2008年03月29日

金沢・城下町の旅 福岡竜雄

jyoukamati326

平成20年2月20日に亡くなった福岡竜雄の遺作集を娘たちが本にしました。本のページを追って、ブログに掲載しました。お読みいただけたらうれしいです。よろしくお願いします。

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2008年03月26日

序 叔父のこと 

     序






叔父のこと

 春の訪れは冷たい一月、二月からもう始まっています。桃の匂い、梅の香り、と私たちの五感にそっと優しく伝えてくれるのです。やがて南から桜の便りが届くように、季節の移ろいはいつでもそっと、確かな足取りでやって来ます。しかし今年は、桃も梅も蕾を膨らませたまま、咲き出すタイミングに迷っているかのようです。異常気象が迷いを生じさせたのでしょう。
 二月、叔父が亡くなりました。何の迷いも無いかのように逝きました。季節の移ろいと同じように、ひっそりと清々しい微笑みを残して逝ったのでした。家族を愛し、友人を愛し、自然を愛し続けた生き方は、日々書き溜めた美しい言葉の宝石となって家族の元に残りました。そして今、言葉の宝石は子供たちの手で一冊の本へと昇華されたのです。折々に詠まれた「言葉」には、叔父の愛情と生きた証があります。
 場面場面でどんな表情をしていたのでしょう。
 ある時は深刻に、ある時はにこやかに、ある時は照れながら、と一つ一つの仕草までも想い出して、叔父を偲びたいと思います。残念なことに私は、叔父と二人きりで飲んだり話したり、という経験がほとんどありませんでした。母のことを相談しアドバイスして貰ったり、親類の法事などで当たり障りのない話をする程度で、仕事や趣味などの話で会話が弾んだ事はなかったのです。川柳やクラシック音楽など共通のテーマがあったことを思うと、悔やまれて、悔やまれてなりません。そこで、私の中の叔父をイメージして、叔父と二人、仮想空間で自由に遊び、二人の想い出を作ることにしました。
 犹闇前の夏、マッキンレーの雄姿が浮かぶその湖の岸で、私は叔父と二人でテントを張っていた。
 (叔父がキングサーモンと会話する)という噂は、その日のうちに確認できた。
夏といっても、アラスカの湖面を吹く風は冷たい。
動きの無い退屈な数時間、土地の漁師達は強いウイスキーを舐めながら体温の下がるのを防ぐのだが、叔父は一滴も口にしなかった。
夜、テントの中で私はアルコールを口にしなかった理由を尋ねてみた。
『…お酒は好きだよ。だけどアラスカのような大自然と対峙してみると体がアルコールを受け付けないんだな……人間が自然に向き合う時は自分も自然の一部だと自覚して、謙虚でなければいけない……だから私は、体が冷えてくるとお茶ばかり飲むのだよ。』
叔父は魚と話をしている時のように、優しい目つきで悪戯っぽく笑った。″
「こんなの知らないよ。」と叔父は苦笑いしている気がします。でもかまいません。私は私の中の叔父と、これからも自由に会話を楽しもうと思っているのですから。

                                (合掌)
  平成二十年三月
  

                             神田 耕平


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もくじ

もくじ
序 叔父のこと   神田耕平  1  
          
第一章 風 6 
第二章 おとこ川 おんな川 30
第三章 酒 51
第四章 妻 63
第五章 旅 68
第六章 生きる 79
第七章 結婚五十年 105
父を想う      船塚以津子 135
父のこと      山元加津子 141 
                        装丁 山元加津子

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第一章 風

第一章 風     

  私は朝鮮の京城市(現在の韓 国・ソウル市)で生まれ、終戦 で本籍地・金沢市に引き揚げて きたのは十七歳のときだった。 それからの六十三年間を父祖の 地・金沢市に住み着いてきて、 ここを終焉の地と決めているの だが、ここで川柳と巡り合えた のも、ここには川柳を詠むにふ さわしい先人の伝統と人情の厚 さ、さらには戦災を免れた風雅 な町並みがあったからである。







