカードはかなり重要です。
タロットが敢えてRになって、「私を観て!」と叫んでいるとイメージするわけです。

ペンタクルが一枚も出ていない、ならば、「信頼感」「信用」「安心感」が欠如していると読めます。


3.眺めない。観察すること。
「絵」を観ることを、中学校時代から学んで来なかった方が多いでしょう。
長くて数分、観ている程度です。
観察とは、描かれている全てのモノに注意を向けることです。
そして質問思考が重要になってきます。

「なぜ、白い馬が小さく遠方に描かれているのだろう?」という自問自答です。

そのためには「描写」の練習が必用です。
タロットの絵を、盲目の人でもわかるぐらいに説明することができるか?が問われます。
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4.「眺めず、観察」に似ていますが、描かれているオブジェ・部分・象徴に焦点を当てて、まず「ことば」にする。
この作業がタロットリーディングでの最初の一歩となります。
これも、皆さんは苦手なはずです。
経験が無いからですね。
例えば、映画を観て「面白かった」と感想は言えます。またあらすじも謂えるでしょう。
しかし映画で移されている何かしらのシーンには、どんな意図・目的があるのか?まで考えた経験が無いからです。
これは映画に限らず、文学・演劇・ドラマ・・など全てに当てはまります。

Mission_Impossible「ミッション・イン・パッシブル」はトム・クルーズ主演の有名な人気映画の一つです。
観た事が無い方は分からないでしょうが、最初のシーン10分で、助演のジョン・ボイトが作戦本部から現場へ向かうシーンがあります。
私はここで「あれ?変だ!」と感じました。
最初の作戦では、「ジョン・ボイトは作戦本部で指揮する」と断言しています。
そこで交わされる会話は何気ないように想えますが、ジョン・ボイトは作戦指揮官なので宿泊するホテルも一流だと、皆がからかい半分話しています。
日本で謂えば「帝国ホテル」のようなものですね。しかし会話上ではいつもは高級ホテルは使っていないことがわかります。
また、トム・クルーズが危険を察知すると、ジョン・ボイトは「すぐ向かう」と作戦本部を出て行くシーンがあります。
そしてトムが観た画像は、ジョン・ボイトの顔と血の付いた手だけです。
一般的に、作戦指揮官が殺されるシーンならな、もっと詳しい描写があるはずです。
しかし、この映画では、スピード感に任せて1分でジョンが殺されるシーンとなっています。
ここで私は、黒幕はジョン・ボイトだ!と推測しました。
事実、映画のラスト近くでジョン・ボイトが裏切り者であることを証しています。


これは例えとして書いたものです。
単なる映画を楽しみながら、同時に観察して観ています。
映画に出てくる「小物」にも、何かしらの意図があって監督は映しているということを知っているからです。

タロットもまったく同じです。
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「愚者」はご存知でしょう。
「愚者」のカードがドローされると、人間は一般的に全体を眺めようとします。
それは「愚者」というカードを速く理解したい衝動から来ます。
しかし、皆さんは既に「愚者」を何度も見ているわけです。
だったら、相談に沿った(合った)部分・オブジェ・象徴に焦点を当てて、瞬時に「ことば」にすることが先決です。

「復縁したい。復縁のアドバイスが欲しい。」という前章と同じ様な相談があったとします。
※実際はこのように短い相談はあり得ませんが。

私の場合は、「愚者」のカードのどの部分を観てもアドバイスとして読む事ができますが、皆さんは仮に・・
「愚者自身の顔が上を見上げている」部分に着目したとします。
ならば・・・最初のことばは「上を向く」となるでしょう。


そして復縁のアドバイスとして語るならば、「上を向く」とはどういうことを啓示しているのか?と自問自答するのです。
幾らでもOUTPUTできますね。
「自信を持つ」「理想を高くする」「坂本九の歌”上を向いて歩こう”」「背筋を伸ばし姿勢正しく堂々と歩く」「過去に執着しないで未来に目を向ける」
「顔を他者に見せる=笑顔やメイク」「威風堂々」「天を見上げ神様に祈る」「今よりも高い目標を持つ」「ネガティブからポジティブに変わる」
「自分を鼓舞する」・・・・


このように「ことば」がOUTPUTされれば、後は、より具体的にしていくだけです。

連想の具体的なテックニックはまだまだあります。
心理学的な方法もあるんですね。
しかしタロットリーディングに絞るならば、4番目の「描かれているオブジェ・部分・象徴に焦点を当てて、まず「ことば」にする。」
が最も簡単な連想方法でしょう。


