福岡でコンパニオン遊びならお任せ!たっちゃんのブログ

福岡住み、旅行会社社長たっちゃんの、コンパニオン攻略マニュアル。絶賛ホームページも製作中!

2015年01月

俺は漫画が大好きだ。
男性向け、女性向け、ジャンルを問わずいろいろ読む。
ただし元来のあまのじゃくな性質が邪魔をして流行ど真ん中の作品にはなかなか手が伸びない。ワンピースや進撃の巨人などは避けてきている。

うちのコンパニオンにも素晴らしく漫画に詳しい子がいる。女性にも関わらずゴラクを読んでいたり、いちいち「そこ来たか?」という嗜好の持ち主だ。

偶然漫画の話になり、一番好きな漫画を聞かれて「うしおととら(藤田和日朗 著)」と同時に答えた時は飛び上がりそうになった。

彼女とは情報交換をしあったり、感想を熱く語り合っている。好みの漫画家が福岡でサイン会をやる時などは必ず一緒だ。

件の藤田和日朗、しりあがり寿、村枝賢一、吉田秋、山岸凉子、ジョージ秋山…
挙げればきりがない。
そして何という節操のなさだ。

我ながら、漫画についてなら一晩中喋っていられそうだと思う。


最近の漫画や小説は人気が出るとすぐ映像化するが、俺は原作の世界観を大事にしたいタイプだ。別物として考えている。
何が嫌かって、何となく想像していたキャラクターの声が、ずいぶん違っていてガッカリするからだ。

変なところが、ナイーブなのである。

昨日の夕食は焼肉はだった。焼肉は年に数回のペースで行っているが、俺は焼く係でほとんど食べない。ビールとキムチとビビンバがお決まりだ。

だが昨日行った店はなかなかの肉を出してくれる店で、福岡でも上位に位置するレベルじゃないだろうか。
もともと焼肉好きの長男の発案だった。その長男が「おいしいから食べてみてよ」とビビンバの上に載せてくれたのだ。
うまい。肉ってこんなに旨かったっけと思った。
2枚3枚と食べているうちに止まらなくなり、結局追加肉をオーダーしていた。

うちは食卓に牛肉が出ることが少なく、ほぼ鶏肉か豚肉だ。大晦日や誰かの誕生日にスキヤキを食べるくらいで、そもそも我が家で焼肉と言えばサムギョプサルだ。肉好き野菜嫌いの長男になんとか野菜を食べさせようとそうなった。
コンパニオン仲間でサムギョプサルパーティをしてももなかなか盛り上がっている。
まぁ要するに牛肉はほとんど食べないと言いたかった。

と言うのに、この牛肉の旨さと言ったらどうだ。
思いもよらず旨い肉が食えて幸せを感じた。なんでも肉の中でも牛肉だけが、脳内に幸せ物質を分泌させるのだそうだ。うん、そうかもしれない…

しかし明けた今日、俺は1日じゅう自分のニンニク臭さに悩まされた。
昼まで胸やけが取れず、改めて「俺も歳をとったなぁ」と痛感したのは言うまでもない。

旅行業を始めた理由の1つに自分が旅行が好きというのがある。
特に海外旅行が好きで、時間を見つけては南米あたりをバックパックで回っていた。何かと福岡に帰省しては、里帰りついでに韓国や台北に飛ぶこともあった。

きっかけは初めて自分でチケットを手配して向かったニューヨークへの旅だった。20歳だった。
当時の俺はガキもいいところで、英語の成績も良かったから何とかなると踏んでいた。
飛行機以外の手配はなし。行ってからどうするか考えることにした。パックツアーを売りたい営業マンには無謀だと言われたが気にも留めなかった。

