2005年11月08日

ピアノ四重奏曲第一番(ブラームス/シェーンベルク編)



ラトル指揮ベルリンフィルのピアノ四重奏曲第一番作品25(ブラームス/シェーンベルク編)のDVDが本日(!)発売されました。

正確には「ヘロド・アティクス音楽堂のラトル」というタイトルのDVDです。

私はリベルテマンドリンオーケストラという所の演奏会でこの曲をつい3日前に演奏したばかり。

ラトル/ベルリンフィルの最新DVDがこの曲だというのは、なんだか奇遇でウレシイものです。

なおこのDVDにはピアノ協奏曲第一番も併録されています(ピアノはバレンボイム)。

演奏は何と野外!(もっとも、ベルリンフィルはベルリン郊外ヴァルトビューネって所で毎年野外コンサート開いてますけどね)

ギリシャの古代神殿(コロッセオみたいな所)で演奏し、お客さんは古代の人たちが芸能を楽しんだであろう客席と同じ、石でできたイスに座って聴いているのです。

もっとも中にはアクビしていたり、隣の客としゃべくってたり、足を組みなおしてたり、そんな姿が大きく映像の中に入ってくるので、ちょっと笑えます。
だいたいギリシャ人とクラシック音楽って個人的にはあまり結びつかないんですね。
「その男ソルバ」とかアンゲロプロス監督の映画に出てくるECM系の静謐な音楽とか、そういうくらいしか思いつかない。

でもなかなか演奏は盛況で(この演奏内容なら当たり前とも言えるが)、演奏後はヤンヤヤンヤの喝采を浴びせていました。

ベルリンフィルの演奏は映像で観ると、非常に楽しい。

フルートのパユ、ホルンのバボラック、チェロのファウストなど、各パートにキラ星の如く超一流奏者がひしめいている。
そういった人たちにソロが廻ると、カメラもきちんとアップしてくれるのですが、そもそもそうするまでもなく、画面が引いてる状態でも彼らの音はすぐわかります。

そんな凄腕集団なのに、いやそれだからこそ、

「ベルリンフィルは全員がソリスティックに演奏してしまうので、アンサンブルになってない」

などと悪口を言う人も後を絶たないのですが、演奏の積極性・迫力という点に関しては、やはり間違いなく世界最高でしょう。

さて、この曲は自分がつい最近入れ込んだ曲だけに、1つ1つの解釈が手に取るようにわかります。

例えば、第4楽章の80小節目からの展開部、16分音符のエグイメロディはパユが吹いていましたが、入りの部分をものすごくゆっくり入っていました。

それから3楽章のAnimatoに入る直前にかなり激しいアッチェレをかけていて、ビックリしたりもしました。そしてAnimatoに入ってから、少しずつテンポを緩めていくのです。

それからチェロなんかだとソロでない部分でも1プルの2人しか弾いてない箇所があったり、映像っていうのは、そういう所も楽して良いです(ベルリンフィルだけに「2プル以降は全員落ちてた」なんてオチはまずあり得ないでしょう^^;)

残念なのは、やはり会場が野外ということで、おそらくPA使ってるし、そのためか音がオケにしてはダイレクトに響き過ぎるというか、硬く感じます。

そういった微視的なこと抜きにして全体の印象で言いますと、この演奏は、場面ごとの曲想によって上手く弾き分けていると思いました。

Prestoは明快で激しく、緩徐楽章はロマンティックに、というように、曲の性格をそのまま素直に表出させようという意思を感じました。

それからラトルの笑顔!
ホンキでこの演奏を楽しんでるなーという感じ。

そしてベルリンフィルの奏者たちが、眉間に青筋立てるほど必死で弾いてるのも感動します。
天下のベルリンフィルがここまでホンキモードになるんですから、なかなかすごいことです。

それから、DVDを観ていて思ったんですが、この曲はたしかにお客さんウケしますね。
4楽章後半の盛り上がりがハンパじゃないので、演奏会のトリには最適なんだっていうことを改めて感じました。

リベルテの演奏会で、団員の思惑とは裏腹に、一部「くるみ割り人形」より二部のこの曲の方が良かった!っていうお客さんが思いのほか多かったのも、このためでしょうか。


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2005年10月21日

プーランク:ピアノと管楽器のための六重奏曲

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レ・ヴァン・フランセ

現代フランス最強のメンバーを集めた木管アンサンブルのドリームチーム。

[フルート]エマニュエル・パユ(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席)
[クラリネット]ポール・メイエ
[オーボエ]フランソワ・ルルー(バイエルン放送交響楽団首席)
[ホルン]ラドヴァン・ヴラトコヴィチ
[バソン/フレンチ・バスーン]ジルベール・オダン(パリ・オペラ座管弦楽団首席)
[ピアノ]エリック・ル・サージュ