そして繰り返しになりますが、この作業を一瞬で実践するのがプロです。

「連想法タロットリーディング法は第一次連想で終わっては、決して読めない。」がテーマです。
言い変えるならば、タロットは抽象的な表現ではリーディングでは無く、具体的で無ければいけない、ということです。
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前章でも語ったのですが、このテーマも皆さんは子供の頃は意図も容易くできたはずです。
むしろ抽象的な表現のほうが難しかったはずです。
子供の頃は、学校で「・・・・で・・・が・・・だった」と具体的にお母さんに語ったはずです。
社会に染まるに連れて、具体性が欠け、抽象的な表現しか出来なくなってしまいます。



これには幾つか理由があります。
一つはTVの見過ぎ。
ドラマでも映画でも、映像なので具体的な表現としての言葉遣いは不要です。
実際、映画「指輪物語」は観た事があるでしょう。
しかし、実際のイギリスのJ・R・R・トールキンによる長編小説の「指輪物語」は、
膨大な文章量です。
文庫版で10巻まであります。
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もう一つはTVゲームの影響。
「遊ぶ」とは工夫して考えるものです。
どうやったら、高い樫の木にいるカブトムシを獲ることができるだろう?と試行錯誤します。
しかしTVゲームは一切、現実的な工夫を要しません。


これを合わせて、読書をしなくなったことも謂えます。
読書の場合、長い文章を読み、自分の頭の中にリアルな映像として描き出さなければなりません。
これは実は非常に脳を使うことです。

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またインターネットも理由の一つに挙げられます。
ネットでは長く細かい文章がありません。
新聞ならば非常に長い文章が、youtubeなら「ただ見ている」だけで済みます。
スマホやガラケーでも長い文章は読まれません。
よって創る側も意図的に、短い文章になってしまうわけです。


最後に両親や教師の影響が考えられます。
ゲーム世代の両親は、我が子に具体性を求めません。
「今日、学校で何かあった?」
「いいや。特に何も無いよ。」
で会話が済んでしまいます。
同時に「教育」というもの・・・もっと謂えば学問というものは、具体的な事例を元に一般化する一連の行為です。それには思考も含まれます。
特に数学・物理学・化学は、具体的な事象を抽象化する学問ですね。


今回は「一次連想」とか「二次連想」とか耳慣れない言葉がでてきました。
これは「ことばの発展化」のことを謂います。


例えば実例として・・
「彼と復縁したい。復縁する助言が欲しい。」という相談内容があったとします。
実際の鑑定では、もっと状況説明など長く相談してくるでしょうし、
逆にこのような短くストレートな相談ならリヴィジョンして、相談内容をもっと具体的にしていかなければなりません。


さて「彼と復縁したい。復縁する助言が欲しい。」という相談に対して、
タロットをドローします。
そしてタロットを読むわけですね。
現実的な話をすれば、私は鑑定は1分200円という料金体系でやってきました。
※今はもっともっと高額です。また法人契約しかやっていません。
1分200円なら、1時間で12000円です。
仮に12000円支払って、「彼ともっとコミュニケーションをしてください」と占い師に言われたならば、
貴方はどのように感じますか?
12000円ですよ。それだけ支払って「彼ともっとコミュニケーションをしてください」です。
腹が立ちますね。お金を溝に捨てたような気になります。


彼とコミュニケーションがスムーにできれば、わざわざ占いに来ないのではないでしょうか?
非常に抽象的です。
具体的なアドバイスなら、最低限、以下の事をタロットリーディングするはずです。
1.彼とのコミュニケーションへの持って行き方
2.コミュニケーションの種類(メール・電話・会話・・・)
3.コミュニケーションの話題
4.コミュニケーションの頻度
5.コミュニケーションの時間帯・タイミング
6.コミュニケーションでのことば遣い
7.コミュニケーションする場所
8.コミュニケーションする時点での心の持ち方=メンタル面のアドバイス全般

これは実はビジネスで言われるマーケティングと同じなのです。
ここでは5W1Hを使っています。
一番聴きたいことは、「どのように」コミュニケーションするか?でしょうね。