実際に渡米し、面食らったのは人々の荒っぽさだ。
映画やドラマの中では皆物分かりがいいがあんなもんじゃない。小競り合いはしょっちゅうだ。リムジンバスの中でも、自分が座席に座ろうとしたのに割り込まれたとバトルが始まる。さすが主張の国アメリカ。「シャラップ!シャラップ!」って何度言うんだよ、おばさん…まぁ、日本が戦争負けた理由がよく分かるね。
あとは、とにかく人々がよく話しかけてくれた。
地下鉄で皆が俺を露骨に見る。聞いてみると、「君の靴が珍しいんだよ」とのこと。
当時流行っていた爪先が尖ったブーツ。ははぁ。確かに皆判を押したようにスニーカーだ。
日本ではこれくらい寒いとブーツを履く人が多いこと、俺からすればあなた方の変わった帽子のほうがよっぽど面白いと伝えた。(ニューヨークは北海道と同緯度。1月のこと)ピエロみたいなとんがり帽、モンスターズインクのサリーのぬいぐるみ帽など防寒に適しているとは思えないが、皆個性的な帽子を被っていた。
夜うっかりスラム街へ入り込み、3人のストリートキッズに銃を向けられたがタバコを出して切り抜けたりもした。向こうはタバコがべらぼうに高いのだ。しかも俺のタバコは大人気マルボロ。いつの間にか奴らのねぐらに呼ばれ、ロン・サカパをたらふく飲ませてもらった。

そんなこんなで多少のトラブルはあるものの聞けば皆親切にしてくれるし、日本の常識じゃ考えられないことが次々起こるこの街に、俺はすっかり魅せられたのだ。
非日常のドキドキ感とワクワク感。そして癒し。これを人々にも提供したい。
それが、俺が旅行代理店を立ち上げた時の想いだ。


いつかはうちのコンパニオン達を慰安旅行に連れて行きたいと思っている。
国内でもいい。
いつもはおもてなしする側の彼女達を接待するのだ。
イケてるメンズもいたほうがいいな…
こういう計画は、立てているときがいちばん楽しい。

1月27日。
今日は俺にとって、大事な友人が亡くなった忘れられない日だ。生きていれば何歳歳だったかな。

出会った場所は東京の高円寺。福岡に移住する直前まで住んでいた街だ。

何しろ酒臭い街で、売れないバンドマンや芸人が明け方までたむろしているし、ちょっと歩けばレコード屋にコインシャワー、名曲喫茶なんかの昭和の香りにむせかえるようだ。古着屋も多数あるが、下北沢の洒落感とは似て非なる場末感。
朝まで飲むのは当たり前。高円寺に住むと結婚できなくなるけどいいですか?そんな居心地の良さがあった。
そんな街で俺たちは知り合った。いつものように飲んだくれた帰り道だ。

閉店した時計屋のシャッターにもたれかかり、気持ちよさそうにアコースティックギターを弾く奴に俺は吸い寄せられた。
聴いてみると俺も好きなミスタービッグのバラードをアップテンポで歌っている。アレンジしているがなかなかのセンスだ。しかも上手いなんてレベルではない。こう弾いたらいいのに、こう歌ってくれればもっと気持ちいいのに…というフラストレーションがない。ど真ん中に叩きこんでくる、それはプロの音だった。

「もう帰んねんけど」
声を掛けられ、ようやく自分が呆けていたことに気づいた。
「すごいな、お前!」
俺は思いつくままの賛辞を送った。俺も少しかじった程度だが音楽をやっていた。
この街には掃いて捨てるほどストリートミュージシャンがいるわけで、いちいち立ち止まって聴いたりはしない。すげぇ奴を見つけたと心が踊った。
奴もいろんな話をしてくれて、大阪から出てきたばかりという。ハードロックが好きだが生活の手段としてフラメンコギターの奏者をしていることを教えてくれた。
「ギタリストちゃう、ギタリスタ云うねんで」
「歌が好きなんや」
そう言い切る奴は気持ちいいくらいだった。

それから奴は路上に立つ時は連絡をしてきた。差し入れはミルクティがいいとか弦を買ってきてだとか我が儘も言うが、こんな歌を聴かせてもらえるのた。文句はない。

俺は奴の紡ぐ音にどんどんのめり込んで行った。
じきにライヴなどを持ちかけるようになった。
音楽家というのはえてして人づきあいやプロモーションが上手くない。それは得意な俺がやればいいと思った。
コンパニオンのコの字どころがバーすら知らなかった奴を悪場所に連れ回した。