演奏会を聴いてきて、このCDを購入し、サインをもらってきました。

そのサイン入りのジャケットが↑です。

で、この演奏会のメインプログラムでもあったフランス6人組の一人プーランクの六重奏曲。

珍妙洒脱な1楽章、エレガントな中にも後半でほのかな熱さが垣間見られる2楽章、軽快で楽しい3楽章。

プーランクの音楽は、いま書いたように「珍妙洒脱」っていう感じです。めちゃくちゃオシャレです。なんていうか、「プーランクが好き」とか言うだけで、その人は感受性豊かでオシャレ心があるって言ってるようなもので、そういう意味では便利でおいしい作曲家です(笑)。

でも、彼の宗教曲などに顕著な透明感のある気高い感じも、プーランクのもう1つの特筆と言えるでしょう。
この曲では前者が上回っていますが、単なるドタバタ音楽にならないのは、プーランクが元々持っている静かな宗教的精神に依るのではないでしょうか?

こういう曲は奏者1人1人の力量の総和≒アンサンブルの力みたいな感じになるヴィルツオーゾ的な室内楽(フランスモノに意外と多い)とは違って、とにかくお互いが聴きあって、音と音が溶け合って美しい和音となるようにメロディも伴奏もやんないといけない感じの曲。

この演奏のピッタリ感は、おそらくそれがもうこれ以上は望めないほど完璧に、その「お互い聴きあう」音楽ができているっていうことなのでしょうね、きっと。

もっとも、これはCDよりも生演奏の方が遥かに魅力的なので、音盤紹介を旨とするこのブログの趣旨には反しているかもしれませんが、できれば実演に接してみてください!!

まだ今回の日本公演は始まったばかり。
↓こんなに公演ありますんで、あなたの家のお近くでやる時には聴きに行ってみてはいかが?絶対損はしませんよ!

10月21日(金) 岐阜/サラマンカホール  058-277-1111
10月22日(土) 大阪/ザ・シンフォニーホール 06-6453-1010
10月23日(日) 豊田市コンサートホール  0565-35-8200
10月25日(火) 松本/ザ・ハーモニーホール 0263-47-2004
10月26日(水)東京オペラシティ 03-5353-9999
10月27日(木) 平塚市民センター    0463-32-2235
10月28日(金) 銀座/王子ホール 03-3567-9990
10月29日(土) 茨城/ノバホール 0298-52-5881
10月30日(日)東京オペラシティ 03-5353-9999

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2005年10月16日

バルトーク:弦楽四重奏曲全集(ヴェーグ四重奏団)

3d2112a1.jpg最近、半分眠ってる状態でブログを書いてるもんで、文章が支離滅裂だったりします。ごめんなさい。気をつけます。

それから、自分のほかの2つのブログでは、「ですます体」なので、やはりこちらもこれからはそうします。ご了承ください。

さて、N響アワーの司会進行をしている作曲家・池辺晋一郎氏はどーしようもないほどひどい駄洒落を連発しますが、(誰でも思いつくんじゃないの?と思いつつも)これは傑作だ!って思ったものが1つだけあります。

「弦楽四重奏団は始終相談している」

いやー、これは面白いとか何とかってより、本当にそうだよなーってことです。
(ワタクシは五重奏団をやっているもので)

というわけで今日は弦楽四重奏のCDからスグレモノを。

バルトーク:弦楽四重奏曲全集(1〜6番)ヴェーグ四重奏団

バルトークの弦楽四重奏については、「一日一善本編」で演奏会レビューCD紹介をしてきました。

一部再掲すると、

--------------------------ここから--------------------------------

この曲集については4種類のCDを持っています。
スコアも欲しいのですが、ポケットでも輸入だと全部で最低1万円はするので、もうちっと資金力のある時に購入しますです・・・。

※Amazonのサイトは下記商品のほとんどが「在庫切れ」なのでリンクは付けません。
タワレコやHMVでは以前はしょっちゅう見かけたCDばかりなので、さほど入手困難とは思えません。おまけに割と安価のはず(特にケラーとアルバン・ベルクは2枚組1000円くらい!ではないかと)。