加賀なまりそよ風に乗る城下町









宝生の謡が風に乗る小路



茶屋街の三味の音風に運ばれる



幽玄の風を鏡花の筆が生み


風花が友禅流しに舞う二月



風切って侍出そう武家屋敷



箔打ちのリズムに風の音が消え


今日もまた強く生きろと風唄う



狂乱の日本海で風が吠え



不況風老舗ののれんおびやかす


反逆児らしく独りで飯を食い



すぐ酒に逃げる意気地のない男



慌てずに生きろと青の信号機


愛という言葉に飢えた過去がある



午後十時だんだん魔女の目が冴える



逆転で今日も働く砂時計


懺悔する言葉が胸で錆びている



陶酔を独り占めするイヤホーン



他人には仮面の私見せておく


幸せでふくらんでいる新所帯



梅雨晴れ間体のカビを捨てに出る



休肝日二日増やして生きる欲


弁解の汗をハンカチ吸わされる



空き缶へ恩を返さぬまま捨てる



ストレスを捨てる緑のシャワー浴び


ドル建てで預金に走る低金利



腹立てるたびに進んで行く老化



上司への不満を酒で消している


七人の敵忘れさすのれん酒



凧になり唯我独尊風に乗る



核家族絆の糸が細くなる


標的に狙いさだめて夢が覚め



自画像に老い正直に表れる



老骨を鍛える鰯食べている


老いた龍ウロコせっせと磨いてる



生きる欲人一倍に持って食べ



ノルマ追う靴が重たく踏む落ち葉


少子化の行き着く先の無縁墓



アイデアを逃さぬように帽子載せ



借金はないが恩義に借りがある


こだわりを解けば仏の顔になり



人間の甘さを叱る寒気団



伝統の鎖はずせぬ城下町


トンネルを出ると変わった世界観



善人の自覚は持たずゴミ拾う



空回りしてると分かる玉の汗


ポンコツにならないための休肝日



晩学の歩みかたつむりに負けず



ハードルが待ち構えてる予定表


雑音を選り分けて聞く策略家



簡単に承諾肩が凝ってくる



老いの愚痴日向でこぼす春うらら


平凡な男ジレンマを知らず



初対面同士が演技する笑顔



前向きで生きる五感を研いでおく






ライバルへ負けてはならぬ深呼吸


肩書をすて年金で趣味に生き



耳底で理非善悪をより分ける



パソコンのマウス愚考をそそのかす


電話では言えぬと深夜呼び出され



根比べして立っている向かい風



社会面トップに今日も血の匂い


年俸が億とは宇宙人のよう


絶交と言われる覚悟して叱る


リズム感合わぬ日もある夫婦箸


セクハラに女ののろい火と燃える

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第二章 おとこ川 おんな川

第二章 おとこ川 おんな川
 
  金沢には市中に犀川と浅野川と二 本の川が流れていて、犀川をおとこ 川、浅野川をおんな川と呼ぶように なっている。犀川のほとりでは室生 犀星が生まれ育ち、浅野川のそばで は泉鏡花と徳田秋声が生を享けてい る。以上の三人は明治時代の金沢が 誇る文豪として知られ、それぞれの 文学碑と記念館が建てられていて多 くの市民や観光客らに親しまれてい るほか、二つの川の流れでは友禅染 の糊落としなども行われていた。