つまり「具体的」なリーディングのできない者はプロとは到底謂えない、ということです。

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さて「一次連想」とは何か?
これは在る特定のタロットの絵柄の中に描かれている部分・オブジェ・箇所・象徴などを観たときに浮かんできた「単語」のことです。
例えば「魔術師」というカードがドローされたとします。
そこで、「白百合と赤い薔薇が咲き乱れている」部分に注目した結果として、「コミュニケーションをよくする」と浮かんできたとします。
これが一次連想になるのです。
よって観る部分によって、タロッティストの知識・経験によって一次連想は異なります。
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例えば、「魔術師」がドローされた場合の一次連想を適当に挙げてみましょう。
●「1」という数字から「スタート」
●「魔術師」というカードの名前から「実験・検証」「化学者」「錬金術師」「驚かせる」
●「机の上の剣・金貨・聖杯・棒から、四大元素が材料なので、「複数の話題」「あらゆる角度から観る」「多くのツールを使う」
●「魔術師」の男の鉢巻きから「根性」「覚悟を決める」
●「魔術師」の男の向かって左手から、「上を向く」「火を使う」「指揮する」
●「魔術師」の男の向かって右手から、「集中」「ここに留まる」「落ち着く」
●「魔術師」の頭の上のインフィニティから、「無限」「無償」「諦めない」、逆に腰のウロボヌスの蛇も無限というアトリビュートなので、「女性的な要素を伴った無限・無償・諦め無さ」
●上部の赤い薔薇が魔術師を囲っている部分から、「花束」「花を愛でる」「花見」「男に囲まれる」「男に守られる」(赤い薔薇=男というアトリビュート)
●魔術師の顔付きから、「意志が堅い」(でも頑固では無い)「まっすぐ見つめる」
・・・・
といったように一次連想が出てきます。
もちろん、この一次連想は私の知識・経験を元に浮かんできた「単語」「短文」です。
また、この一次連想で、具体的な映像が頭に浮かんでいますか?
間違い無く浮かんでいません。
逆にこれら抽象言語で、長編小説の如く映像がまざまざと浮かぶなら、その者は天才です。
※実際にキルケゴールという哲学者は、成人するまで一歩も家を出たことがありません。すべて想像して出来事を理解できた天才です。
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意味を憶えて当てはめて占うタロット占い師は、この一次連想で終わります。
なぜなら、教本でも講座でもスクールでも「意味」を暗記させるだけだからです。
「意味を謂えば、もう鑑定は終わり」という風潮ができてしまっているわけです。


さて「二次連想」です。
一次連想の中から、復縁のアドバイスとして最適な単語を選びます。
例えばここでは「男に囲まれる」という一次連想を選んでみます。
※実はどの一次連想を選んでも、最終的には素晴らしいアドバイスをリーディングできるのです。


ここで「男に囲まれる」とは、具体的にどのような状態・状況を描いているのか?という質問思考(自問自答)をします。
男は異性ですよね。異性はゲイなども含まれます。また「男性的な要素」と考えてもいいでしょう。「勇気」「行動」「冒険」「開拓精神」・・と多くのことばが浮かんできます。
問題は「囲まれる」です。
囲まれるとは、単に複数の異性が自分の周囲に纏わり付いていることではありません。
「囲まれる」とは、「違う人間の意見を聞く」「相手は異性なので相手の立場で自分心に世界感を創る」「男性という性質を理解する」
ということではないでしょうか!


すると二次連想では・・
「多くの男性(父・祖父・従兄弟・友人)に男ってどういう性格や性質があるのかを聴き、男性という相手の立場になって考え、自分自身(相談者のこと)も男らしく勇気を持って、いろいろなコミュニケーションの方法や相手の嗜好に合わせた姿勢・態度が必用である」
となっていきます。


どうですか?
一次連想よりもはるかに「映像」として頭に浮かんできませんか?


私ならさらに三次連想もします。
「コミュニケーションとは?」
「相手の嗜好を探す具体的な方法は?」
「男という生物をどのように自分なりに理解するかの方法は?」
「勇気を出すには?」
「態度・姿勢とは?」
というように、もっともっと具体的になります。


先ほど「一次連想よりもはるかに「映像」として頭に浮かんできませんか?」と記載しましたが、
実は逆です。
映像として頭の中に浮かんでいないと、このような具体的な文章が出てこないということです。


結論として、一次連想で鑑定が終わることはあり得ない。
その一次連想のキーワードを、自問自答しながら、頭の中に具体的な映像を作り出していく。
その映像をさらに詳しく描写し、言葉として表現する。
これが連想法タロットリーディング法です。


連想が映像のように膨らまないのは、貴方が「自問自答」しないからです。
これをビジネスでは「質問思考」と謂いますね。


さらに・・・
この一連の作業を一瞬で行うのがタロットリーディングです。
だからこそ、訓練が必用であり自己投資をしない者には、永久にタロットは読めないのです。

タロットリーディングでは意味を憶えてはいけません。
その憶えた意味を当てはめるのは、単なる作業です。
よって、タロットリーディングは「絵」を観察するところから始まります。

「絵を観て言葉に、言葉を観て絵に!」は、
皆さんが幼い頃は、しょっちゅうやっていた事なのです。
小学校時代以前です。小学校の3年生ぐらいまでは、簡単にできたはずです。


例えば、雲を眺めますよね。
大人の皆さんは、天気を自動的に連想します。
雨に濡れるのが嫌だからです。
嫌であると同時に、他人に「観られる」ことを意識するからです。


子供の頃は、私は男なので、よく怪獣を連想していました。
あの雲が怪獣、バルタン星人で、あの雲はウルトラマン。
そのときの私の頭の中には、リアルな映像が映し出されていたはずです。
皆さんも同じです。
ウルトラマンがバルタン星人にスペシュウム光線を発射している映像ですね。
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しかし社会人に近づくに連れて、そんな連想をしなくなってしまったのです。
だから頭が堅いんですね。柔軟性が無くなっています。