◎ケラーSQ(String Quartet)(仏ERATO)

鋭さ(現代性)と熱さ(ハンガリー性?)のバランスが一番良いと思う演奏。

○ジュリアードSQ 旧盤1963年(SONY)

鋭さ(現代性)が圧倒している演奏ですが、これはこれでスゴイ!圧倒されます。

△ジュリアードSQ 新盤1981年(SONY)

上記から20年後くらいの演奏。いくぶんどころか、相当露骨に音がヤワになっている。しかし本来、こちらの方がバランスは良いような気も。でも、それならケラーの方が自分は好き。

△アルバン・ベルクSQ(EMI)

彼らはどんな音楽を演奏しても、その作曲家に歩み寄ることがなく、自分たちの音楽にしてしまう。名を冠するだけあって、ベルクとか、あとモーツァルト・シューベルトなんかだと結構それなりに美しい音楽になってるけど、基本的にカドが取れた感じの演奏をする彼らの音は、元々バルトーク向きではないと(個人的には)思います。

※他にはライブでハーゲンSQなどの演奏を聴いたことがあります(ハーゲンは4番)。これはジュリアードSQに音のふくよかさを加えつつも、より高速でスタイリッシュな演奏になっていると思いました。

バルトークの音楽はどれも、格好いいですね。

オケ曲・ピアノ曲もそうですが自分はここ3年くらい、バルトークと言えば、「弦楽四重奏曲」6つと、「無伴奏ヴァイオリンソナタ」と「ヴァイオリン協奏曲第2番」、ほとんどそれしか聴いておりません。まーあとは「弦チェレ」とか「青ひげ公」も好きですけど。

弦楽四重奏曲はどれも良いのですが、一番とっつきやすいのは、3・4番でしょうか。完成度が高いのは、おそらく4番ですかね?
ソリッドな感じの音は、ジャズとかロック好きの人にもオススメできると思います。

超複雑で激しいリズム、無調に近いものからハンガリーの民俗音楽的なフレーズまで聴こえる和声感覚、複雑に絡み合う対位法的かけ合い。

そんなバルトークはハンガリー人。
ハンガリーってのはヨーロッパの飛び地と言われる所で、アジア系マジャール人の国です(と言っても現在では混血が進んで、ヨーロッパ系の顔つきになっていますが)。

バルトークはハンガリーやルーマニアなどの民俗音楽を収集したことは、割とよく知られてますよね。
しかし、彼はそれをそのまま曲にするようなことをせず、リズムだとか和声だとかの構成要素の1つとして取り扱ったに過ぎないんですね。あくまで先鋭的な感覚を持った国際的な作曲家だったのです。

彼の音楽は、シンメトリーな構成だの黄金分割だの、そういう知的分析を加えることで、さらにすさまじい完成度を持った曲であることを知ることができるようです。
とりあえず、勉強するしかないですね。だって、今の自分にゃ、まだそこまでわからないもの・・・。

-----------------------------ここまで---------------------------------

ってところです。

そしてずっと探していて最近ようやくゲットしたのが、このヴェーグ四重奏団のCD。

1stヴァイオリンのシャンドール・ヴェーグ氏はザルツブルグのオケで指揮者をやり、多くの素晴らしいCDを出してきた人でもあります。ハンガリー人です。

ワタクシはヴェーグ氏のちょっとしたファンでもあり、彼が指揮をしたCDはとにかく集められるだけ集めている、そんな感じです。
指揮者ヴェーグとしてはシューベルト(特に「グレート」)やモーツァルト(特に「ジュピター」)、そしてバルトーク(特に「弦チェレ」)の立体的に構築された感のあるアンサンブルのできばえと言ったらもう!サイコーです。

そして四重奏団。
この渋いけれども見事な表現力を持った四重奏団による「お国の音楽」バルトークも、そりゃーもう素晴らしいのヒトコト。
なんていうんでしょうかね。音が有機的。こういう風に聴こえるには、必ずや、細部を徹底的に詰めているはず。
そしてヴェーグ氏の祖国ハンガリーの大作曲家バルトークだから、リズムの乗せ方・旋律の歌い方についても、ムリなくできている感じがあります。

そして、他のCDでは感じられない旋律線を感じることができます。
これはひとえにリズム処理の仕方が全然違うっていうところに理由がありそう。

これはバルトークの弦楽四重奏のCDでは最大の名盤かもしれませんよ!!



