2006年07月17日

マズロー的山手線コラム

突発的にアホなことがしたくなります。
この週末に、自転車で山手線を一周してみました。
いやあ、ケツが痛い。

アホなことをしたかったのもひとつの理由ではありますが、
散歩兼東京リサーチ、8月の富士登山のためのトレーニングも目的だったのです。

いろんな景色を、自分の知らない景色を、見たくなった。
山手線の駅ひとつひとつに『文化』があった。
原宿と西日暮里が同じ東京に混在していることに感謝しよう。
ほんと、笑っちゃうくらい、ひと駅ごとに景色と人が変わる。
仕事でも、プライベートでも、マーケットリサーチなど直接関係しないけど、
何かを『知りたい』ということは、人間の第六の欲求だと思うのです。

アメリカの心理学者マズローは、人間の欲求を5段階に分類し、
人はある段階の欲求を満たしたら、次のステージの欲求へと進む、と説いた。

1.生理的欲求・・・生物としての本能。いわゆる食欲・性欲・睡眠欲等。
2.安全欲求・・・危険を避けて生き延びたい。
3.帰属・愛情欲求・・・愛されたい・受け入れられたい。
4.承認・自尊欲求・・・認められたい。
5.自己実現欲求・・・目標を達成したい。

1から順番に満たされていくんだってさ。

ここに登場しない『知識欲』は人によっては『自己実現の欲求』であったり、『承認・自尊の欲求』だったりするでしょう。
得た知識を活かして何かを達成するのは『自己実現の欲求』を満たすことになるでしょうし、
得た知識を他人に認めてもらうことは『承認・自尊の欲求』を満たすことになるでしょう。
しかし、ただ、純粋に『知りたい』という欲求も存在すると思うのです。
『好奇心』。これは、上記5段階からは外れたところの、第六の欲求、ではないでしょうか。

 

ちなみに、マズローは晩年、『コミュニティ(共同体)発展欲求』という『第六』の欲求を提唱しようとしたらしい。
しかしながら、当時の米ソ冷戦という社会情勢では共産主義者のレッテルを貼られるおそれもあったっため、
お蔵入りになったというエピソードもあります。
この案を加味すると、たっつん的には『知識欲』は第7の欲求になりますね。階層から外れたところの。

マズローの六段階を別の視点から見ると、
依存→独立→相互依存
のサイクルになっていると思います。

団体や社会に依存することを経て、独立心を持つ。
そして、独立した個々人が協力して『社会』を営む。
最も高次の欲求でありながら、人が社会を営むうえでの最も根本的な欲求。
奥が深い・・・。

SNSやBlogの隆盛を見ていると、この第六の欲求に至る過程を身近に、興味深く感じられます。


参考資料:ネット上のあちこち。
特に、『ちなみに』以降はこちらに拠るところ大です〜
http://www.jri.co.jp/consul/column/data/293-unagami.html

  

Posted by tatsulivedoor at 17:56Comments(2)TrackBack(0)

2005年12月14日

ヒューマンネットワーク

昔の友人のBlogを発見したり、
ネットの友人と、僕の恩師が繋がっていたり、
ネットの友人の奥様が、僕が在籍する会社の元社員(しかも、同じ課!)だったり、
今日、前に勤務していた会社の同僚から2年ぶりに電話がきて、久しぶりに集合することになったり・・・

最近、『縁』とか『繋がり』を意識させる出来事が多いような気がする。

ネットとリアル、双方の世界で、旧くて新しい世界がいっきに広がりそうな予感。
なんとなく、転換期にいるような気もする・・・

  
Posted by tatsulivedoor at 02:59Comments(0)TrackBack(0)

2005年11月13日

旧い男でしょうか・・・

『男は損するくらいが、カッコイイ』
2ちゃんねるで見つけた、いいコトバ。
検索で探してみたが見つからなかったので、名無しさんのオリジナルかな。
使わせてもらいました。

『ジェンダーフリー』が幅を利かせる世の中ですが、私は結構『男らしさ』にこだわるほうかもしれません。性別による扱いの差別はあっていけないことだと思いますが、各人の個性に基づいた扱いの区別はあってよいと思います。性別上の女性が『男らしい』性格であってもよいと思いますし、便宜上、ある性質を『男らしい』と名づけるのも、言葉の文化であり否定することはないのになあ、と思います。女はこうあるべき、と強制するのはナンセンスですが、男女は等しく同じ役割を担うべき、という考えを強制することにも違和感を感じます。各人が模索の上、自分の個性に応じた役割に落ち着くさ、というのが私の持論です。『男女』の括りではなく、『個々人』です。その『個人的考え』の中で、たっつんは男らしくあるべき、というのが、私の中の美学なのです。

『強いものが弱いものを守る』・・・男女がどうのこうのという次元は超えて、この考えは私の中で大きなバックボーンとなっているかもしれません。他人は他人、自分は自分、というように割り切った考えが中心の私ですが、こと『守る』ということに限っては、なぜか闘志がわいてくるのです。これを私は『男らしさ』と名づけているのです。厳密に言うと『強いもの』でなくても、守りたいものがあるならば全力で守ろうぜ・・・ということですが。私、そんなに強くないですし。