中学校時代から「美術」の授業が始まります。
小学校では「図工」でしたね。
この学校教育が、連想を貧弱にさせる理由の一つとなります。
「美術」の時間では、絵を描かせたり、デッサン、彫刻、美術史などを勉強したはずです。
しかし、両親も学校の担任までも、高校受験に美術は関係無いという理由で蔑ろにします。
ただ内申書だけが問題になるだけです。


中学校時代の美術は、「絵を観ている」のでは無く眺めているに過ぎません。
言い変えれば、単なる描写とも謂えます。
タッチや美術史の変遷には注目しますが、画家がどんな気持ちでこの絵を描いたのか?なんて誰も考えもしません。
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皆さんは美術館に行ったことがあるはずです。
しかし、ここでも絵を眺めるだけです。
「この絵は好きだ」「この絵は嫌いだ」程度の感想でしょう。
じっくりと一枚の絵を二時間も三時間も観ている方は、私の記憶では誰もいません。
私は両親に恵まれました。
父は今でいうグラフィックデザイナーです。しかしパソコンが無い時代です。
すべて手書きですね。カラスペンやGペン、カブラペンなどを知っていますか?
私のそばには、絵を描く全ての物がありました。
母は昭和7年生まれで、北海道大学を卒業した才女です。
当時の日本。しかも札幌で、女性が大学を卒業することはあり得ませんでした。
しかも母は文学部で、ロシア文学を専攻していました。
また母は絵も描きます。実際に画家として多くの賞を貰っています。



よって「絵」の見方を生まれながらに知る環境に恵まれていたわけです。


私も図書館と美術館は、毎日のように通っていました。
友達と遊ぶときも、今のようなTVゲームが無いので、虫取りや輪ゴム鉄砲で遊んでいたのを憶えています。
図書館も美術館も自宅から歩いて通える距離でした。
美術館では、1枚の絵をそれこそ3時間も観ていたこともあります。
いろいろな想像を駆け巡らせるんです。
細かな絵の部分にも、画家が敢えて描いた理由があるはずです。
それを小学校の頭でいろいろ連想してきました。


「絵を言葉に。言葉を絵に。」は実は非常に難易度が高い頭の使い方です。
逆にこれができると、受験勉強も楽しくなります。
「歴史」という授業があります。受験にも必須ですね。
皆さんは、歴史を暗記したはずです。
私は歴史を空想しました。
本能寺の変で織田信長が舞をまった気持ちを想像し、さぞや無念であり、さぞや人生のはかなさを感じたのだろうな?!とか、
ギリシャがペルシャ帝国と闘ったとき、ギリシャ人達は誇りと自由のために、命を懸けたのだろうな?!とか。
歴史が物語のように頭の中で映像として浮かんでいました。
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右脳は「ビジュアル」を認識します。音楽など芸術全般は右脳が認識します。
左脳は「言語」を認識します。数学や化学式などもそうですね。
「絵を言葉に」するには、最初に右脳に入ってきたビジュアルを、膨らませて映像のように発展させなかえればなりません。
その映像をことばとして表現するのです。
実際に、音楽を皆さんはどのように表現できますか?
グスタフ・マーラー交響曲第五番の壮大なイメージをどのように言葉にしますか?
「絵を言葉に」するには、絵や音楽、映画、演劇、文学などが、自分の右脳で実際に映像になっていなければできないのです。
だから、皆さんは絵・音楽・詩・散文・演劇・映画を説明してしまいます。
感想は「面白い」「楽しい」「美しい」・・その逆のことばぐらいしかOUTPUTされてきません。
しかも全て「抽象言語」です。

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逆に「言葉を絵に」するのは、比較的容易なはずです。
絵の上手さは別としてです。
それは左脳で、ある「単語」は、ある「意味」を持つと数学的に解釈しているからです。
ここでは経験や知識も役に立ちます。
しかし、やはり「言葉を絵にできても、映像にはできません」
その最大の理由は、本当の意味で「絵」を観た経験が無いことです。
また表現するための道具・・・すなわち「ボキャブラリー」「知識」が少ないことも一因です。


タロットを読むとは、まさに「映像」のように頭に浮かんでいなければなりません。
現実世界は二次元ではありません。三次元であり四次元です。
現実世界は「絵」では無く、「映像」なのです。
ならば現実世界の問題や悩みを、アドバイするときも「映像」でなければ矛盾しませんか?