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2005年10月14日

J.S.Bach:6声のリチェルカーレ(ウェーベルン編)



ブラームス:ピアノ四重奏曲第一番作品25ほか
ギーレン指揮南西ドイツ放送交響楽団

【曲目】
1.ピアノ四重奏曲第1番ト短調op.25(オーケストラ版)●バッハ~ウェーベルン編:
2.「音楽の捧げ物」BWV1079~6声のリチェルカーレ(同)●J.シュトラウス2世~シェーンベルク編:
3.皇帝円舞曲op.437(7人の器楽奏者のための)




リチェルカーレ~バッハ、ヴェーベルン作品集
ポッペン指揮ミュンヘン室内オーケストラ

【曲目】
1.リチェルカーレ(オーケストラ版)(バッハ/ヴェーベルン編)
2.弦楽四重奏曲(室内オーケストラ版)(ヴェーベルン/ポッペン編)
3.カンタータ第4番「キリストは死の絆につかせたまえり」BWV4(バッハ)
4.弦楽四重奏のための5つの楽章op.5(弦楽合奏版)(ヴェーベルン)
5.リチェルカーレ(オーケストラ版)(バッハ/ヴェーベルン編)


バッハの畢竟の名作「音楽の捧げ物」という曲集は、自身フルート愛好家であったフリードリヒ大王が、バッハに対して即興で与えた1つの主題を、バッハがそれを元に作曲したもので編んだ曲集。
トリオソナタの他には、美しい6声のリチェルカーレがこの曲集の中では有名。この6声のリチェルカーレはウェーベルンが見事な編曲を残していることでも有名なのだ。フリードリヒ大王の「6声を2手で弾けるようなフーガを作曲してみせよ」という注文にバッハが見事に答えて作られた名曲である。

それを編曲したウェーベルン。
通常であればフーガというのは、各声部ごとに同一の楽器を奏することで統一感を確保したりするものだが、ここでウェーベルンはそれぞれの声部をさらに細かい動機に分けている。

つまり1本の旋律を弾くに当たっても、その音ごとの音色により、楽器の指定を細かくいじっているのである。

リチェルカーレ
ricecare、riceacata[伊]
16、17世紀の器楽曲の名称。さまざまな楽曲がこの名でよばれたが、とくにフーガの前段階ともいえる模倣的書法のものが重要。





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2005年10月12日

ショパン:12の練習曲 作品25(ポリーニ)



ショパンの《練習曲集》は特定のピアノ技巧の練習用に書かれた作品ですが、それは単に技術的訓練という目的にとどまらず特有の美の世界を持っており、各々独立した価値ある音楽作品となっています。ポリーニの演奏は、難度の高いパッセージも無理なく処理され、しかも音の粒ひとつひとつが意のままにコントロールされたもの。彼の凄まじいまでのテクニックと深い音楽性が十二分に発揮された名盤です。

この「練習曲集」の一曲目、超高速アルペジオ、これのチェロ用の譜面が我が家にあるのだが、さきほどマンドロンチェロで試しに弾いてみたところ・・・・全くヌルヌルのテンポでしか弾けず、曲にならない(涙)
ポリーニ様の天才ぶりをわが身をもって思い知った次第。

まあこれは言わずと知れた超名盤。ポリーニの数あるCDの中でもベスト3に入るだろう。
(なーんて、ポリーニのCDの2〜3割も聴いてるかビミョーな人間が「ベスト3」とか発言するのは、非常におこがましい)

技巧というものに対して、「完璧」という言葉はそもそもあまり相応しいものではないと私は思っているが、ただこのアルバムについて説明するには「完璧」という言葉をあえて連呼せずにはおけない。

体操の10点満点の演技(奇しくも今日の新聞で、体操競技から「10点満点」評価がなくなるという記事があったが)とかに近い感じ。

それでは、このCDは巷に言われる「技巧だけの音楽」なのか?