犀星の息吹つたえるおとこ川


犀星が古里はなれ想う川



眠らないネオンを映すおとこ川



おとこ川眺め建ってる犀星碑


犀星の性の目覚めを知る流れ



百万石の歴史を語るおとこ川



くらがり坂下りて鏡花のおんな川


母恋し鏡花の句碑の卯辰山



滝の白糸水芸華やぐ浅野川



おんな川足下に黙す秋声碑


左褄もそぞろに歩むおんな川



恋の道行き竹久夢二おんな川



浅野川恋唄残す五木調


欲得がまだつきまとい人臭い



チャレンジの精神試す雪積もる



情報の海で溺れぬ知恵探す


新聞も明治は謹厳居士のよう



Eメール欲望という虫育て



ITに背中押されて足もつれ


融通がきかぬと顔に書いてある



ロボットでないぞと肩をそびやかす



寝転がり春を背中で知る芝生


親友へ理由は聞かず金を貸す



怒ることあって信用されている



晩学は一たす一の答え出ず


一日の成果気にせず寝に就く



造反の鬼を見事に手なずける



曲がっても出口が見えてこぬ迷路


酸欠が怖くて喋り続けてる



テロ多発ガンが増殖する地球



不可解な闇にうごめく原理主義

〈行・雲・流・水〉

終着がどこかも知らぬ古い靴

煮えきらぬままでは死ねぬ夫婦箸

年甲斐もないと言わせぬ汗をかく

楽あればそのあと続く黒い雲

カードから悪魔の声がそそのかす









群衆が流れさまよう都市砂漠


勝負師の体野生を匂わせる



ステージの袖でためらってる南瓜



革命の声が耳底にこびりつく


宿命に追いかけられて暦剥ぐ



馬力ならまだ少しある自負もある



夢持てと天から声が降ってくる


おとこ対おんなで今日も演技する



裏わざは何も使わぬやさ男



居直った女に怖いものはない


憎らしい顔をアップにするテレビ



舌戦へ誰も行司になり手なし



どん底の過去を笑って語らない


ガン告知負けるなと石蹴っている



儲からぬ話へ今日も雨が降る



脚光を浴びて人格堕落する


正直なだけでは永らえぬ命



円満なふりをしている倦怠期



輪の中に立ってしみじみ知る孤独


逞しくなりたいしっかり歯を磨く



福耳の持ち主がいるホームレス



哲学書読んで苦虫かみつぶす

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第三章 酒

第三章 酒

  私は体質的に酒はあまり強くは ない。しかし…(文章が途中で切 れている。父はどんな言葉を続け たかったのだろう)