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私には多くの友人・知人がいます。
しかし、私は幼い頃から友人・知人を区分していました。
よって、知識力のある者、金持ち、正確に言えばビジネスを知っている者、表現力が豊富な者。
自然とそうなってくるんですね。類は類を呼ぶです。


また自分の幼い頃の環境だけで無く、自己投資もしてきました。
自己投資とはもちろん、精神・魂に投資することと、スキルに投資することです。
どちらもお金は掛かります。
大学を出て就職してからもです。
下らない愚痴を言い合う飲み会には一切出ませんでした。
下らない事に給料を使うのは馬鹿馬鹿しいと疑いませんでした。
「付き合いが悪いな」とよく皮肉を言われたものです。

自分の上司も尊敬するに値しませんでした。
まさに愚かな小さき者としか感じません。
何も挑戦しない。何も意見が無い。
ただ上からの命令に従い、部下を従わせようともがく小物です。


私は前職時代、北大修士課程卒業後にたまたま花*に入社し、
たまたまマーケティング部に所属され
、たまたま転勤も無くマーケティング一本でした。


しかし、大手量販店やAMAZON(当時はそれほど大きくはありませんでした)・ASKULなどは、
営業とは別に販売促進でよく通ったものです。
営業と同行も多かったですね。


当時、私が三十代で部長代理になったのは、前代未聞の話でした。
まだECが一般的では無かった時代に、会社では初のECを立ちあげたからです。
係長の頃、課長に稟議を通しても、全く理解されないので、社長室の同期に根回しをして貰い、
課長も部長も飛び越えて社長に直に提案しました。これも前代未聞です。
私は「クビになっても構わない。自分でできる自信があった。」と語っていましたが、
今、思えば恐ろしい事をやったと思います。


憶えているのは、社長が「だったら、お前がやれ」の一言です。
そこでいきなりEC課ができ、課長になりました。


もちろん失敗すれば、確実に降格・左遷です。
でも時代のトレンドに乗ることができたんですね。ECの売上高が全体の20%を超え、
利益はそれ以上でした。運が良かったのかもしれません。
その功績で、東大・京大・慶応・早稲田さん達より先に上に上がることができました。
ただ嫉みや嘲笑は当然ありました。
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私は必死でした。自費でグロービスに通学しましたし(やはり200万円は掛かりましたね。ただMBAコースでは無かったです。)、
Adobeのアプリもスクールに通い(こちらも全教科で100万は掛かったですね)、インターネットの全てを学んできました。

自己投資の料金は、今振り替えれば軽く500万円以上でしょう。
逆に自己投資をしない者が成功するはずがありません。


皆さんは現代社会に於いて、知識は無料と勘違いしているケースが多々見られます。
しかし実際は、知識は「お金を使って」始めて自分の血肉になるのです。
よって自己投資しない友は私にはいません。
「知識は買うもの」なのです。
「スキルも買うもの」なのです。
「私にはそんなお金が無い」という言い訳は今すぐ辞めるべきです。
生活の中で無駄な出費は必ずあります。
金持ちほど、コンセントは豆に抜くものです。
金持ちほど、買い物では「買う目的」がはっきりしています。
例えば、「シャンプーを買う」という目的でドラッグストアに行きます。
そしてシャンプーコーナーに最低5分は検討をします。
金持ちほど自動車などステイタスの類に拘りません。安全に走れればそれでいいのです。
フェラーリやポルシェを買うのは、小金持ちです。
金持ちほど数字を常に把握しています。
事実、貴方の財布には1円単位で幾ら入っていますか?
私の友人達は皆、謂えます。

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同時に絵や言葉の映像化には、知識だけでは無く、経験と語彙も必用です。
経験は「とにかくやってみる」ことに他なりません。
やってみて性に合わないなら辞めればいいだけです。
私のゴルフみたいなものですね。
経験は来るものでは無く、自分でやってみる・行ってみる・飛び込んでみることです。
当然、経験が舞い込んでくることはあります。
私の両親、妻、愛する息子を自動車事故で同時に亡くしたとき。
「なぜ、俺がこんな目に遭うんだ!!!」と叫び、運命を呪ったものです。
しかし今になって考えて観ると、あの大事件が私を一層高見に押し上げたことになっていると気がつきました。

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語彙(ボキャブラリー)は豊かなほど、映像をリアルに生々しく、まさにそこで本当に観ているが如く表現できます。
語彙を高めるには、読書が一番としか謂いようがありません。
ただ私は類語辞典も読んでいました。調べるのでは無く「読んでいた」んです。
実際に今持っている角川の類語辞典は四冊目です。
大学時代から読み始め、三冊ボロボロになっていましました。
類語辞典を読もうとしたのは、私が大学で哲学を専攻したこともそうですし、自己表現するのに最も遇っているが「ことば」だと分かったからです。