これについて自分の答えはノー。

ポリーニは他のCDでも言えることだけれど、全然「機械的」だなんて自分は思わない。
むしろ他の多くのピアニストがロマン派の手垢にまみれた演奏をしすぎなのでは?とさえ思う。
ポリーニは、音楽をポストモダンの現代から見ている。この姿勢はベートーヴェンを演奏する時も、ショパンやシューマンでも、ストラヴィンスキーやノーノを演奏する時も変わらない。
なので、音楽にまつわる物語性などが一切払拭された状態で極上の音響美を構築することにこうまで徹することができるんだろうと思う。

もしかしたら、ロマン派音楽を演奏する上で、こうした考え方は間違っているのかもしれない。
なぜ?って、19世紀にショパンなどは、こんな演奏者の考え方を想定して曲を書いているとは思えないから。

でも、バロックにせよロマン派音楽にせよ、現代人が演奏する(=再構成する)からには、当時のことを研究し、当時求められた演奏スタイルを模倣するやり方(最近の古楽の主流)か、あるいはポストモダンに生きる現代人の目で作品を再構成することに徹してしまうか、その二者択一しかないのだ。

いずれにしてもこのポリーニ弾くショパンのエチュードは定番中の定番だけあって、一音一音の粒立ち、音楽の流麗な流れ方、どれも本当に文字通り「完璧」なのであった。

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これまで20世紀音楽、それも20世紀前半にほぼ特化してきたクセに、いきなりショパンかよ!って、自分でも突っ込みたい心境だったりする次第だが・・・(笑)

というのも、ここは基本的にクラシックというジャンルに縛るつもりではあるけれど、時代などは特に限定しないつもりなのだ。

ただ、そうは言っても、素晴らしい音楽がいっぱいあるにも関わらず、あまり陽の目を見ない20世紀前半の音楽については、ちょっと積極的にここで紹介していこうと思う。

なぜ、20世紀前半の音楽が陽の目を見ないのか?

答えは案外(?)単純明快。

(1)ナチスとソ連と第一次・第二次両大戦のせい(良い音楽・作曲家・演奏家をたくさん抑圧し、葬った)
(2)シェーンベルク及びその一味のせい

(1)については、先ごろから挙げている「頽廃音楽」などがその典型例だが、他にもソ連の中で作風に縛りをかけられたショスタコーヴィチやプロコフィエフ(ショスタコはだからこそ名曲を産んだような気もしなくもないが)など、枚挙に暇がない。逆にプフィッツナーなど「ナチス側」と目された作曲家は戦後、旗色が悪かったり(近年、ドイツ語圏でプフィッツナーはかなり頻繁に演奏されているようであるけど)。
というよりは、20世紀の特に前半に生きた作曲家はほぼ全員が両大戦に何かしら影響を受けているのである。

(2)については、
マーラー→シェーンベルク・ベルク・ウェーベルン→ブーレーズ・シュトックハウゼン・ノーノ
この直前運動「のみ」がロマン派から現代音楽への流れで、それ以外の全ての作曲家はその亜流であるという、20世紀後半の一時期にホンキで考えられていた「妄想」の後遺症ということである。

実際は、「ポスト・マーラー」というのは多士済々。
「マーラー→シェーンベルク直線運動」的な考えだと、シェーンベルクと同時に現代音楽の扉を開いたとされるドビュッシーやストラヴィンスキーはもちろんのこと、ブゾーニ・ツェムリンスキー・シュレーカー・バルトーク・ヤナーチェク・シマノフスキ・スクリャービン・レーガー・ショスタコーヴィチといった人たちの、当時において新奇だった音楽性を説明できなくなる。

シェーンベルクは調性を解体し、それをウェーベルンが仕上げたとされるが、音楽を現代化させた要素としては、他にも
ドビュッシーは音楽を分析不可能な、その歩み自体のなかに想像力のさまざまな驚きを内包するもの(ブーレーズず曰く)にし、
ストラヴィンスキーはリズムを崩壊させ、
ブゾーニやベルクは19世紀的イタリアオペラから20世紀オペラへの道を開き、
スクリャービンは「音色」の点で革命を起こし、
シマノフスキはマーラーの音楽を細分化する仕事を受け継いだ上で、音色を多様化させることに成功し、
レーガーは古い形式に帰りつつ和声感覚は新しい「新古典主義音楽」への道を開き、
ヤナーチェクは特定の民俗の方言を音楽に載せることに成功し、

といった具合だ。

こういった人たちの音楽は、ドビュッシーやストラヴィンスキーなど一部の人を除いて、今なお不当な扱いを受けていると言えるだろう。

最近、シュレーカーやツェムリンスキーといった作曲家は、ごく一部の人たちの中ではささやかなブームになっているけれど、日本のクラシックファンの大部分の認識であろう

「バッハ→ウィーン古典派→シューマン・ブラームス・ブルックナー・マーラー(及びシューベルト・ショパン・チャイコ・ヴェルディ・プッチーニなどのロマン派作曲家)→ゲンダイオンガクの森(ラヴェル・ドビュッシー・ストラヴィンスキーだけはOKよ)」=クラシック全部

みたいな考え方では、拾えない素晴らしいものがいっぱいあって、もったいない!