明日のまた明日へせっせと酒を飲む



見送ったチャンスを悔やむ缶ビール



煩悩を断ち切るための濁り酒





野心家がぽろりと弱音吐いた酒



好調の持続を信じコップ酒



腹の虫怒らせ荒れるコップ酒





一合の晩酌それで落とす錆



腹八分残りの二分に酒を入れ



酒という媚薬で明日へつなぐ夢






同郷とわかって胸襟開く酒




控えめな態度が消えたコップ酒







羅漢像悟り拒否した顔がある



自尊心持ち続けてるパンの耳



適当というのが極意隠し味





敵がい心そっと隠している素顔



叱られて褒められて技積み重ね



音なしの構えに誰も近寄れず





地雷原そのままにしてにせ平和



ストレスとうまくつきあう生き上手



むかし話聞いてほしいと古時計





流れ星みたいな恋をする都会



克己心捨てたわけではない白髪



骨埋める覚悟で蟻になる都会





人情も義理にも非情大都会



英雄になる夢消した都会の灯



ぼろぼろになって悔しいひとり言





噴火することもなくなり引きこもる



寄り添ってあられを受ける一つ傘



決算の黒字リストラから生まれ






仲裁に手を焼いている泥仕合




難題を一つ処理した旨いお茶

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第四章 妻





第四章 妻









俺より先に死ぬなと妻に釘を打つ



昨日今日明日へと妻が尻叩く



均等法妻に脂が乗ってくる





妻今日も唯唯諾諾で平和なり



満点の妻でなかった愛妻記



休火山同士になってあさのお茶






ときどきは妻がしっかりノーと言う




逆らわぬことに決めてる妻に負け







少子化の未来枯れ木が並ぶだろう



プライドが先細りする紙オムツ



かたくなに過去現在を生きている

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第5章 旅






第五章 旅






 〈中国・シルクロードの旅〉


岩山と沙漠ここにも人が住む



オアシスでブドウたわわに成る砂漠



灼熱もいまは治まる火炎山




岩窟で千の仏に祈る旅



二千年砂漠潤す月牙泉



温暖化痩せ細らせる月牙泉


  〈ウルムチ〉


楼蘭の美女のミイラに迎えられ



楼蘭の美女涼やかな瞳のミイラ



つぶらな瞳ミイラの童女夢見るか





その先は地獄か沙漠の地平線




凄まじい風化故城は骸だけ




  〈トルファン〉


雪解けの地下水からの涼もらう



他民族国家は言葉使い分け



客待ちの駱駝 脆座する火炎山

 〈敦煌・莫高窟〉






千仏がおわす蜂の巣めく砂城









妖艶に首をかしげる菩薩像



涅槃仏莫高窟で安らかに



千仏と浸る浄土のシンフォニー





丈余仏威圧感なく人諭す



夕映えに駱駝影曳く鳴沙山



北風を追い風にして老いられず









妥協して笑顔もらって生き延びる










国民を犠牲に核のほしい国




独裁におののく羊たちの国

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第六章 生きる


第六章 生きる









憎みあうものには見えぬ白いハト



死ぬ仲間メールで募集する弱気



咳払いして反論を述べ立てる





海のない町へ土産はズワイガニ



人間の顔で笑わぬへそ曲がり



無理するな言われて無理をしてしまう





病院で病人らしくない歩行



見え見えのウソ滑らかに動く舌



甘辛く味付けされてメール来る





計算をして謝罪するマイク持つ



童顔の日を懐かしむ終戦日



悔し泣きせぬロボットで救われる





根回しが得意な策士陰にいる



欲という人間の垢持て余す



人間の業とたたかう丸い背な





人間がわからなくなる自爆テロ



しっかりと愛を包んだ握り飯



思い切り笑えと鏡けしかける





夫婦してダンス楽しむ足がある



家計簿の赤字が強いるダイエット



日本語がやがてカタカナ語になるか





子育てにいつしか消えたアメとムチ



人知などせせら笑って雪が降る



天からの歩け歩けの雪の声





悪口も嫉妬も雪が封じ込む



噴火する日がきっとある眼に出会う



過去全部サクラ吹雪になって散る





非難する声も補聴器拾わされ



上品な顔で読めない腹の底



人間を苦しめ楽しませる数字





平凡が絵になっている日向ぼこ



職人の技に素直な五寸釘



凧揚がる自由な空が狭くなる





経験が味のあるシワ刻み込む



にこやかにそして無冠で生きた父



再起する闘志包んで車椅子





ストレスを捨てに集まる盆踊り



キリストも釈迦にもテロが止められず



退屈という字忘れて汗をかき





泥水を飲んだ記憶が風化する



聞き飽きる愚痴を止めさす大あくび



価値観の違いで仲間背を向ける





怨念をまだ靖国に刻む国



シングルの気安さ好きに生きている



看護師が慈母観音に見えて病む





腹の減るほどに笑って孫楽し



人間喜劇独り演じてつつがなし



死にたくはないのに自爆テロに遭う