長々とまた書いてしまいました。
結論を言います。
「絵を言葉に」「言葉を絵に」するには、右脳と左脳の連携が必須であり、
それを具体的に行うのは、「映像」のように頭に浮かぶことだ!ということです。
そのための具体的な方法が、「生活のあらゆる物・出来事をよく観察する」「観察した後は考える事」「経験を自分から取り入れる」「語彙を豊かにする」
となるわけです。
そして自己投資せずに、これらを習得しようと考える者は、結局、人生を無駄にしています。
たった一回の、たった一つの人生なのに。
もう二度とこの人生はやって来ないのに。
それが分からないのですね。そして死に際で後悔しますが、もう遅しです。

今回は「連想」について解説します。
「連想」という言葉に似た単語では「感想」という単語があります。

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「感想」は端的に五感で認識した物・人・出来事・概念に対して、感情として発せられる言葉です。
例えば・・・
マリンブルーの穏やかな海に沈む真っ赤に染まった夕日を観れば、「美しい」「素晴らしい」「感動的だ!」「生きた意味を感じる」・・
と誰もが、観た咄嗟に出てくる言葉です。
「感想」は思考を伴いません。まさに反射的に出てくる「単語」と謂えます。


「連想」はやはり五感で認識した物・人・出来事・概念に対して、個々の経験や知識が加味されて、まったく新たな「言葉」に変換されます。
例えば、先ほどの「マリンブルーの穏やかな海に沈む真っ赤に染まった夕日」を観た(五感で言う視覚)場合、
「学生時代ラグビーに掛けた青春の1ページ」
「真っ赤な夕日が染まる青い海のコントラスト」
「昔観た懐かしのドラマ水谷豊主演の”熱中時代”」
「牧原敬之の”君は誰とあくびをしますか”という曲」
「夕日に向かって俺は男だ!と叫ぶ高校生」
・・・・。
という具合に、幾らでも浮かんできます。
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もう一つ。
「犬」という単語を観た時、どのような連想をするでしょうか?
「動揺”犬のおまわりさん”の困った犬の表情」
「昔飼っていたマルチーズのコロ」
「日本一強い闘犬の代表である土佐犬」
「渋谷のハチ公」
「また足を噛まれるのではないか、という恐怖心」
「犬猿の仲。」
「犬と同じように変われている猫」


このように「認識」は出来事・人物・物だけで無く、「ことば」「単語」でも連想は浮かびます。
その連想言語には、明らかに個人差があります。
経験・知識・固定観念によって、様々に変化するわけです。


そこで皆さんは「連想法タロットリーディング法」で、ドローカードを連想した場合、個々によって、
全く違う連想言語が出てくるのだから、タロットリーディングは不可能では?と思う事でしょう。


その回答は次章に廻すとして・・・
少しだけヒントを説明します。
例えば・・「犬」という「単語」から、「動揺”犬のおまわりさん”の困った犬の表情」と連想した。
この段階ではタロットリーディングは不可能です。
なぜなら「一次連想」に過ぎないからです。
一次連想とは、最初に思いついた言葉ですね。
連想ゲームをやったことがあるでしょう。
最初の人の連想と、10人目の人の連想は、全く異なる言葉になりませんか?

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私なら・・・
「犬のおまわりさん」から、次の連想言語が生まれてきます。
このとき重要なのは、質問思考です。
「犬のおまわりさん」とは「どういう状態のことを謂うのか?」と自問自答します。


確か・・・
「政府の犬」
「警察」
「犯罪を取り締まり起訴に持ち込む証拠を集める職業」
と謂えますよね。
これが第二次連想です。


「犬」という最初の単語から「警察」に変化したのです。
どう考えても、「犬」と「警察」は違う「単語」です。
その警察が困った表情をしている。それは迷子の子猫が居て、名前も住所もわからないからだ。
このときに、私の頭の中では、リアルな映像が浮かんでいます。
「道ばたで出逢った迷子の素性も名前も住所もわからない。これでは親御さんを探せない。さあ、どうしたものか?と思案に繰れて呆然と突っ立て居る巡査が、顔を横にして腕を組んで困っている」
これは、私の頭に浮かんだ映像をそのまま「文章」に変えただけです。


その「文章」をさらに発展してみます。人生の生き方というテーマがあって、それに対しての文面です。
「いつでも、どこでも、困っている人が大勢居る。特に幼い子供が両親と離れて泣いている姿は可哀想なものだ。それでもおまわりさんは、何とかして両親を探し出して幼い子供も両親も安心させてあげたい。否、おもわりさんに限らず、成熟した正しい心を持つ者ならば、誰しもこのように思うだろう。困っている人を助ける心。なんとかしてあげたいという想い。この想いこそが、人間が人間として生きる上で最も美しい愛に近いのでは無いだろうか?愛は他人のことを、まさに自分のことのように想い、自分の事のように行動してあげることだ。ある人は親切とも語るだろう。ある人は仁と呼ぶだろう。もっと謂えば、困っている人を助けてあげることを、自ら進んで行うことが人間関係を素晴らしいものにし、自分の人生をより幸せに高めることではないだろうか!皆も会社で困っている人が居たら助けてあげること。誰かが間違ったならば、それを追い詰めるのでは無く、自分も相手と同じように考えて赦し、助けてあげること。この行いが自分を豊かにするのだ。」