この図式だと上記の人たち以外にも、例えば

ラモーとか
ボッケリーニとか
プーランクとか
クルト・ヴァイルとか
ヴィラ・ロボスとか

漏れてきます。
(リストとかサン=サーンスとかは、ロマン派の例示から漏れただけで事実上入っているので問題なし)

というわけで、自分はその隙間を特に重点的に聴いて、ここで紹介してみたい!というわけ。



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2005年10月08日

ハリウッドのシェーンベルク



このCDから今回は「弦楽オーケストラのための組曲ト長調」を取り上げてみたい。
本編で取り上げたヤナーチェクは近日中に詳細なレビューをアップするので、請うご期待!)

アメリカ亡命時代,シェーンベルクは生きるために{前衛}の旗を降ろし,調性的なわかりやすい作品を残した。それは彼にとって苦痛でもあり快楽でもあったわけだ。革新とは,まず自分自身の内なる戦いから始まる。そんなことを考えさせる1枚。

構成は、

1Ouverture
2Adagio
3Menuet
4Gavotte
5Gigue

完全にバロックの形式である。
つまり、これはシェーンベルクらしからぬ「新古典主義音楽」なのだ。

実に親しみやすい。

最初、これは本当にシェーンベルクの音楽か??

と耳を疑った。

まるで「ドヴォ弦」(ドヴォルザーク作曲の弦楽セレナーデ)みたいじゃん・・・・。

こんな拍拍した音楽はシェーンベルク本来のものではありません!!

ただ、上記の説明のように、本当に「生きるために」旗を降ろしたのか??
疑問ですね。

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2005年10月07日

ツェムリンスキー:交響詩「人魚姫」(1903)



コンロン指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

このツェムリンスキーもナチスから「頽廃音楽」のレッテルを貼られた一人。

交響詩「人魚姫」は1903年に作曲された3楽章から成る交響曲ばりの長さを持つ曲だが、長らくずっと忘れられていて1984年(すごい最近!)になって復活初演された。
1905年の初演以来80年間演奏されることもなかったが、この再演以来、各地のオーケストラの重要な作品としての位置を占めるようになった。
そもそもツェムリンスキー自体が、後になって見直されてきた作曲家なわけだが。

もっとも彼のこれまでの不当な評価は、必ずしもナチスのレッテル貼りだけのせいとは言えないだろう。

ツェムリンスキーはマーラーの妻アルマの師匠にしてマーラーと彼女を奪い合った恋敵(つまり、ツェムリンスキーの負け)、そして「あの」シェーンベルクの唯一の作曲の師匠である。

音楽史的にもツェムリンスキーはこの2人の巨人の間に位置する。
彼らの「つなぎ」として位置づけとされることが多い。
つまり、後期ロマン派から現代音楽という世紀末転換期の狭間に生きた人である。
阪神タイガースで言えば、藤川と久保田をつなぐウィリアムスのごとく?あまり目立たない存在なのである。
たしかにそういう位置づけは彼にとって不幸ではあったかもしれないが、ただ、例えば、大物に挟まれているからと言って、例えばハイドンとベートーヴェンの間に位置するモーツァルトの存在が霞むかと言えばそんなことは全くないように、ツェムリンスキーの派手さのない通好みチックな音楽性にも、彼がメジャーになりきれない原因はあるのだと思う。

ツェムリンスキーの音楽はそれはもうとろけてしまうくらいに美しい。
そしてオーケストレーションは豪華絢爛であるにも関わらず、壊れそうな危うさを持ち合わせていて、たいそう魅力的である。

なぜなら、彼の音楽は後期ロマン派の末期も末期、ロマン派音楽が断末魔を上げているものなのだから。彼のオーケストレーションの性質は、マーラーやRシュトラウスに近いものがあるが、その両者のいずれに比べても「色気」という点においては勝っているように思う。なんというか、ツェムリンスキーの音楽はこの両者に比べて、繊細な感じがする。言ってみればドビュッシーやラヴェルに通じるような、そんな壊れやすい感じの音楽なのだ。

はっきり言ってこの曲には技法上、斬新な点は何もないと言う。
しかし、この曲はなんとかかんとか生き残った。メジャー曲とは言わないが、近現代音楽をある程度積極的に聴こうとしている人で、この曲を知らないのは今やモグリと言ってもいいくらいの知名度には達していると思う。

未聴の人は、いますぐにでも聴くべき!
ツェムリンスキー、かなり病み付きになりまっせ!!

