文化

2005年08月07日

七夕

 七夕は7月7日だが、北海道では月遅れの8月7日が七夕だ。というわけで七夕は今日なので実家の風習を紹介。札幌全体なのか、北海道全体なのかは知らないが、少なくとも西岡ではやっていた。子ども(小学生くらい)が夕方から夜にかけて数人で地元の家々を回り、チャイムを押して歌を歌う。「ろうそくだーせー、だーせよー。だーさーないとひっかくぞ。おーまーけーにかっちゃくぞ♪」そうすると人が出てきてお菓子をくれる。何軒も回っていくと持っていた袋がいっぱいになる。たまに本当にろうそくをくれたり、「そんなの知らない」という家や電気がついているのに出てこない家があると白ける。でもまぁ小学生にとってはお祭りみたいものでとても楽しかった思い出がある。

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2005年07月24日

アメリカでは水をかける

 アメリカのユニバーサルスタジオに行ってウォーターショーを見たとき、座席が色分けされていた。前列の濃い色の席は水がおもいっきりかかる席、後ろになる従い色が薄くなり、かかる水の量も少なくなる。僕らは後ろのほうのちょっとかかる程度の席に座った。アメリカのこういうショーには幕間の芸人がいる。道化がホースを持っていて、前席の人に思いきりかけていた。一番前に日本人の家族がビデオカメラを持って座っていたのだが、道化はそのビデオカメラに向かって水をじゃんじゃんかけた。その家族はびちょびちょになって迷惑げにその席から退散したけど、向こうからしたらそこの席に座っているんだから覚悟はできているんだろう?って感じなんだよね。



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2005年07月16日

 ヨーロッパのある教会では飛び降り自殺がよく起こったそうだ。でも自殺防止柵はつけない。その理由を牧師が語っていた。「柵をつけると景観を損ね、見に来られる方ががっかりします。そんなことをするよりも、キリスト教を広めて自殺者を出さないことが私達の務めです」なるほど。


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2005年05月31日

フランスレストラン

 フランスのオランジェという小さな街に行ったときの話。宿屋のおじさんに紹介されたレストランに行った。小さなレストランで夫婦でやっていた。僕の後にすぐに別のお客さんが入ってきた。その人はなじみらしく、主人と談笑していた。僕の向かいに座りワインを飲むときに目が合ったのでちょっとグラスをあげてくれた。それがとてもやさしいしぐさだった。僕はサーモンのスパゲティーを食べていたら、マダムが厨房からやってきて、おいしい?と聞いてきた。田舎のいいレストランという感じだった。自然と主人と話をはじめて、自分が日本人だとか、あそこのホテルに泊まっているだとかの話になった。客が来るたびに主人は名前を呼んで最近どうだと話をはじめてとても楽しかった。最後に、写真を撮らせてくれと頼んだら、喜んでと言ってポーズまでつけちゃって、とても気持ちがよかった。ああいう雰囲気はいいな。


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2005年05月23日

貧困街

 4年前、フランスの小さな街イエールに1ヶ月間ほどホームステイした。そこは南フランスにあり、小さくて静かできれいな街だった。そんな街にも貧困街があった。ある日間違って入り込んでしまった。汚い犬が吠えて数匹やってきたと思うと、10軒くらいのあばら屋から住民がみんな俺のことを見ていた。一人の若者がスクーターに乗って俺の方へやってきた。「何の用だ?」と聞かれた。フランス語は片言できたけど、怖かったので何もわからないふりをして日本語で、「道を歩いていたら間違って来たんだ。用はないよ」と毅然と言った。そしたら、「ラ・ガール?(駅)」と聞いてきたので、「ウィ」と言った。「ここを右だ」と言われたので「メルシィ」と行ってそこを去った。いやぁ、ドキドキしたー。


