連合国の伊達陣営攻略は着々と進み、一乗谷城と伊賀砦は陥落した。

勢力の滅亡に際しては、難民問題が注目される。
しかし、朝倉家は少数民族で影響はゼロに等しく、
伊賀忍はIGAサミット議事堂を焼き討ちされるも、後の武田戦には多くの遺臣が協力的に従軍している。
この事から、今季の滅亡戦において政治的な混乱は無かったと言っても過言ではないだろう。

伊達陣営が追い詰められる中、この国際的な秩序に絶望した一部が決起したようだ。
その名も、「もののふ連合」。弱いものいじめ国勢を打破する為の、真のもののふによる勢力であるとの事。

同連合の指導者は上杉家出身であると言う。
同家の筆頭は連合国の権威を傘に着ることで有名であったが、
逆境の続くなかで粘り強く戦う仙台兵を擁する伊達家との戦いに勝つ事ができず、ついに綻びが出た模様。

国内では、良い時は体よく自分の手柄を語り、都合の悪い事は連合に責任の所在があると立ち振る舞った。
もともと水面下で伊達家と結ぶ事を目論んでいた筆頭は上杉家が最前線に立つことを嫌っていたが、
伊達家から敵対勢力と見なされ戦火を交え、結局は連合国から押し出される形で先陣を務めている。

そして、他の連合諸国が順調に成果を上げる中、上杉家のみが前線でくすぶり続けていた。
元来、他力本願な運営に戦時の統率力は無く、数だけが頼みの同家は伊達家に敗退を繰り返した。
この使えない筆頭を見限る形で一部の兵が離反を考えるようになり、
以前として続く「反武田時代の掃討戦」体制に辟易した世論を汲んで立ち上がったという訳だ。

もののふ連合に対する反響は大きく、現在では100人規模の動員が可能と目されている。
ただし、この動きは一時的なものであると本紙は予測している。

現在の「仙台城に篭る残党狩り」とも言うべき国勢において、戦略的な勝敗は既に決しており、
それに興ざめするという気持ちはわからなくない。
ただし、敵対する理由の根源が絶たれない限り、その手の主張は現状を理解していない者の発言である。

つまり、反武田の残党が、「俺にも勝てるようにしろ」という趣旨でいかなる勢力を立ち上げても、
政治的に安定している連合国の秩序に対抗する事はできない。
残党達の五稜郭たる伊達家が上杉家の兵法なき軍を追い返すのが精一杯である現状がそれを証明している。


この新組織のヒット要因は、ひとつは世論的にタイムリーであった事。これは伊達家実装時と全く同じである。
二つ目は特定の国に所属しないという事である。一見、これはどちらかと言えばデメリットでしかない。
しかし、よく考えてみれば仕え人の心理的負担は意外にも重いものなのだ。

その点、もののふは劣勢時の立ち振る舞いに自由度が大きく、この負担という観点がない分魅力的なのだ。

古今東西、勢力は戦に勝てば勢いが増し、負ければ減るものだ。誰もが勝ちたいし生き残りたい。
その裏には、負けた時の悪い雰囲気を味わいたくないという強い一因がある。

この世界は、強い者がわざと負ける事はできても、弱い者はどうやっても勝つことができない傾向がある。
弱者にならない為に勝つという事が生き残りであり、勝者の足元には常に敗者の首が転がる。弱肉強食だ。

この常理には国に所属している限り支配される為、
勝てば優越感が得られる一方で、負ければ劣等感と付き合う事になる。勝負事であればごく当然だ。
勝者はあるいは驕り、あるいは襟を正す。敗者はあるいはやる気を無くし、またあるいは逃散する。

もののふ連合は、この弱者の痛みをうまくカバーしている。
「劣勢側につくので負けて元々^^」「気の向いた時だけ参戦OK♪」「真のもののふ同士で団結しよう!」
これらのキャッチコピーは、劣勢時の雰囲気の悪さに向き合う義務はない事を表現し、
ある一定の士気さえあればまだ戦える人材を国の枠組みを越えて募るものである。

この組織は、雰囲気の悪い中でやられ役として消耗していくよりは、遥かに有意義であるかもしれない。
ただし、結局はリーダー個人の目的の為に参加者が利用される構図にしかなり得ないのだ。
少なくとも今の方針ではこの組織に未来があるとは言いがたいものがあるが、
「現状打破」という大義名分では現在の秩序に対抗しうるには至らないと思われる。

現在の連合国は良識と努力によって支えられており、その基盤となっている勢力は栄えている。
自らの無知と無策が生んだ状況を嘆くのは構わないが、そういった勢力が衰えていくのは至極当然な事である。

歴史は繰り返すと言われるが、伊達家実装がそうであったように、愚かな不幸が巡らない事を祈るばかりだ。