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ここでクラシックにまつわる情報をば。

情報その1

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭
「熱狂の日」フレンズ募集中!


だそうですよ。

大好評の今年のベートーヴェンに続いて、来年は生誕250年のモーツァルトです!

今年は昨年以上に早くソールドアウトしてしまいそうです。

自分は早速フレンズ登録してきましたー。
これで12月の先行予約に参加できます!

情報その2

Ticket Classicっていう新しい雑誌、ご存知ですか?

CD屋なんかで無料配布されていますが、これ、スゴイです!
電話帳みたいな紙質ではありますが、結構ぶ厚く、情報量が多い!

おまけに演奏会チケットの専用コールナンバーで手数料・送料無料でチケット手配可能!

これまで重宝していた無料情報誌「ぶらあぼ」との最大の違いは「コラムやインタビューなど、読ませてくれる雑誌である」ということ。
「ぶらあぼ」もとにかく限られた紙面に情報を精一杯載せていて重宝しますがね。

マイスキーやらなんやらのインタビューに、(ワタクシも大変お世話になっている)國土潤一氏、それから宇野功芳氏、鈴木淳史氏、黒田恭一氏を始めとする豪華執筆陣!!

あっという間になくなりそうなので、まだ入手してないクラシック好きの貴方、お早めにCD屋を覗いてみましょう!!

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2005年10月06日

これが頽廃音楽だ



これが頽廃音楽だ~ヒトラーによって、禁じられ、失われた音楽

頽廃音楽シリーズのサンプラー・アルバム。頽廃音楽とは,ナチス時代に偏見と差別と頑迷な保守性によって排除された音楽だ。いわく,ユダヤ人の作曲家,有色人種の音楽(ジャズなど)との融合,進取の気風などなど。時代を越えて独裁国家にはつきもの。

【曲目リスト】
1.歌劇「鳥」~プロローグ(ブラウンフェルス)
2.「2つの世界の狭間に」~戦時-次なる世界-(コルンゴルト)
3.歌劇「アトランティスの皇帝」~第3場(ウルマン)
4.同「ヘリアーネの奇蹟」~明日は死ぬ定めになっている(コルンゴルト)
5.同「炎」~前奏曲(シュールホフ)
6.ロンドーより(ゴルトシュミット)
7.歌劇「烙印を押された人々」~仮面行列(シュレーカー)
8.ドイツ・シンフォニーop.50~第1楽章(アイスラー)
9.歌劇「堂々たるコキュ」~幕間劇(ゴルトシュミット)
10.弦楽四重奏曲第2番op.7「猿の山々から」~第3楽章“月と私”(ハース)
11.歌劇「ジョニーは演奏する」~第2部フィナーレ(クシェネク)

「頽廃音楽」のコンセプトは以下のとおり
 1)20世紀に於ける政治的破壊工作(特に第三帝国の)によって失われ、壊され、禁じられた重要な作品
 2)成熟する以前に摘み取られたが、20世紀音楽に多大な貢献をした作品
 3)作曲家達の、亡命者達の音楽に対する対外的な反応と、自分達の音楽言語を理解しない異国に対する内面での反応

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知る人ぞ知るレベルではあるけれど、ここ数年、ちょっとした「頽廃音楽ブーム」が起こっている。

なぜ21世紀になった今、20世紀前半に抑圧されていた音楽を発掘していくのか?

これはいくつか複合的な原因がありそうだ。

・無調=前衛=正統な音楽という、モダンバンザイ・人類の進歩バンザイな音楽史観が完全に崩れた
・いいかげん主要レパートリーばかりの演奏会・オペラ上演には多くの人が飽きてきている
・東西対立終了後10年以上が経ち、ようやくそれ以前の歴史を再整理する動きが欧州内にある

そんなわけで、いま、ザルツブルク音楽祭だろうがウィーン国立歌劇場だろうが、「頽廃音楽」は、いまやごくごくフツーに上演されているのである(これは日本では想像しにくいかもしれない)。