成人の日には素直になる晴れ着



不機嫌になる朝続く社会面



朗報の電話に父が破顔する





どんな過去背負っているかホームレス



欲のない男たのしむ独り酒



オレオレと無縁な孫のメール読む





ダイエットする気ないのか肥満体



騙されて仏が鬼の顔になる



燃え尽きて男足音たてず消え





使わずに済めばと払う保険料



口下手が誠意を披瀝してる汗



人込みの中に隠れている殺意





高笑い出来なくなった朝の記事



繰り返す試行錯誤に生きる欲



人生をエンストさせぬ薬飲む





聞く耳を持たぬ反日デモの国



パソコンのように買い替えできぬ脳



重くてもあっさり消えてゆく命





君が代に外人力士なに思う



八月の慟哭知らぬ新世代



プライバシー侵す電波が乱れ飛ぶ





除名でも主義主張まで取り消せぬ



認知症童話の中の人となる



フェアプレー負けて悔いない爽やかさ





独りよがりだんだん敵が増えてくる



死後評価そっぽを向いている遺影



温故知新まだまだ生きる欲がある


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第七章  結婚五十年



第七章 結婚五十年









自分史のスタート人並ピンク色



欲張った夢など持たず肩を組み



双子誕生妻に試練が始まりぬ





夫から愛の比重が子へ移り



妻のため子のためネジを巻いている



成人の娘つぎつぎ拉致される





子離れの母から妻に立ち戻る



怠け癖叱咤するのも妻のムチ



右脳が妻の左脳で支えられ






周波数どうにか合って五十年




金婚式妻もワインに頬を染め







風雲児自作自演で自滅する



夜叉となる火種を抱いている淑女



限界を知っても脳はあきらめぬ





自分だけの桃源郷を生む枕



猟犬の目になり記者が謎を追う



妥協せぬだるまになって黙秘する





生き字引花束抱いて見送られ



髭剃って年金払い出しに行く



逆風の中でも野心咲かす意地





五月病無縁頼りになる男



挫折した身を容赦なく雨が打ち



暴力が言葉になって降ってくる





哀れだね愚痴を肴に酔いつぶれ



千枚田日焼け気にせぬボランティア



万歩計数値で気力確かめる





歯に衣を着せない人の派手好み



物騒な世だが背筋は立てておく



ライバルの軽いジョークにある敵意





サンプルのルージュで作る別の顔



雑音になって噂は消えてゆく



欲張った顔に噴き出る脂汗





試歩の足明日へとつなぐ靴を履く



プライドの影引きずって負け投手



秋の旅食指が動くコマーシャル





カツオ節削って母の隠し味



同情の涙に堰を切る涙



左遷地で妻子を思う虫の声






叩き上げ社長気軽な作業服




まだ余生楽しく生きるカレンダー




 〈サッカー予選敗退〉


サッカーに深夜も寝ずに声涸らす



声援に疲れ果ててる深夜族



健闘をたたえ拍手のサポーター





世情不安サッカー熱が忘れさせ




四年後へ臥薪嘗胆まだ続く






動けると見られ老骨頼られる


切り札を抱いてゆっくり歩を運ぶ


哲学の文字には縁のない暮らし


習うより盗めと師匠そっけない




若者が破れジーパン穿くおしゃれ



ベストセラー生きる元気をくれました



ユーモアがあれば愚痴とは聞こえない





若者はもったいないを死語とする



暖冬に私の財布さむいまま



憧れの美女も老いてたクラス会





よく笑う嫁で茶の間の灯が和み



新雪を蛇の目で受ける城下町



終点に着いたと知った訃報欄





寅さんは恋実らせず死んじゃった



阿弥陀仏リラックスした顔で座す



落選でダルマも隅でうなだれる





老夫婦波風立てる嫁居らず



春の空亡き人を恋う千の風



メモ片手男うろうろする市場





プライドをくすぐる酒で酔いつぶれ



白蓮が華麗に咲く日待つ泥田



サギ憩う蓮田の続く散歩道





ぬるま湯が加速させてる認知症



人間の顔で鬼畜がいる都会



わが家では母父の日に格差なし





ジャンケンの勝負肩書無視される



京舞子立つと絵になる渡月橋



思春期の乳房ふっくら夢を追う





プライドがあって枯れ木にはならぬ



御無沙汰も多忙のせいと墓に詫び



隠忍を顔には出さず低姿勢





訃報欄あっと驚く名を見つけ



信頼の医師にもあった医療ミス



愚禿にはなれず愚鈍で生きてます





お人好しだから負けても泣けません



ゴキブリのしぶとさ さすがだなと見てる



幸せだなあと思った過去がある






老夫と老妻二人っきりのウサギ小屋




人間賛歌そのうち骨となる命


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父を想う 船塚以津子

父を想う
                      船塚以津子