半年も経つころには奴も月2回は都内でライヴをこなすようになり、俺も新曲を作れとハッパをかけていた。
「龍、いつもありがとな」なんて言うようにもなった。

あるライヴの日だ。5組が出るライヴで奴は3番めだったが、朝からメールすら返してこない。次第に出番が近づき、とうとう奴は表れなかった。諦めて次のバンドに出番を譲り、関係者にも平謝りをしたがそれはよく覚えていない。
ただ、裏切られた怒りだけがあった。

元々にルーズなところがあった。部屋はいつも散らかっていて、積み上げていたスコアが崩れても直しもしない。ジーパンもあちこちに脱ぎ捨ててある。

短いメールで怒りを綴ると、躊躇いもなく送信した。



それから5日ほど後のことだ。
奴が死んだことを、抑揚のない警察官の声で聞いた。


心筋梗塞だった。突然だったようでベッド周辺はいくらか乱れていたものの、そんなに苦しんだ形跡はなかったようだ。
おかしな薬もやってなかったはずだ。何しろ奴には金がない。本業のギャラが入ってもすぐ道具や機材に使ってしまうのだから。

携帯は俺のメール、電話で埋め尽くされていたそうだ。
葬儀は八王子の斎場で、奴の母親と数人だけの密葬で行われた。その時知ったが奴の家は母子家庭で、奴の成人後、母は再婚し東京に移り住んでいたという。

何が「世が世ならアタシはお嬢様、だ」

涙は出なかった。
だが、帰り際に「ここは駅から遠いからタクシーでお帰りなさい」と一万円を差し出された時、決壊した。

児童館で初めてギターを習ったこと、母親の男に度々殴られていたこと、高校生で中絶をしたこと、のど自慢に出て鐘2つだったこと…
全部聞いてやったからな。

タクシーの窓から高尾山を眺めると、雲に繋がる煙はあいつの髪と同じオレンジ色をしていた。

まだ俺が東京でサラリーマンをしていた時の話だ。
広告代理店の営業をしていた。
朝は9時から夜は眠くなるまで、仲間と夜な夜な盛り場に繰り出しては飲み会・合コンに精を出していた。
新卒で入社したので6~7年くらいはそんな生活をしていたことになる。
馬鹿な遊びも散々やった。

中でも1番俺がのめり込んだのは、カジノだ。六本木や赤坂、歌舞伎町に数軒行きつけの店があり、バカラやポーカーを楽しんだものである。
勿論ギャンブルなので負けることもある。給料日に全額を使い果たして青ざめることもあった。そんな時は負け惜しみにピザやチーズをたらふく食らい、歩いて部屋まで帰ったものだ。
不思議と成績が良い時は勝ちも進む。
大事な商談、接待がある前日はどうしても気が騒ぐものだ。そこで一杯飲んで寝るわ、なんて俺じゃない。明け方まで飲んでは騒いで、道端でひっくり返っていたのもいい経験である。

さて、そんな無茶をしていたのも笑い話だが、今、俺くらいの歳の男はどうやって盛り上がればいいのだろう。拠点は福岡に移ったとはいえ、30を越えて独立してからというもの、とんとバカみたいに騒いだ記憶がない事に気づいた。
風俗?いや違う。キャバクラ?それも違う。
なんかもっとこう…飲めて、男同士でゲラゲラ騒いで、ドキドキするような高揚感がある遊び。


そうか。
それはうちの宴会じゃないか!
思わず膝を打った。

野球拳、ショー仕立ての宴会芸。友人の違った一面を見れたり…そして、これはコンパニオンたちには分からない、その後の反省会の楽しさと言ったら。

いちばん強いのは、ネズミさん、あなた達ですよと言われたネズミの気持ちが分かった。

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