とは言っても、「頽廃音楽!!」なんていう風に身構えてこのCDを聴くと、

「あれ?なんか別にフツーじゃん!てか面白い曲多い!!」

てな感想になることだろう。

というのは考えてみれば当然で、ナチスが禁止し弾圧したこれらの音楽は、

「ユダヤ人の作曲家,有色人種の音楽(ジャズなど)との融合,進取の気風」

という極めてまっとうなものだったのだから。

言い代えれば、ナチスが禁じたこれらの音楽に共通する特質は、モダニズムだ。

より具体的には、

・新古典主義(ヒンデミットなど)
・無調音楽(シェーンベルク、ウェーベルンなど)
・国際主義(ストラヴィンスキーなど)
・ユダヤ人による音楽(メンデルスゾーン、マーラー、ウルマンなど)
・娯楽性・実験性の高い音楽(ワイル、コルンゴルト、クシェネクなど)

となる。

ナチスに禁じられた音楽はこのCDに入っている作曲家のほか、シェーンベルクやストラヴィンスキー、ヒンデミット、ヴェーベルンといったメジャー作曲家も含まれていたのだ。

このCDの中でも、特に一番印象深かったのは「ジョニーは演奏する」(クシェネク)。

これはオザワがウィーンのオペラ座で最近振った演目でもあるし、いまかなり注目のオペラ。
クルト・ワイルなどに通じる通俗性とジャズ的な要素が入った音楽で、非常に楽しい。これは躊躇なく誰に対してもオススメ。

このCDで頽廃音楽の全容をつかみ、あとはシリーズ化されている1枚1枚のCDに当たっていくのみですな(そこまで突き進むのかよ!って突っ込みを自分自身にしてしまいそうになるけれど)。



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2005年10月04日

レーガー:J.S.Bachの主題による変奏曲とフーガOp81(アムラン)

358e3f63.jpg

Reger: Variations and Fugue on a Theme of J. S. Bach in F#


レーガー:J.S.Bachの主題による変奏曲とフーガOp81 ほか
ピアノ独奏:マルク・アンドレ・アムラン
録音 1997&98年 英国ブリストル
HYPERION LONDON 1999年 輸入盤


HYPERION社存続の危機!ということで、援助目的も兼ねて第1回は同社お抱えのピアニスト、アムランのものからレーガーを。

HYPERION社は著作権絡みで敗訴してしまい、2億円の賠償を命じられたのだ。
大手メーカーならいざ知らず中小メーカーにとって、2億というのは大きい数字。
この良心的なCDをいっぱい出しているメーカーを救わねば!ってなわけである。
(バロックやピアニストに良いものが多い。アムランの他にはラヴェルやバッハで有名なアンジェラ・ヒューイットもここの専属)

HYPERION社存続危機関連サイト
ぶらあぼ
on Siteの「ニュース小耳大耳」の2005年3月の記事(古い!)

あと、こことかこことか。

バナーもいただいた(上記)


Max Reger(1873-1916)

変奏曲の歴史としては、ベートーヴェンやブラームスという名手がいて、彼らはバロック時代の音楽形式フーガなどを巧みに操り、先人から旋律を拝借して料理していた。

このレーガーについては、さらに変奏曲のスペシャリストというイメージが強い作曲家。
その中で知名度の高い曲と言えば、

管弦楽のための
「モーツァルトの主題のによる変奏曲とフーガ」
「ヒラーの主題による変奏曲とフーガ」

あたりが双璧かもしれない(自分は上記2曲でレーガーを知った)。

しかし、この「J.S.Bachの〜」もそれに次いで、レーガーとしては比較的メジャーな曲といえるのではないだろうか。

レーガーの変奏曲はしばしば「退屈」と言われる。
「変奏曲」という堅物な音楽が代表作だなんて・・・というわけだ。

しかし彼は音楽形式にしか興味がなかったわけでも何でもなく、単に彼の構築したい音響がこうした極度に凝縮されたポリフォニー音楽だったというだけのことだと思った。

彼の用いたバッハの音楽は例えばブゾーニの編曲物のように誇張したものではなく、骨組みだけを借用し、味付けをしていない。
そんなイメージなのだが、それでも彼の音楽には一種独特の透明感がある。
これはこれで大いなるレーガーらしさなのではないだろうか。

レーガーと変奏曲というテーマについては、こんなすごいサイトもあったので、見てみては?

ピアニストのアムランは超絶技巧の持ち主で知られる人。
ケレンミなく歯切れのいい演奏。

tateratti at 23:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)聴いたCD(器楽曲) | 聴いたCD(器楽曲)

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一日一善というブログをfc2のサービスでやっている者ですが、CDのレビューをこちらで独立して行うことにしました。

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tateratti at 22:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)