 父が亡くなって二週間が経ちましたが、小さかった頃のことで、よく思い出すことがあります。私が、まだ小学生の低学年の頃だったと思います。父は、北国新聞社の校閲部に勤務しており、出勤は、朝だったりお昼からだったり、夕方だったりして、休みも平日になることがよくありました。その日も、父は夕方からの勤務だったのか、お休みの日だったのか家にいました。私が、学校から一人で帰ってきて、玄関を開けるとすぐそこに父が立っていて、私をいきなり強く抱きしめたのです。私は、あまりにも突然のことだったので、びっくりしてその場に突っ立っていたように思います。どうして父がそのようなことをしたのか、今となっては知る由もありませんが、想像では、誘拐事件か何かで大切な我が子を亡くしたりする事件でもあったのかと思います。母にも、姉にもこのことは話していなかったし、父もそんなことはもうとっくに忘れてしまったことだったのかもしれませんが、私にとっては、父との大切な思い出のひとつです。
私は小さいときは、お父さん子、姉はお母さん子だったように思います。姉に言うとそんなことはないと言われるかもしれませんが。父が亡くなった日に、葬儀屋さんが来て、お通夜と葬儀の時に、想い出の写真をテレビ画面に流すので、写真を選んで欲しいと言われました。そこで、私は、父の書斎の押入れの中から、古いアルバムを出してきて、いろいろと写真を探しました。父はとても几帳面で、写真を綺麗にアルバムに貼って取ってあり、毎年のように、家族で旅行したときのアルバムがいくつもあります。それを見ると、必ずと言っていいほど、旅館やレストランでの食事では、私が父の隣に座り、姉が母の隣に座って食事を摂っていました。また、姉は小さいころから、文学少女で、難しい世界文学全集などの本を家で読んでいましたが、私はと言うと外で元気に遊ぶのが好きで、父ともいろいろなことをして遊んでもらいました。思い出すのは、今の疋田町に引っ越してきて、河北潟が干拓される前で、歩いて行ける距離だったので、釣竿を担いで歩いて魚釣りに行ったことです。父は、リールのついた立派な釣竿で、魚を釣り、私は父の横で、リールもない小さな釣竿で魚を釣って、小さい魚がかかると大喜びしていました。小さいころは、このようにして父とよく出かけ、よく話もしていましたが、近年になって、姉が本を執筆するようになり、姉が父に相談したり、川柳の本のことを父が姉に相談したりしてよく話していたようで、私は、土日に実家に帰っても、父は川柳の会に出かけていたりして、ほとんど話す時間もなかったのが今になってみれば残念に思います。
父の文学的才能は、すべて姉に行ってしまったようで、私は下手な文しか書けず、川柳の「せ」の字も知りませんが、実は一回だけ川柳を作って褒められたことがありました。それは、結婚した後で、寅年の年賀状を作ったときのことです。トラがカルタをしている絵で、その取ったカルタの文に、川柳を作るという気持ちは全くなかったのですが「トライする 気持ちを 今年は 強く持ち」とトラとトライをかけて作って、その年賀状を送ったのです。そうしたら、年始に実家に行ったときに、父があの川柳は誰が作ったのかと聞いてきて、私が適当に作って書いたと言ったら、「すごく、いい川柳やな」と褒めてくれたのです。後にも先にも川柳で褒められたのは、その一度だけですが、とても嬉しかったのを思い出します。
「トライする気持ち」で、思うのは、父はいつもトライする気持ちを持っている人でした。父は八人兄弟の末っ子に生まれ、お母さんを赤ちゃんの時に亡くし、お父さんも小さいときに亡くし、一番上の姉が高校をやめて働いて育ててもらったそうです。なので、旧制中学(五年制)を卒業してすぐに北国新聞社に勤めました。それでも、英語が上手だったので、どうして英語をよく知っているのかと、昔聞いたことがありました。すると、二十歳の時に、独学で英語を勉強したんだと、教えてくれました。そのときにも、すごいな〜と我が父ながら感心したのを覚えています。父は中国語も得意でした。私が学生の頃から、父は中国語のラジオ番組を、欠かさず聴いて、勉強しており、中国に旅行に行って、現地の人に発音が上手だといって褒められたと嬉しそうに話していたことがありました。亡くなる二年前には、以前習っていた中国語講座の、上級クラスができたから、また習うことにしたといって、北陸大学の中国語講座にも通っていました。また、昨年は、父が発行している川柳誌「きたぐに」の原稿を印刷屋に出さずにすべて自分で構成もできるようになりたいからと言って、パソコン教室に通っていました。タイトルの入れ方やら、一ページを三段に区切って文を入れるやり方やらを習ってきたといって、私に教えてくれました。本当にいつも向上心を忘れない父だったと思います。
一ヶ月前に、夫の母が亡くなり、その時に父と母がお通夜、葬儀に参列してくれ、葬儀の後の中陰に出て、帰り際に、義父に挨拶に行ったときのことです。父が「これからも以津子のことをよろしくお願いします」と言ったら、義父が「以津子さんは、神様みたいな人や」と言ってくれました。神様と言うのはなんとオーバーな、かなり褒めすぎだと思い、義父の優しさに感謝していますが、その言葉を聞いて、きっと父は、娘は嫁ぎ先でもかわいがられて、うまくやっているようだとわかり、きっと嬉しい気持ちになっていただろうと想像します。亡くなる前に、娘が幸せに暮らしていると改めて分かったことが本当によかったと思います。私ができた、最後の親孝行だったのかもしれません。
父が亡くなって、悲しみは癒えませんが、それでも生きているときは、金沢と鹿島とで、離れていて、すぐに会うということはできなかったのですが、魂となった今では、私が想えば、いつでも飛んできてくれて、そばで見ていてくれるんだなと思っています。なので、父の優しさや、向上心を忘れずに、私も父に恥じないようにこれからも生きていきたいと思っています。応援してね、お父さん。