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2005年05月13日

フランス電車

 JR福知山線の列車事故に伴って朝日新聞の読者の声には海外では数分の遅れは遅れのうちに入らないという投書が相次いで掲載されている。それでフランスで電車が遅れたときのことを思い出した。
 連休をニームで過ごした帰り、電車が40分ほど遅れた。その間そのこと伝える放送は1度しか行われなかった。マルセイユで乗り継ぎの特急券を予約していたが、その便に間に合わなかったので次の便に換えてもらうために係りの窓口に行った。すると次の電車は1時間以上もない。「こんなに待たなきゃならないのか!?他のはないのか?」と文句を言ったら、うるさいなぁ、俺のせいじゃねぇよという顔をされて「ないもんはない。次の人!」と追い払われた。日本なら申し訳ございませんの一言があるのがあたりまえだがフランスでは通用しない。むしろ、確かに電車が遅れたのは彼のせいじゃないからな。


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2005年04月29日

陰陽

 英語の「Yes」「No」は日本語の「はい」「いいえ」には対応しないと思う。英語の感覚では肯定か否定かの二元的なものであるが、日本語は肯定から否定の間にたくさんの選択肢があって、「はい」「いいえ」はそのうちの一つに過ぎないのではないか。西洋的な考えでは「良い」か「悪い」に分けられるが、東洋的な見方だと必ず反対の側面も含んでいる。陰と陽というのかな、善悪は表裏一体である。例えば薬と言うのは必ず副作用がある。それを陽と見なすか、陰を含んだ陽と見なすか。その違いがあるように思う。


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2005年04月03日

それぞれの文化

 2週間ほど前から3人で暮らしている。引っ越す前なので1DKに3人だ。かなり狭いし、プライベートもない。小学校からの友達で、四六時中一緒にいた友達だけど一緒に住んでみるといろいろと見えてくることがある。一言で言うと、文化が違う。外国に行けば文化の違いが味わえるのはあたりまえだが、こうやって気心しれた仲でもそれぞれの生活文化は全く違う。それは正直ストレスにもなるが、驚きや発見もあって面白い。明日は引越し、正式に3人暮らしが始まったらもっと世界が変わってくるんだろう。

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2005年02月01日

外から見た日本

 フランスでホームステイしていたとき、その家の親戚が10人ほど集まって晩餐会を開いたことがあった。せっかくだからと日本人で知っている人を聞いたところ、誰も知らなかった。唯一「イトウ」と言っていたのだが、「最初の」と言っていたのでたぶん伊東博文のことだと思う。小泉純一郎などは聞いたこともないそうだ。「マオ」とも言っていたな。これは毛沢東のことである。どうも東アジアのことは一色単にされているようだ。だいたい中国のことを「チン」と呼んでいた。100年前に滅んでいるというのに。
 日本のイメージをいろいろ聞いてみたところ、「ビルが立ち並んでいる」「若者がクラブで踊っている」などだった。そして定番ながら「サムライ」「ハラキリ」があがった。さすがにもう終わったことは知っていたが、サムライは130年前(明治維新)、ハラキリは90年前(乃木希典 ※三島幸雄は無視)に終わったと告げると、そんな昔かと驚いていた。日本は世界での位置はまだまだ低いのかと思ったのだが、そんな気持ちを察した彼らは日本の誇るべきは科学技術だと言った。俺の住んでいたところは人口1.4万人の小さな町だったが、そんな町にもYAMAHAはあり、車はTOYOTAとかが走っている。「日本は世界一の先端技術を持つ国だ。それは大いに誇りを持つべきことだ。」これが俺の聞いた日本に対する生の声だ。


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2004年11月16日

漫才

 今漫才ブームといわれている。毎日ゴールデンタイムに漫才師たちがでているが、俺も漫才は大好きで、エンタの神様と爆笑オンエアバトルはかかさず見ている。最近はさらに個性を前面に出したのが登場してきているね。ヒロシかアンガとか。「はいどーもー。いや最近ね・・・」と始まる漫才は古臭くさえ思えてきた。しかし、彼らは面白いが特に何も残らない。その昔、一世を風靡していたビート武はまだ毒舌や世の中への皮肉が入っていたそうだ。しかし、さんまが出てきてから変わったという。視聴者は何も痛手も重さも感じることなく、ただ笑いを楽しむようになって、その代わり見終わっても、あー面白かったで終わって何も残らない。今のブームも時代が求めたものなんだろう。だけど、それでも生活に笑いは必要だと思う。


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