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如何でしょうか?
まるでタロットリーディングではありませんか?
最初は「犬」から始まったんですよ。
つまり「犬の絵のタロット」(仮に犬のタロットがあったとしてです)を読んだことになるわけです。


連想にはもう一つ重大な心理学的根拠があります。
ユングが提唱した「元型」「集団的無意識」と呼ばれる概念ですね。
それは中世の絵画の図像学(アトリビュート)にも関係します。


「元型」を解説します。
例えば・・ここに「骸骨」の写真があったとします。それを観たとき、どのような感じ方をするでしょう?
「先が無い」「将来は無い」「ひからびている」「堅い」「死」「過去の遺物」「滅びる」・・・
というような概念が浮かぶはずです。
またここに「笑っている赤ちゃん」の写真があったとします。
「可愛い」「将来は有望」「やわらかい」「抱きしめたい」「命の息吹」「誕生」・・・
というような概念が浮かぶはずです。


そしてこの概念は、過去から現在に至る世界中の人間が同様に感じるのです。
つまり、「赤ちゃん」の写真から、誰も皆が、同じ連想をするということです。
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これは人間の本能に相関関係があります。
「元型」は意識できないものです。むしろ潜在意識・無意識の領域です。
しかし、世界中の誰もが同じ「ことば」を発するのです。
「連想」には二通りあり、特定の絵・単語から、個々の経験・知識から導き出させる「独自のことば」と、
世界中の誰もが無意識の領域で出される「共通認識のことば」があるということです。


これを応用したのが、図像学(アトリビュート)ですね。
中世では、作家・画家独自の美を追究することよりも、世間的な公の概念を描くことのほうが重要だったからです。
当然ですが、キリスト教の影響は絶大です。
仮にイエス・キリストを描くときに、逆五芒星を一緒に描いたなら、その画家は異端とされ、中世社会から断絶されます。
最悪は火あぶりとなるでしょう。


アトリビュートでは「白い犬」は「忠誠」「誠実」を顕します。
タロットにも「愚者」「ペンタクル10」で出てきますね。
これは原始時代からの人類の記憶に関係します。
犬は原始時代から飼われていたことは、歴史的事実です。
犬は主人を裏切らず、危険を察知し、主人の手伝いもします。(羊飼いでは犬を手伝わせているでしょ)
その深層記憶が、アトリビュートとして顕れてきただけのことです。

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魔術師など、「白百合」が描かれています。
他にも「ペンタクル3」「法王」「死神」「ペンタクルエース」など多くのタロットに描かれています。
これはマルセイユ版ではあり得ません。
「白百合」はアトリビュートでは、「聖母マリア」を顕します。
そのことから同時に「母」「女(淑女)」も顕します。
これも太古の記憶から出てきた連想です。
白百合は、「純粋さ」「罪の無さ」「純潔」「処女性」の象徴として昔から謳われてきました。
祖国を救った聖女ジャンヌ・ダルクが身につけることを許されたブルボン王朝の紋章も同じ白百合ですね。
余談ですが、百合(ゆり)とは、女性の同性愛、またはそれに近い友愛のことも指します。
逆に赤い薔薇はゲイですね。薔薇族と謂います。
このような歴史的背景から、先人達の深層記憶に白百合=聖母マリアと刻み込まれたわけです。


結論として「連想法タロットリーディング法」は、個々の経験・知識に左右されようと何ら問題は無いということです。
逆に「絵」そのものに集中して、その絵の語る啓示を考えるのですから、まさにタロットリーディングと謂えるでしょう。

まずタロットの歴史は、マルセイユ版から始まります。
445px-Hattinフランスの港街マルセイユで、中世14世紀〜16世紀にかけて盛んに印刷されました。
その理由は遊びのカードのためです。
当時は遊戯が少なかったのは周知の事実です。映画はもちろん、芝居すらお粗末でした。まだシェイクスピアは生まれていません。
遊園地もありません。
書籍も手書で写経のように写し書きしたものです。よって非常に高価ですから大衆には買えません。
そこで「タロットカード」で大衆〜貴族まで遊んだのです。
事実、大衆の中ではギャンブルでタロットカードを使う者達も多かったという史実があります。


「遊び」のカードに「意味」は無い。
「遊び」のカードに「逆位置」も無い。


やがてマルセイユ版タロットカードは「トランプ」へと変化します。
ジプシーが占いをしていた史実はありますが、彼らの占いは直感に寄るもので、
タロットを読んでいたわけではありません。
ただ彼らが、フランスからヨーロッパ各地にタロットを広めたという功績はあります。