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父のこと 山元加津子

父のこと
山元加津子

 大好きな父が、亡くなりました。あまりに急なことでした。最後の最後まで、すばらしい父そのままだったなあという思いが、時間が経つにつれ、だんだんと大きくなります。
 父の祖父は前田藩の家老である本多家に仕えていました。明治になり、長男ではなかった父の父は、新天地を求めて韓国へ渡ることとなりました。父は、八人兄弟の末っ子として韓国で生まれ、戦争後、父の父母が生まれ育った金沢に家族で戻ってきたのです。
 新聞社に勤めることになり、母と出会い、双子の私たちを大切に可愛がって育ててくれました。まだそれほどカメラのない時代に、毎日のように写した私たちの白黒の写真がたくさん残っています。決して裕福ではない中で、スキーや釣りや旅行やコンサートなどによく連れていってくれたり、話をよく聞いてくれたりする父でもありました。私が小さかったころを思い出すたび、やはり、そばにはいつも父と母のやさしい笑顔があったと思います。
 新聞社に定年まで勤め、それからは、新聞社にいるときからずっと続けていた川柳や、スポーツを一生懸命しました。父はとても器用で何事にも一生懸命だったと思います。クラシックのレコードをいつも書斎でかけ、そして、本を読み、コーヒーの豆をひいて飲んだり、若い時代には、自分で作ったパイプで刻みたばこをたしなんでいたこともありました。
 川柳では、たくさんの方に助けていただきながら、北國川柳会の主幹や全国川柳協会の幹事をさせていただいておりました。また、全国でお話しをさせていただいたりしていたことは、父にとってどんなにうれしいことだったでしょう。六月にある大きな川柳の大会のことも、ずっと頭の中にあったようで、そのとき出版予定だった本作りに一生懸命でした。
 本当に急でした。朝、肺炎のために入院をし、その日の夕方は本や、川柳の月刊誌の仕事をしたいからと病院にパソコンを持ってきてと私に言いました。パソコンを持って戻り、病室に入ると、父は息をすることもつらそうで、横になることもできずにいました。けれども、それでも、パソコンや原稿に目を通していました。私はそんなに状態が悪いとは思わず、「お父さん、明日あさっては来れるけど、土曜日と日曜日は、講演会に呼んでいただいているから、東京に行かなくちゃいけないから、お見舞いに来れないの」と言うと、父は「かっこはたくさんの人に本当にお世話になっているなあ。講演会を開いてくださることは簡単なことじゃないから、どんなことがあっても、迷惑をかけるようなことがあったらいかん。もしもお父さんが悪くても、行かないといかんな」と言ってくれました。
 聞けば、間質性肺炎という病気だとのことで、あっという間に肺が真っ白になっていきました。どんなに苦しかったと思うのに、人工呼吸器をつけたあとも、意識はずっとはっきりしていて、手を握るとそのたびに、父はしっかりと私の手を握りかえしてくれました。今でもぎゅっと握ってくれた父の手の温かさが心に残っています。父はほとんど息ができなくなったために、人工呼吸器をつけられました。けれど、その呼吸器を父は何度も手で、あるいは、舌を押し出すようにしてはずそうとしました。父はもう、自分の命がもうすぐ、終わりを迎えることを知っていたのだと思います。人工呼吸器をつけたままでは話ができません。もしかしたら、父には私たちに伝えたいことがたくさんあったのかもしれません。父は目があうと、その目を大きく開いて、何かを伝えるために、私の顔をじっと見て、懸命に何度も首を振りました。
 父は夕方に急に「覚悟をきめなくちゃな」と言ったのです。優しい父でしたが、頑固で一徹な面もあり、また凜とした武士のような志を持っていた人だと思います。私たちはひょっとしたら、ステロイドというお薬が効くかもしれないと思って、どうしてもあきらめることができませんでした。「がんばって」「がんばって」という私や妹や母に応えるように、父は、本当にすごくがんばってくれたと思います。
 人工呼吸器をはずさなかったことが少し悔やまれますが、それでも母や私や妹が父と一晩時間をすごすことができて、そして、妹が「運命だね、しかたがないね」と言ったように、母も妹も、そして私も、父が亡くなることを受け止められるためにそれが必要な時間だったんだと父はきっと私たちを許してくれるに違いないと信じています。
 父はいつも本当に頑張り屋でした。いつもまっすぐで、そして温かい父の子供として生まれられたことをすごく誇りに思い、感謝しています。
 父の通夜や葬儀には驚くほどたくさんの方が来てくださいました。あらためて、父がどんなにたくさんの方に愛され、そして支えていただいて毎日を送っていたのだろうと感じました。父の死に顔はとてもやすらかでした。ずっと微笑んでいて、私たちは何度も父の顔を見て、「お父さんが笑っているよ」と言いあいました。父はたくさんの大好きな人に囲まれて、うれしいうれしいと言っているように思いました。
 
 亡くなるひと月ほど前の一月二十七日の父の誕生日に私は一遍の詩を、プレゼントに添えて送りました。


お願い

お父さん、お母さんには死んでほしくありません
息をしているものは、いつか死んでしまうんだと
何かのきっかけで、知ったとき
その中に、お父さんとお母さん
ふたりが入っていると気がついて
「死なんといて」と声をあげて泣きました
お父さん、あなたは大きな手で
私の顔をのぞき込んで
「しょうがないんだよ」と
何度も頭をなでてくれたけど
「いやや、いやや。死なんといて」
私はやっぱり泣けました

お菓子がほしい、おもちゃがほしい…
そんなたわいもないことで泣いていた
昨日の子供のままの自分だったら
どんなによかっただろうと
あともどりのできないことにも、私は、ひどく泣けました

あなたを失うことへの悲しみは今も変わることはありません。
お父さん、お母さんには死なないように願います

大人になって、心の中に大切な人が増えたとき
それと同時に、死んでほしくない人がどんどん増えていきました

お父さん、お母さん、私の大切な人に
お願いいたします
くれぐれも死なないように願います。
死なないように願います
そして 大切なあなたにはけっして死なないように願います


