国語教育(ここでは典型的には日本で生まれ育ち日本語を第一言語とする児童・生徒の教育を指す)日本語教育(第二言語としての日本語教育)の連携、協働などのテーマは、私の知る限り、すでに20年ほど語られている。しかし、いまだにこの二つは、一部の必要に迫られている地域をのぞけば、ほとんど連携も協働もないように思われる。
80年代の後半ぐらいから日本語教育は急速に拡大し、90年代に入って移民や一時滞在者の増加により日本語を母語としない子どもの数も増えてきた。必要に迫られてか、教員養成系学部の中に日本語教育の専攻や科目を設置する大学も少しずつだが増えてきた。しかし、この二つの領域は依然としてかなり異なった文脈で語られ、研究者が形成するムラも異なり、お互いがお互いのことを知らない人が大半といってよい。第二言語としての日本語教育は、教える対象は日本語だが、むしろ第二言語教育・外国語教育という点で、英語教育との接点のほうが大きい。日本語を第二言語として学習する子どもがいる場合、多くはある程度のレベルに達するまで国語の時間には取り出し授業を受けさせるという対応をとることが多いが、このような児童生徒のうち約8割は加配教員のいない学校にいると言われており、そのようなところでは日本語教育を専門に学んだことのない教員が教えていることが多い。しかし、そのような対応で本当にいいのだろうか。実際には入試で国語を受験しなければ進学できない生徒もいる。可能な限り早く「取り出し」授業からメインストリームの教室へ戻してやるほうがいいことは多くの関係者から指摘されていることである。
このように同じ教室で日本語を母語とする子どもとそうでない子どもが一緒に勉強する状況が、小手先の対応ではままならなくなっている現状において、日本語を軸にして、第一言語教育と第二言語教育を同時に扱えるような理念と方法が求められているように思われる。では、どのような接点を見出していけばよいのであろうか。
この問いは、日本語を第一言語とする子どもと第二言語とする子どもの両方にとって、同じように必要で、同じように取り組める学習課題は何か、という問いに置き換えることができるであろう。それには、理念と方法の二つの側面から考えることができる。
理念の面では、言語コミュニケーション教育を通して、人間を育てる、あるいは言語や母文化を問わないコミュニケーションの基本を育てる、とったことが考えられる。しかし、それだけでは、子どもの持っている能力が異なる状況の中で、教師は現実に何をしたらいのかわからないケースが多いであろう。理念も大切ではあるが、やはり具体的な方法について考える必要がある。 (続く)
教育
Blue Sky and the Sea at Papamoa Beach, Bay of Plenty, New Zealand
私のいるVictoria University of Wellington の図書館に入っていた漫画をたまたま見つけて手に取ったらはまってしまって全8巻を読み通した。
生きる力を与えてくれる作品である。過疎に悩む沖縄の離島の話。小学校閉校の危機を逃れるため、ある島民が横浜に住む親戚に頼み、子どもを島に転校させる。大人の都合に振り回された子どもではあったが、主人公の光をはじめ、子どもたちは島の豊かな自然と人情に育まれ、伸び伸びと育っていく。島の子どもたちががメディアによって紹介されると、今度はさまざまな事情を抱えた子どもが島に転校してくるようになる。そして子どもたちは・・・
シンプルなストーリーながら生きることの意味を考えさせてくれる。前回の吉野せい「洟をたらした神」もそうだが、都会の便利さとはかけ離れたところで生きることの意味を考えさせられる。単純に自然や人情を礼賛することはできないが、少なくとも都市にないものがあることは間違いない。
少し話は飛ぶかもしれないが、留学のように日常の場所を離れて生活していつも感じることは生活がシンプルになることの愉快さである。逆に言えば日常には余計なものが入り込む余地が多い。その余計なものを必要なものと感じたり放っておけないものと感じたりする。しかしよく考えれば要らないものも多い。日常を離れると不要なものから離れることに”踏ん切り”がつく。そのように感じることが、余計なものにあふれた日常があるからこそ言えることなのかどうか、自分にはよくわからない。しかし、田舎の人が都会的なものに強烈な憧れをもつ場面をしばしば見かけるところからすると、私自身も含めて、みな自分にないものをほしがっているだけなのかもしれない。それでもいい、一度海に囲まれた離島に住んでみたい。
A stream in the North Island in New Zealand
田舎で育つ人間と都会で育つ人間にはどんな違いがあるのだろうと、子どものころから疑問だった。私は「大きな田舎」と呼ばれる名古屋で育ったが、一般的な分類からすると都会の物質文明の中で育った人間であろうと思う。都会には物も情報もあふれている。いまでこそテレビやインターネットの発達で情報格差は小さくなったが、それでも塾などの教育サービス産業や競争的環境の厚みはやはり都会と田舎ではかなり違うであろうと思う。それでも田舎から知的に優れた人間が出てくるのはなぜだろうというのが私の一つの疑問であった。岩手の農村の宮沢賢治、愛媛の森で育った大江健三郎などの知性はどのように出てきたものだろう。また私の高校生のときにも、受験産業とはおおよそかけ離れた田舎で育ったとても優秀なクラスメートがいた。
吉野せい「洟をたらした神」はそんな疑問を解消する話である。子どもは物質的に恵まれない環境の中でもさまざまな工夫を凝らし、たくましく育つ。何の刺激もない環境では育たないかもしれないが、自然の中に認知的発達を促すさまざまな色や形、音などの刺激がふんだんにあるのである。恵まれないからこそ、与えられたものの中で何とかして工夫しようという知恵が促される。その描写はまるで教育学者の参与観察によるエスノグラフィを読んでいるようである。
そういえば以前、テレビで、アフリカの田舎の子どもたちの描いた絵をフランスの有名ブランドが買い取ってスカーフのデザインに採用したという話を見た。テレビが映し出したその作品は、鮮烈な印象を残す美しい絵だった。どこかの美術学校で学んだわけではない。ただ、自然の色を映し出したその絵は、陳腐な表現だが、生命力にあふれたすばらしいものだった。子どもたちは自然との交流の中で色彩感覚や立体感覚、それを写し取る正確な眼を鍛えられたのであろう。
物質文明が発達する過程で失われるものは何か、自分の生い立ちやいまも都会で育ちつつある娘の行く末まで考えさせられる、そんな話である。
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