タロットを発明したのは、テンプル騎士団という説が最も有力です。
テンプル騎士団はフランスで生まれました。
法王の特権で巡礼者の保護のために結成された宗教的軍事教団です。
テンプル騎士団から、十字軍が生まれます。十字軍はイギリスです。
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このテンプル騎士団が、最初の「秘密結社」です。
秘密結社も多く在ります。薔薇十字団・黄金の夜明け団・フリーメーソン・・・
彼らの本当の目的は、「カバラの研究と解釈、カバラの実践」です。


さて「カバラ」とは何でしょう?
「カバラ」とはユダヤ教神秘主義思想と翻訳されているために誤解を生じますが、
「人間が如何に幸せに、神に近づく生き方をするのか」という手引き書です。
世界には多くの宗教・神話があります。
最初の宗教(まだ宗教というカタチにもなっていませんが)は、世界各地に各々点在しています。


ギリシャ・ローマは「ギリシャ神話」からキリスト教へ移行しました。
北欧ではケルト神話からキリスト教へ移行しました。
当時はまだ仏教は存在しません。また仏陀自身は教典を書いていません。弟子が書いたのです。
ユダヤ教の教典は、旧約聖書・トーラーですが、ユダヤ教からキリスト教、イスラム教に別れたのです。
中国では「儒教」「道教」が主流です。儒教も孔子が直接書いたものでは無く弟子が書いたものです。
「道教」のみが老子自身が書きました。そのご荘子によって完成します。
日本では・・・お粗末ですが宗教というものは存在していません。
日本神道も明治初めにできた宗教です。日本神話を信じていたわけですね。その後聖徳太子が仏教を中国から輸入します。
これは政治のためですね。
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ここで謂いたいのは、「カバラ」こそが最も太古の宗教書である、ということです。
一説では大天使ラジエルの書の一部とも謂われています。
「カバラ」は難解な哲学です。それを集約したものがセフィロトの樹です。


さてタロットの発祥ですが、マルセイユ版の後に1910年、黄金の夜明け団の幹部アーサー・エドワード・ウェイトが、
カバラの思想を、マルセイタロットに盛り込んで、全く新しいタロットを創ります。
これが「ウェイト・スミス」版です。
つまり、タロットは遊びのカードから、20世紀初頭にやっとカバラの思想を描いたタロットになるのです。


ウエィト・スミス版は大ブレイクします。
多くのオカルティスト、カバリスト達が、独自にタロットとカバラの相関関係を研究し、
「意味という概念」を書きました。
有名なのは、クローリーやエリファス・レヴィ2世ですね。
そして現代でも、その「意味なる概念」を、タロットの意味だ!と謂って教えています。
書籍も同様です。
簡単に言えば、先人のカバリスト達の真似です。



そこで「カバラ」に戻ります。
「カバラ」は難解です。暗号的な言葉が多数あり、まさに哲学書となんら変わりはありません。
イマニエル・カントの『純粋理性批判』を読んだ人はいらっしゃいますか?
私は哲学を専攻していましたから、カントもヘーゲルも一応は読んでいます。
おそらく、書店で立ち読みした場合、「何を書いているのか、さっぱり分からない」と思います。
哲学は思考を文章で表現するため、一つ一つの単語を明確に定義していく必用があります。
「カバラ」もまさに同じなのですね。
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カバラの目的は、「人間がエデンを追われ原罪を背負い生きていく上で、如何に幸せに人生を歩むか?如何に神に近づく生き方をするか」を、
まさに哲学書の如くに書いた書物です。
そしてウェイト・スミス版タロットには、その思想体系が愚者からペンタクルキングにまで、何かしら描かれています。


つまり・・・・・



タロットは「人生の幸せな生き方、正しい生き方」を絵で表現したものなのです。


それにも関わらず、「意味を憶えて」プロのタロット占い師になった方は大勢います。
そしてドローされたカードに「意味を当てはめていく」作業をします。
工場でのラインと同じですね。
※別に職業蔑視ではありません。分かり易い例えとして挙げています。
ラインでは商品が流れてきます。そして各々の担当者が部品を組み付けます。
実は「意味を当てはめる」タロットリーディングは、この作業とまったく同じです。


結論です。
タロットの目的は、相談者の救済にあります。
相談者の人生を正しいものに、幸せなものにすることです。
タロット鑑定師は、導師(グル)ですね。
ただし、タロッティストはことばを使って、導きます。
導くのは相談者の人生の扉の前までです。
扉を開けるのは相談者自身です。なぜなら相談者の人生だからです。


「タロット鑑定師になる」ということは、導く者になると同義です。
それができず「意味」を当てはめて、お金を取るのは、冒涜です。
タロットの目的は崇高で且つ責任が伴うということを忘れてはなりません。

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