 父は電話で、「死なんといてというのは難しいけど、たとえ死んでも、お母さんのことやかっこ(私)のことやいっこ(妹)のことは、ずっと見とるし、守っとるわいや」と言ってくれました。父は私たちに宝物のような言葉を残してくれたと思います。そして、重い体がない今、きっと自由に、母のもと、私たちのところ、孫のところへ忙しく飛び回っていることでしょう。
 葬儀のあと、葬儀場の方が、私のところに来て、「変なことを言うようですが、どうしても申し上げたいことがあって」と声をかけてくださいました。なんだろうか、何か失敗でもあったのだろうかと少し身構えた私に、そのお若い男の方は「幸せという言葉は不適当かもしれませんが、こんなに幸せな感じがする式を、僕は初めては経験させていただきました」と言ってくださいました。母はそれを聞いてとてもうれしそうでした。それから、火葬場の方が、「お父様は生前どんなに穏やかな方だったのでしょうね。こんなににこやかな仏様は久しく出会っていませんでした」とも言ってくださったのです。ああ、父は今、きっと穏やかな気持ちで、大丈夫だよ、それでよかったんだよと言ってくれているんだと感じました。
 父が亡くなった日も、そして、家に戻って来た日も、驚くほど大きな丸い月がとてもとても美しい日でした。人はいつの日か必ず亡くなってしまう。それならば、こんなに素晴らしく美しい日に亡くなる事はうれしいなと思うほどの月でした。
 葬儀が終わった次の日、私は父との約束のとおりに東京へ出かけました。どんなことがあってもお世話になっている人に迷惑をかけてはいけないから、東京へ行きなさいと言っていた父が出かけさせてくれたのだと思いました。東京ではたくさんの方が待っていてくださって、温かい言葉をかけてくださいました。
 父が亡くなることが、もし運命で決まっていたのなら、この講演会も、父が亡くなって、元気をなくしているだろう私のために、用意してくれたものだったのかもしれません。
 通夜、葬儀を通してあんなにいいお天気だったのに、私が東京へ出かけたあと、日本中が嵐になりました。金沢では大雪となり、東京でも、北風が吹き荒れました。そして、最終の帰りの飛行機が運休になり、その日は東京へ急遽泊まることになりました。普段なら、次の日が学校で、どんなふうにしてでも、金沢へ帰ろうとしたはずですが、火曜日まで忌引きでお休みをいただいていました。もしかしたら、飛行機が飛ばなかったことにも意味があるのだろうか? とそんな不思議なことを思いました。
 急遽とったホテルの部屋にはお風呂がなくて、一番上の階に大浴場のあるホテルでした。誰もいない大きなお風呂に入って、大きな窓の外に広がる東京の夜景をみていたときに、その夜景に父の顔が急にうかび、それが紺色の空全体に広がっていきました。
 父の亡くなる二、三日前に、歌を作ったから聞いてと、下手な歌を歌いました。

♪「満天の星、空をめぐり、白鳥座の十字を目で追って
♪「僕たち宇宙に浮かんでると あなたはぽつりとつぶやく
♪「あなたと私 どうしてここに一緒にいられるのだろう
♪「銀河の流れ指でたどり、宇宙のひとつでいよう」♪

 父は「宇宙のひとつでいよう」と言うのがいいなあと言いました。
ずっと川柳をしていたので、父は言葉が好きでした。私は、夜景の広がる窓の外を眺めながめていました。その時、とっても不思議なことを経験しました。満点の星の歌がオーケストラの演奏になって聞こえてきて、その音はどんどん大きくなっていきました。驚いて周りを見渡したけれど、大きなお風呂には私一人、私の作った曲を誰かが演奏しているはずもありません。涙が止まらなくなりました。そうだ、父は宇宙に広がっていったのだ、父は宇宙のひとつで私たちのそばにいてくれるのだと確信のように改めてそう思いました。そして飛行機が飛ばなかったのは、そのことを感じるためだったのだろうかとそう思ったのです。

 父が楽しみにしていた本を、ささやかですが、形にすることができました。読み返すと、私たちにとって、宝物の言葉がたくさん散りばめられています。宇宙となった父の空の下で、父の言葉をこれからの元気と勇気にしながら、父がしてきたように、家族を大切に、仲良く生きていきたいと思います。



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福岡竜雄プロフィール

福岡竜雄 プロフィール


本名 福岡龍雄
昭和三年一月二十七日 朝鮮・京城で生まれる
昭和三十三年四月 川柳えんぴつ初投句
昭和三十五年一月 川柳えんぴつ同人
昭和四十四年二月 北国川柳社設立発起人会参加
平成元年四月   北国川柳社主幹兼編集・発行人
平成元年七月 北國新聞夕刊柳壇選者
平成三年九月 石川県川柳文化賞受賞
平成四年九月 石川県川柳協会副会長
平成五年四月 全日本川柳協会常任理事
平成十一年一月 「照る日曇る日」(葉文館)
平成二十年二月二十日 没 享年八十歳
平成二十年四月十日 「金沢・城下町の風」



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