自分は損しても、守るべきものを守る。誰にも気付いてもらえなくても、影で、裏で、そっと守る。自己満足ですが、私の中の美学です。私に『弱い』と認定されてしまった方にとっては大きなお世話かもしれませんが、ま、私の『趣味』ですのでお付き合いの程よろしくお願いいたします。

  
Posted by tatsulivedoor at 03:30Comments(6)TrackBack(0)

2005年02月04日

連鎖

弱くて、常に支えを必要としてるように見える女性よりも、
強い女性といっしょにいたいと思う。

つよい、つよい、女のコは、
ほんとは、とても、
よわい、よわい女のコだということを、
僕は知っているから。

ども。たっつんです。

SNS(ソーシャルネットサービス)全盛ですな。
SNS・・・要するに、ネット上で友達を増やそう!というサービスなのだが、すでにBlog等でネット上の活動をしている人々にとっては、特に目新しいものではないだろう。何が違うのか?ネット上の無秩序な繋がりは、『オープン』な『匿名性』が前提となっているのに対し、SNSは、各個人の特色を前面に押し出し、現実社会での存在を意識し、そして、『閉じた』コミュニティである。

大きな違いのようで、実は、たいした違いは無いのではないかと思う。爆発的な勢いで増える参加者を見てると、いずれ、ネット上で、Blog等で、何らかの発言をしている人は、皆、SNSに参加している、ってことになるかもしれない。そうなれば、もはや、単に、『ネット上で自分を晒してる人』、になってしまう。SNS=ネットの世界、になったら、意味をなさなくなってしまう。
いずれ、コミュニティが大きくなりすぎ、匿名参加者が増加し、SNSは崩壊していく、というのが僕の予想。SNSサービスが『無意味』になるだけであって、ネット上の繋がりは活発になっていくとは思うが。

そんなわたくしは、まだ、大御所のSNSには参加していない。(『ゆびとま』に参加してるが、今考えると、あれもSNSの一種だったんだなぁ)ネット上の友人が多く参加していることもあり、いつでも参加できるさ〜、と、静観している。もちろん、いつか参加するだろうし、参加したいキモチは前向きだ。ただ、どんなカタチで登場しようかな〜、と、作戦を練っている段階なのだ。

このSNSの根底に流れている理論として、おもしろいものがある。
以下、代表的なサービスGREEのサイトから引用

グリー(Gree)は、アメリカ人社会心理学者のスタンリー・ミルグラムの「Six Degrees of Separations」理論を元に開発されており、その理論の名前からグリーと名づけられています。
「Six Degrees of Separations」とは、ミルグラムが1960年代後半に提唱した概念で、「世界中の全ての人間は、6つの知人の連鎖で繋がっている」という理論です。
グリーは、この「Six Degrees of Separations」をインターネットを通じて実現する実験プロジェクトで、その友達の連鎖を活用したサービスの開発研究を行っています。

「Six Degrees of Separations」では、世界中の全ての人は、「友達の友達の友達の友達の友達の友達」以内のどこかにいると、考えられています。
理論上では、自分に10人の友達がいるとして、それぞれがさらに10人の友達を持つとした時、これを6回繰り返すことで、自分には、間接的には1000万人の友達がいると考えられます。
さらに発展させ、自分に20人の知人がいるとして、それぞれがさらに20人の知人を持つとした時、これを6回繰り返すことで、自分には、間接的には12億8000万人の知人がいると考えられます。
この考え方を元に、世界中の人が全て6つの連鎖からつながっていると提唱したのが、この理論です。

ふむふむ。
なんんとなく、肌感覚では、わかっていた。
一般庶民の僕でも、知り合いの知り合いの知り合いで、イチローに繋がる。その先には、林家ぺーパー子。会社関係でも、知り合いの知り合いの知り合いで、財界の著名人は、ほぼ網羅できる。

現実世界でもこんな感じだから、ネットの世界は、かなり狭く感じる。

僕らは、ちっちゃな世界で生きてるんだなー  
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2005年01月16日

ランナー

先日、結婚を発表した某女優。

すごいと思うよ。
24時間走ったもんね。
以前、その舞台裏のドキュメンタリー番組を見たことがある。

その中でこんな感じの一言を、彼女がぽろっと。


『誰だよ!こんな道選んだの』


確か、こんなニュアンスのひとことだった。

彼女得意の、毒舌による冗談か、
疲労からの弱音か、
真意は私にはわからない。
危機的状況になると、つい、本音が出てしまうのが人間だが・・・

しかし、私から一言。

女優は、周囲がストーリーや環境をつくってくれるし、
時には、自分のワガママで与えられたものを変えてしまうことができる。
しかし、ランナーは、自らの力で、今、そこにある環境を受け入れて走るしかないんだよ。
  
Posted by tatsulivedoor at 18:30Comments(3)TrackBack(1)